4.残酷な選択
「美結ちゃん大丈夫?」
泣き疲れ少しウトウトしかけたようだが、私の声で顔を上げ私の体に回した手を緩めた。
おずおずと周囲を見渡し、目の前に人がいないことがわかるとゆっくり私の体から離れるが、腕はしっかり絡めている。
「本当にここどこなんですか?飛行機とかで帰れないんですか?ここ外国ですよね?」
目線をあちこちに動かしながら怯えた様子で話し掛けてくる。
その顔を見るとまだ幼さの残る可愛らしい顔だった。磨けばかなり美人だと思う。
色素の薄い大きな瞳にうっすら日焼けした肌、前髪は眉毛の辺りでパッツリ揃っている。可愛い…。
「美結ちゃんは何歳なの?新聞配達してたよね?」
今朝、お互いにぶつかって転んだときは、肩に何冊か新聞の束が入った大きめのカバンを持っていたはず。でもそれはこの世界に来た時には無くなっていた。私の肩に掛けていた大きなトートバッグも無い。
「私は14歳です。中学2年生です。私、家があんまり、お金がなくて、お母さんが病気で働けなくて。妹が陸上をしてて、新しいスパイクを買ってあげたくて、それで新聞配達を…」
こんなことってある!?こんなに家族思いの良い子がこんな目に遇うなんて!
見ると上下とも紺色のジャージを着ており学校の指定ジャージのようだ。
でも、胸に刺繍してある名前は美結ちゃんの名前ではない。
それに気が付いたのか、
「あっ、このジャージは卒業生が置いていったものを貰って、それで名前が違くて…」
何も気にすることは無いのに俯いてしまった。色々と気にする年頃だろうし、誰かに何か言われたことがあるのかな。
「そうなんだね、美結ちゃん偉いね。妹さんのために頑張れるなんてスゴいよ。
私はね、23歳の会社員なの。いつもは土曜日は仕事が無いんだけど、今日はたまたま手伝いがあって出勤しなくちゃならなくなったの。
現場が遠いから始発に乗らないとならなくて、今朝はいつもよりかなり早く家を出たの」
美結ちゃんの目がわずかに開く。
「私もなんです。今日は私の配達の日じゃなかったんですけど、急にお休みの人の代わりに頼まれて。
しかもこの地区は前に1回しか配達してなかったから、時間がかかってしまって。
本当ならとっくに終わってないといけなかったのに。まだ届いてないって事務所に電話がきてたらどうしよう…」
大きな目をまたウルウルさせて眉毛を下げている。なんて可愛くて家族思いで、責任感もあってしっかりした子なんだろう。
私が14歳の時は毎日のように家でゴロゴロして、暇さえあれば何か食べていた。
そしてその後も同じような毎日を過ごし、この体のフォルムが完成した。
…このぽっちゃりワガママボディが恥ずかしい、美結ちゃんの純粋な汚れの無い瞳を直視できない。
「大丈夫だよ、きっと道路に新聞と私のバッグも落ちてるはずだから、きっと警察の人たちがちゃんと連絡してくれてるよ。でもあの場所で突然私たちがいなくなったから、みんな心配してるよね、きっと」
美結ちゃんが少しホッとした顔で頷いたが、私たちがいなくなり家族はどれだけ心配しているのだろう。
私のお父さんはかなりご陽気な人で、いつも私やお母さん、裕太を楽しませてくれて、それを生きがいにしているような人。
私はお父さんの血を濃く受け継いでいるようで、お父さんほどご陽気ではないが、争い事は嫌い、平和に過ごしていきたいタイプ。
外見もお父さんにそっくりで少し茶色っぽい髪色で、丸顔のぽっちゃり体型。お父さんはその体型と人柄が他人を吸い寄せるようで、会社でも人気者らしい。
私もそんなお父さんが大好きで、仕事帰りにお父さんの分のスイーツも買って帰り、夕食後に一緒に食べたり、休みの日は一緒にスイーツ巡りをしたりする。
最近特に目立ってきたお父さんのお腹の脂肪をナデナデすると、
「美麗と一緒に美味しいスイーツ食べるのは止められないよねー。幸せだから」
とニコニコしており、来週の父の日にまた行こうねーと約束したばかりだった。
お父さん、お父さんのところに早く帰りたい。早く帰って安心させてあげたい。そう思うとまた視界が滲んでくる。
美結ちゃんも同じ気持ちなのだろう。また大きな瞳からポロポロと涙を溢し、ジャージの袖で濡れた頬を拭いていた。
私は美結ちゃんを抱き締めた。すると美結ちゃんは堪えきれなくなったのか声をあげて泣き出した。私も嗚咽を抑えきれず、美結ちゃんを抱き締めながら泣いた。
どれだけそうしてたのか、私たちはお互いに寄りかかり、黙ってこれからの不安を胸に憂うつな時間を過ごした。
しばらくすると突然部屋の大きな扉が開き、兵士のような人を先頭に、宰相とこの世界に来て一番最初に見た王子様のような人が入ってきた。
美結ちゃんは体をビクッと弾かせると、慌てたように私の体にまたしっかりとしがみついた。
私もしがみついてきた美結ちゃんを絶対に離さないと両手で美結ちゃんの体を抱き締め、入ってきた人たちを威嚇するように睨み付けた。
「すまないね、待たせてしまって。貴女たちに危害を加えることは無いので、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
王子様が向かいのソファーに座りながら、キラキラの笑顔で声を掛けてきた。
あれ?そういえば何で言葉が通じるのだろう?ここにいる人たち全員外国の人みたいな顔してるのに。
でも言葉も通じなかったら完全に詰んでたよね。
しかし、それどころではない言葉をキラキラの王子様が放った。
それもずっと美結ちゃんの方に視線を向けていて、何故か少し嬉しそうというか、私の方はたまにチラッと見ては微かに顔をしかめる。
「元いた世界に帰りたいそうだね?どうしても?ここにいれば王族のような生活が保証されるのに?それに聖女様として国民からの崇拝の対象だよ?」
王子様はあくまでも美結ちゃんに伝えたいのか、私の体に顔を押し付けている美結ちゃんをジッと見ている。
私には王族の生活は保証されそうにない、それにそんなのいらない。帰りたい。
「ここに来たくて来たわけではないです。私の世界で私の人生を生きて行きたいと思うのは当然の権利です。私はここの世界の人間では無いのですから」
「私も、お母さんと妹が心配してると思うから、早く帰りたいです。帰らせてください…!」
美結ちゃんが私にしがみついたまま、言葉を詰まらせながらも私に続けて訴える。
王子様はふぅと小さく溜め息をつくと、
「そうですか、そんなにも帰りたいとは。こちらとしては残念ですが、…帰る方法はあるんです」
「「えっ!?」」
私と美結ちゃんは顔を見合わせて、ここに来て初めて表情が和らぐ。
でもその表情は、王子様の次の言葉ですぐさま絶望の顔に変わる。
「帰れるのはどちらかお一人だけです」




