七話 護衛の魔術師
帰ってくるのは二日ぶりといったところだが、体感では一か月ぶりだ。
自分の家に帰るのは本来普通でそこに対して何か感じることなんてない。むしろ、早く寛ぎたいという人がほとんどだ。
それなのに俺は不思議と屋敷の中に踏み込みたくない。今となっては目の前にある扉は地獄への門にしか見えない。
もう既にヴィンセントは王都から帰ってきており、俺が町に行ったのは門番経由で既にバレている。この後はもう王族の義務だの、約束事だの、がみがみ言われるに違いない。特にヴィンセントの説教は今まで会ってきた人の中でも断トツで長く、怠い。これを地獄と言う以外になんと言うか。
「なぁ。…これ、確実に怒られるよな」
「そうですね。少なくとも一時間以上は説教が続くかと。私には関係ないので頑張ってください」
アスラとは打ち解け、結構会話する量は増えたが、それでもやはり辛辣な言葉飛び交ってくる。アスラ曰く、それがもう慣れていて自然と出てしまうらしい。
「アスラも一緒に――」
「嫌です」
俺の言葉を遮り即答。まあ、ダメもとで説教を道連れにしようと思ったが、流石に無理だった。一人だと心細いが、複数人で怒られれば怖くないとも言うし。
「た、ただいま……」
俺は恐る恐るドアノブを回し、ゆっくりと扉を開けた。出来るだけ目線を下の方に向け、音を立てないように歩いた。
開いた瞬間にもはや殺気に近い鋭い視線を感じ、冷や汗が止まらない。ここで顔を上げれば、多分ヴィンセントの姿が視界に映るだろう。
「お帰りなさいませ。ヴァイス様。後で少しお話をしましょうか」
物凄く含みのある声で思わず、顔を上げてしまった。そしてヴィンセントの表情はいつも以上にニコニコしており、それが怖さを増していた。もう腰が抜けそうなくらいだ。
「え、えっと。……今日は疲れたから、明日とかでも――」
「駄目です」
何かしらの理由を付けて説教を回避しようと思っていたが、この状況では無理そうだ。
もうここまで来たら諦めるしかないのだろう。
「それで今日からヴァイス様には専属の護衛が付くことになりました。私が毎日ヴァイス様の傍に居れるとも限らないですし、今回のように危険な目に遭うかもしれませんので」
正直、護衛が付くと一人で居れる貴重な時間が削れてしまうので嫌だ。だが、今回の件のことを言われると拒否が出来ない。
どうせ護衛は筋肉馬鹿みたいな奴だろう。暑苦しくはなるだろうが、ヴィンセントみたいな奴が一人増えるかよりはマシだ。
「今日から護衛を務めさせていただきます。魔術師のクリスタ・フリーガンです」
俺の予想の斜め上をいき、護衛としてやってきたのは今の俺と年が変わらないくらいの可憐な少女だった。
銀の光を帯びた淡い金髪は、陽の光を受けるたびにまるで星のかけらのように輝き、腰まで流れるその髪は傷一つなく艶が出てている。瞳は澄んだアメジスト色。肌は雪のように白く、整った顔立ちはまるで人形のよう。身にまとうのは、公爵家に与えられた特製の護衛魔術服。白と紺を基調にしたそのローブは、魔術の加護を秘めつつも、貴族の誇りと威厳を滲ませている。
その背は高くない。けれど、まっすぐに立つその姿は誰よりも凛としていた。
まさかフリーガン公爵家の者が護衛をやるとは思わなかった。第一王子とアイリス・フリーガンが婚約したことでフリーガン公爵家は他の公爵家よりも権力が強く、第四王子の俺よりも権力が強いのだ。
しかもフリーガン公爵家の者は皆、宮廷魔術師となっており、誰かの護衛をやるなど前代未聞なのだ。
「えっと…、第四王子のヴァイス・フォルスフッドだ」
まともに目を合わせることは出来ず、しかも早口になってしまった。
それも仕方がない事、彼女――クリスタ・フリーガンは滅茶苦茶可愛い。しかも、好みがドストライクだ。
「それとアイリス・フリーガン様からの手紙と国王陛下からの贈り物です」
ヴィンセントはそう言いながら、手に持っていた手紙と剣を丁重に渡してくれた。
剣は新品で鞘から抜いてみればその刀身は鋭く、そして鏡を使っているかのように綺麗だ。重さも程よく、振り回しやすそうだ。
しかし子供に贈るものが剣なのは些か物騒な気もするが、この世界なら普通なのだろう。
そして手紙の内容は予想通りであった。ラータンが俺の事を心配し過ぎてアイリスに頼み、クリスタを送ってきた、との事だ。
「ちなみに……、護衛が付く期間はどのくらいなのかな?」
「ヴァイス様が独り立ちするまででございます」
独り立ちするまでということは王家の家名を捨てるまでということであり、それはよっぽどのことが起こらなければ独り立ちすることはありえない。
つまり、実質無期限で護衛が付くということだ。
それはそれでクリスタに申し訳ない気持ちが湧いてきた。もし独り立ちすることが無ければ彼女をここに縛りつけていることと同義である。自分の人生は自分で決めるもののはずなのにだ。
「ああ、それともう一つお伝えすることが。今まで二階の左奥の部屋を使っていましたが、少々狭いですのでこれからは右奥の部屋の方をお使いください」
「別に狭くないけど…」
「何を仰っているのですか。ヴァイス様とクリスタ様がお二人で使うのですから」
「……え!?」
頭の整理が追いつかない。何故、クリスタと一緒の部屋を使うんだ? 部屋は腐るほどあるのだから別々の部屋にしてもいいと思うのだが。
コミュ力皆無の俺が異性とふたりで一緒の部屋で過ごすとか無理ゲー過ぎる。それに寝るときはどうすればいいのだろうか? 俺が床で寝ればヴィンセントに説教されるし、かと言って一緒に寝るのは俺の心臓が持たない。いや、そもそもベットが二つあるのかもしれない。
もう考えるのは辞めよう。
「なんで、一緒なんだ? 部屋ならたくさんあるだろ」
「ヴァイス様は情報がいつ漏れて暗殺されるか分からない身なのです。常に行動を共にしなければ護衛の意味がありません」
「異性だとちょっと心臓に悪いというか……」
「あら、ヴァイス様は才能だけでなく度胸もないのですか」
ここでずっと黙っていたアスラが俺の心を深く抉るような辛辣な発言を入れてきた。
もうこの件に関しては諦めよう、そう思った。
「分かったよ。それじゃあ、ちょっと疲れたから部屋でやす――」
「ヴァイス様。まだお話は終わっていませんよ」
ヴィンセントはにっこりとした表情で過ぎ去っていこうとした俺の肩を叩き、そして腕を掴んでヴィンセントの部屋に連れていかれた。
そして、俺はそこで一時間半もの説教を受けることとなった。




