四話 初めての剣術稽古
引き出しの多い作業用の机、座り心地のいい椅子、少しおしゃれなカーペットに壁紙、良く分からない高価そうな絵画。埃一つないこの部屋は俺の執務室。しかし、肝心な執務が一つもないのだ。優雅に仕事をこなすのが憧れだったが、それは叶わない。
「暇だー」
王都から追放されて一か月が経った俺はフリーガン公爵家が治めるラグナにいる。両親からの温情なのか、少し年季は入っているが比較的綺麗な広々とした屋敷を与えてくれ、何不自由なく過ごせている。辺りは平原が広がっており、馬車で十分くらいした所には町がある。
ここまで手厚く用意してくれているのは良いのだが、一つ問題がある。両親の心配性が出たせいで魔物はスライム程度しかでなければ、金にも困らない。安全、安心、自由。だから、ここ一か月屋敷でずっとごろごろしていただけだ。これで本当に良いのだろうか。折角、異世界にまで来て何もしないって転生した意味はあるのだろうか。
「なあ、ヴィンセント。何かやることない?」
「ヴァイス様。心配は無用です。雑務は我々の方で処理しておきますので」
黒いスーツを着こなし、白髪の生えたイケてるおじさんは小さい頃からお世話になっている執事だ。凄く穏やかそうな顔をしていながら、若い頃は王国直属の近衛騎士団団長を務めていたことがあったらしい。今の雰囲気からは想像も出来ない。
「暇すぎて死にそうだよー」
「情けないわ。才能が全くないのですから、そのまま大人しくしておけばいいのですよ」
そして、ヴィンセントの隣にいるのがヴィンセントの一人娘であるアスラ。この屋敷でメイドをしてくれている。この世界では珍しい黒髪黒目でロングヘアの十代後半の女性。魔力のない俺を差別し、常に睨まれており、おまけに毒舌だ。黙っていればそこそこ可愛いし、頭の切れもいいし、魔術の才能もかなりある。
「アスラ。魔力の有無で差別をしてはいけません」
差別はしてくるものの、こうしてヴィンセントが止めてくれてはいる。まあそれでもアスラは懲りずに俺を差別してくる。なぜ、ここまで嫌われているのかは正直俺には分からない。
「ヴァイス様。何かやりたいのでしたら、剣術の稽古でもつけてあげましょうか。護身程度にはなるでしょうし」
「おぉ! やりたい!」
これでついに地獄のような暇な時間から逃れられることが出来る。折角の異世界なので本当は魔法を使ってみたかったが、生憎、魔力がないのだから仕方がない。それでも異世界の剣術を学べるのは割と楽しみだ。
「ふっ。どうせ無理よ」
「アスラ。差別はいけませんよ」
まあ確かにアスラの言っていることは間違っていない。この世界は魔力によって魔法の質だけでなく身体能力も変化する。だから、魔力なしの俺の身体能力はこの世界で一番低いということだ。この世界の常識で考えれば、まともに剣を振れるかどうかのレベルだ。
しかし、俺は前世で剣術は学んでいる。俺を引き取ってくれた親戚の家は剣術道場をやっていて、数年ではあるが一応習っていた。ちなみに流派は沖田総司などが使っていた天然理心流だ。
「それでは早速、庭の方でやりましょうか」
天気は絶好の運動日和で、無駄に広い庭は低い芝がぎっしりと詰まっている。この屋敷に住んでから三回目くらいだが、やはりと言うべきか土が柔らかく踏み心地がいい。
ヴィンセントは木剣を二本持ってきており、その内の一本を俺に渡してくれた。持った感覚は重くもなく、軽くもなく丁度いい重さで長さも振りやすい長さだ。それに結構丈夫そうだ。
前世で使っていた木刀とは違うので少し振り方を変えないといけないが、そこまで不便ではない。
「ヴァイス様。それでは私に攻撃をしてください。まずは腕のほどを見ます」
対人戦で一番重要なのはと言えば、やはり相手との間合いだ。この間合いの駆け引きで勝負がすべて決まると言っても過言ではない。果たして自分の剣術がどこまで通用するのか。
始まってから十秒、俺もヴィンセントも一歩も動きがない。流石にこれでは稽古にならないのでこちらが一歩踏み出す。それでもヴィンセントは動くことはなかった。それどころか余裕そうな表情までしている。
間合いの詰め方は色々な方法があるが、俺は基本的にすり足で移動することが多い。すり足で動いた方が、反応してから地面を踏むまでの時間が短く、機動力がある。普通に歩くのとそこまで差がないと思うかもしれないが、コンマ一秒の差が勝敗を分けるときも結構あるのだ。
腰を下げ、軸をぶらさないように意識する。
ついにヴィンセントとの間合いの中に入り込み、構えた木剣を少し上に上げた。そして合間なく、ヴィンセントに向かって振り下ろす。まだまだ余裕なのか、表情一つ変えずにいなされた。すかさず、左胴打ちしたもののやはり止められる。
「――ふっ!」
今度は一歩後ろに引いて突いてみたが、これも軽々と止められてしまった。その後も何度も試行錯誤し仕掛けたが、結果はどれもいなされた。
そもそも勝てる相手ではないと分かっていたが、まさか一回も攻撃が入らないとは思わなかった。
「ヴァイス様。剣の腕は素晴らしい才能です。あとは経験と体力が付けば、一般の騎士よりも強くなるかと思われます」
前世で習った剣術は意外にもこの世界で通用するらしい。俺は別にそこまで剣術が上手ではなく、経験者の中では中の中くらい実力だ。それがこの世界での一般の騎士より強いレベルなのだから、師匠とかのレベルだったら騎士団長くらいの実力があるのではないだろうか。
まあ、俺には魔力が使えないというブランクがあるから実践ならば結構きついだろうが。
「ちなみに一般の騎士の強さってどのくらいなんだ?」
「そんなのも知らないの? オークぐらいの強さよ」
口は毒舌だが訊いたことは答えてくれている。しかも、汗を拭く用のタオルもしっかり持って来てくれている。もしかすると、アスラは根は親切なのかもしれない。所謂、ツンデレってやつだ。
オークがどのくらいの強さなのかいまいち分からないが、俺がモンスターと対峙するときはオークくらいまでの強さなら勝てるということが分かっとけばいいだろう。
そもそも、この世界にどんな魔物がいるのかしっかりと把握は出来ていないし、今の所スライムとオークはいることぐらいしか分からない。ラノベとかゲームとかの世界線と似ているなら、ゴブリンとかその辺りはいるだろう。
「タオル、ありがとう」
一応、お礼は言ってみたが案の定しかとされ、俺に背を向けてそのまま屋敷の中へと帰っていった。正直ここまで冷たい態度なのは心が傷つく。
「すみませんな」
「あ、いや、全然大丈夫だよ。別に困ることじゃないし」
アスラが俺に冷たくして、それをヴィンセントが注意したり、俺に謝ったりする。それがこの屋敷の日常と化してしまっている。最初の方こそは何か思う部分もあったが、今ではもう当たり前すぎて逆に微笑ましいとまで感じてしまう。
こんな日常もいつまで続くのだろうか。




