二十二話 圧倒的実力
ダエムの黒い触手は寸前の所で焼き切れた。
黒い触手は燃え、次々と屑となって地面に落ちてゆく。
死を覚悟していたが、どうやら何かが起きて奇跡的に生き延びたらしい。
それも幸運と言っていいのかは分からないが、少なくとも助かった。
「嫌な予感がして来てみれば、まさか俺の領地に魔族が潜んでいたとは……。昨日ぶりだな小僧」
ゆっくりと後から足音が近づいて、その声の主はこの世で考え得る限りの最強の助っ人。
後方から来たりしは、人類最強の男――ミカボシ・アマツ。
その男が来ただけで状況は一変、圧倒的不利な立場から優位な立場へと。
「なんだ。また邪魔者が来たのか」
しかしながら、ダエムは邪魔者と称した者が人類最強の男とは気づいていない様子。
その表情に一切の変化はなく、まだ愉しんでいる。
この後に絶望するであろうと思うと少し憐れに思えてくる。
「お前ら、後ろに下がってろ。少し危険なんでな」
ミカボシは前に両腕を裾の中に入れて組みながら、俺達の横を通り過ぎて一歩半前と出てきた。
見るからに近接戦闘が得意そうだし、模擬戦をやった時も魔法を使う気配は全くなかった。それなのにそれ以上近づいていこうという意思は見て取れず、敵を前にしても戦闘態勢にはならない。
流石は人類最強と呼ばれているだけあり、あの魔族は取るに足らない存在なのだろう。
「人間が何人集まろうと結果は変わらないよ。大人しく僕に殺されな」
ダエムの周囲を覆うかのように影は広がり、そこから無数の黒い触手が現れる。
うねりながら出現するその触手は一種の生命体のようにも見え、陸に上がった魚が飛び跳ねているかのように暴れている。
やがて、周囲五メートルは地面がどす黒く、そこから生えてくる触手の数は増えていく一方。
今までいかに遊ばれていたのかが、それだけで理解してしまう。
しかし、ミカボシはそれを意に返さず、平然とした表情で立ち尽くしている。
それは絶対的自信がある故なのか、あれから眉すらも動かずにいる。
「もしかして、僕にビビってる?」
黒い触手が増える中、相手を煽るように放たれた言葉は常人ならば、反論ぐらいはするだろうが、ミカボシはただその様子をジッと見つめるだけで言葉を発そうとすらしなかった。
その態度に気に喰わなかったのか、ダエムは顔をしかめた。
「あのさ、無視しないでもらえる? 君ちょっとむかつくから今すぐ殺してあげる」
瞬間、ぴくぴくと動いていた触手はピタリと止まり、先の部分が全てミカボシの方へと向く。
それが少しずつ動き、攻撃のタイミングをずらそうと狙いを定める。
次に瞬きした瞬間、黒い触手は一斉にミカボシを襲い、その速度は先程までの比にはならない程に速く、音を置き去りにしている。
だが、その触手はミカボシに当たる前に燃え尽きて灰となって崩れ落ちる。
何が起きたのか、その場を理解しているのはミカボシ本人以外にはおらず、ダエムもその出来事に驚きを隠せていなかった。
「な、なぜ!? 人間如きに防がれるなど………」
その攻撃を受け、やっとミカボシは袖から手を出し、敵の方へと近づいていく。
決して言葉を交わさず、ただ無言に敵の方へと歩いていくその姿は誰しもが想像する最強の振る舞いそのものだ。
ダエムの口数も勢いも最初の方と比べて減っており、その表情に焦りが垣間見える。
理解したのだろう。目の前にいるのは絶対的強者であり、自分の存在など目に映っていないことを。圧倒的実力差を。
「変わらないな。お前たち魔族は…」
ダエムの影に入ったあたりでやっと一言を紡ぐ。そこには憐れだと思う気持ちと確かに静かな怒りが込められていた。
左手の手のひらを前に、右手を後ろに構え、深く呼吸を一つ。手の周りから微かに火花が散り始める。
「格闘術、壱の型――《熱波》」
後ろに構えられた右手は空気を押しだすように前に突き、火花が蒼い炎へと変わったその時に攻撃は繰り出された。
目の前にあった周囲の木々は燃えつくされ、敵は大きな火傷を被い、満身創痍。その熱は後方にいるはずの俺達にまで伝わってくる。
その一手で勝負が決したと言っても過言ではない。
勝負はもう既に決しているが、ミカボシはダエムの方へとゆっくり歩いていく。
その意図を汲み取ることは出来ない。
倒れている敵の前まで近づくとしゃがんで何か言葉を発している。
だが、その言葉は聞こえるはずもなく、何を言っていたのかは不明。
そして、言うことを全部言ったのか、満身創痍のダエムを燃やし、とどめを入れた。
「お前たち、大丈夫だったか?」
「そこまで酷い怪我はありません。助けていただきありがとうございます」
前回は最強の冒険者、今回は人類最強の男、これだけの大物に二度も助けられるなど運が良すぎて逆に怖い。
だが、そんな考えは端の方に捨て置いて、今は最大限の感謝を込める。
「そこまで畏まらなくてもいい。状況説明をして欲しいから俺について来い」
そう言い、ミカボシは来た方向へと先導するように歩いていき、俺達はその後ろから付いて行った。
***
名もなき英雄の解き放った強力な一撃、それはペルフィドに直撃すると思われていた。
しかし、その一撃をペルフィドが受けることは無かった。
それを不思議に思い、瞑っていた目を開き、状況を確認すれば、目の前に居たはずの名もなき英雄の屍はおらず、そこにあるのは空虚のみ。
その場にいた全員が何が起きたのか理解することも認識することもできなかった。
分かったのは忽然とその姿が消えただけであり、その結果として生き延びることが出来たということだけ。
「ぺ、ペルフィド様!!」
魔術師のディアは安堵と喜びで胸が一杯で、その勢いのあまりペルフィドに飛びつく。
本来ならば不敬に当たるのだろうが、状況が状況なので仕方がないとも言える。
「私、わたし……」
改めて冷静さを取り戻したのか、今までの行動を振り返り、自分の不甲斐なさに後悔し、涙を流す。
自分の主人を助けることが出来なかったことが相当に悔しかったのだろう。
「助けてくれてありがとう。ディア」
それを察したペルフィドは意図を汲んで優しい言葉をかける。
その言葉にディアは我慢して抑えていた涙が溢れだし、溢れんばかりの想いをペルフィドは受け止める。
結局、誰が救ってくれたのかその真相は闇に葬られたままだが、今は生き延びたことに感謝するほかなかった。




