18.それぞれの思い込み
「来たか、そこに座れ。体調はどうだ?」
父上の執務室に呼ばれソファーに座った。執務室ということは何かあったのか。
「はい、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。そろそろ社交に携わることも再開しようと思っています」
そうか、と言うと父上が私の顔を見つめる。いつも何の感情も表さない深い濃い青色の瞳で相手の感情を探るのだ。
「聖女がいなくなった」
は?それはそうだ帰還の儀で帰ったのだから。
あの少女のことを思い出したが、もう心は痛まない。
ん? 違う、なんだこの違和感は。
「お前が思っている娘ではない。聖女判定で正式に大聖女と登録された方だ」
そうだ、あの女だ。
あの醜い女、今の今まで忘れていた。
違和感はそれか。でも忘れていたお陰で、あの少女のことも良い思い出となっているような気がする。
あの女がいなくなった?王族の地位を望んだ強欲な女が?
「あの醜い強欲な女ですよね?何故です?王族を望んでいたはずなのに」
父上はソファーにゆっくり背中を預け静かに目を閉じ、一度ため息を吐くと正しく座り直した。
「フェリクス、そこがすべての間違いだったのだ。あの大聖女は王家など望んでいない。
王族に準じた生活を保証すると言った宰相に、それは不要だと言ったのだ。元いた世界に帰りたいから、その待遇は必要ないと。
それを何思って勘違いしたのかお前は、準王族では満足しない強欲な女として作り上げてしまった。
仕方の無い部分はある、あの体型にあの見た目だ。そして、一緒に召喚されたのが、前聖女を思わせる美しい容姿。それがさらにお前の思い込みを深めた」
なんだって?俺の思い込み?あの醜い女は贅沢したいだけの女じゃなかった?
「父上、私は…」
「愚かなのは私だ。お前の話しを鵜呑みにし、確かめもせずお前にあの大聖女を丸投げしたのだ。そして、贅沢をさせるなと指示を出し、晩餐にも招待しなかった、ただの一度も。この国の誰よりも必要な存在である大聖女様を、だ」
心臓が跳ね上がった。
何かとても恐ろしいことが起きているということはわかった。指先が少しずつ冷えてくる感覚がした。
「父上、いなくなったというのは…」
表情を一切変えない父上が殊更に恐ろしかった。両肘を自身の太ももの上に乗せ、組んだ手に顎を乗せた。そして真っ直ぐに私の目を射貫くように見る。
「聖女判定のあと、お前はどうしていた?」
あの時… あの少女が聖女じゃないことに衝撃を受けて…
「私は、あの少女が聖女ではなかったことにひどく動揺し、あの時の記憶はあまり定かではありません… ただ、少女が帰ってしまった悲しみと、あの女が私の正妃になるという絶望感で冷静ではいられませんでした」
父上は私の目を探るようにじっと見つめると、
「お前はあの時、大聖女をどうするかという指示を仰いだ側近の一人に、しばらくほっとけと言ったんだ」
っ…!その言葉を思い出し息を飲む私を見て、わずかに顔をしかめた父上は初めて少しの感情を見せた。
「あ…あれは、私のことをほっておいて欲しくて、まさか…それが…」
「お前の側近は実に忠実な犬だ。その言葉の通り、それから2ヶ月間大聖女を放置した。あの離れに、誰ひとり、行っていない」
言葉が出なかった。
それがどういうことなのか理解し始めると、震えと冷えた指先が痺れ眩暈がした。
「お前ばかりを責めているわけではない。あらゆる不幸が重なったのだ。私が愚かだったこと、お前が寝込んでしまったこと、側近がお前の指示をすべの使用人に伝え、第一王子に忠実な者たちはその指示に従ったこと。
さすがに少し心配になったが、宰相が指示を出しているだろうと思っていた、と言っていたよ。
宰相は宰相で、この度の召喚の儀はお前が執り行う事になっていた国家行事だ、聖女に関することはお前が指示を出していると思っていたと言っていた」
なんてことを… !
しかもあの離れは簡単に近付くことの出来ない場所で、私の指示がなければ誰も行くことが出来ないのだ。
「メイドは!あの時付けたメイドは護衛は?護衛もどうしたんです!?」
聖女と認定されたらすぐにあの少女に似合うドレスを着せ、ティータイムをとろうと思っていた。
だから、メイド3人と護衛2人を用意したんだ
「あのメイドたちは、大聖女様に暴力的な行為と暴言を吐いて護衛に下がるように指示され、護衛がお前と侍女長に報告すると言った途端、王宮から逃げた。もちろん捕まえたよ」
冷たい汗がとまらず、吐き気もする。私の選んだメイドと侍女長から薦められた二人のメイドが、なんて愚かなんだ。
「ひとりは大聖女様に直接的に乱暴な行為を行い、あと2人は終始侮辱する言葉を聞こえるように言っていたそうだ。だが大聖女様は聞こえないふりをしていたらしい。そして、その2人は公爵家のリリアーナ嬢が潜り込ませたメイドだった。聖女を王宮から出ていくように仕向けろという指示だったらしい」
リリアーナが!? まさか、まさかそんなことを… 私もリリアーナも浅はかでなんて愚かなことを…
「その、大聖女様は無事なのでしょうか?」
「ライル長官が部屋を調べたところ、大聖女様はご自身で魔法を習得されたようで、最終的には転移魔法でこの城を去ったようだと言っていたよ」
「…っ!転移!?…神の魔法ではないですか!この世界中誰も使うことのできない…千年前の大聖女様しか使えなかった、神の魔法…」
「ああ、我らの大聖女様は凄いお方だ。誰の何の指導もなく魔法を習得されたのだ。ただ、それはご自身の生命の危機を回避するために、偶然魔法を知ることになったのではとライルが言っていた。飲む水さえなく、1ヶ月2ヶ月知らない世界で放置されるとは、どれ程の恐怖だったろうな」
体がガクガクと震え、涙が流れていることさえも気が付かなかった。
「護衛からも話しを聞いたが、私との謁見の際、わざと粗末な菓子を置いておいた。
そして、私は大聖女様を1時間以上も待たせたのだ。大聖女様がまさか食事をとっていないとは思わず、用意した粗末な菓子が綺麗に無くなっていた皿を見て心底軽蔑したよ。
だが、大聖女様は前日からまったく飲食していなかったんだ。
可哀想に腹が減っていただろう。護衛に食べて良いかを確認したそうだ。護衛が否と言ったのを食べて良いと思ったらしく、ものの数分で完食したそうだ。
そのあと護衛に申し訳なかったと頭を下げて謝ったらしい。
大聖女様がこの王宮で唯一食べたものが、私が用意させた粗末な菓子だったなんて。私は…なんて愚かことを……」
そう言うと父上は執務室の奥に下がってしまった。
私はもう自力で立つこともままならず、護衛に支えられ私室に戻ると、気を失うようにベットに倒れた。




