十一話 闇に包まれた者
「はぁ、はぁ、はぁ……」
視界は霞みはじめ、もう腕を上がることさえ厳しい。
毎日素振りをしていたし、体力作りを疎かにしたことはない。自慢ではないが、学校でも体力は上位十位以内は入っている。
だが、それを遥かに上回る圧倒的量に押されているのだ。
限界も近く、後ろは壁。
それでもゾンビは湧き続け、聞こえるのは唸り声と自分の荒い息のみ。
死体はまだまだ燃え続けているが、最初の頃よりも大分火が弱くなっていて、見える範囲が狭くなっていた。
これが完全に消えれば、もうゾンビをまともに斬ることさえも叶わないだろう。
未だに冷静さを保ててるのは、死体に血がないことだ。ゾンビを斬ってことで返り血を浴びたり、地面が血で濡れるということはない。
ゾンビ映画とかではよく、血塗れのシーンが描かれる。それをイメージしていたせいか、逆に違和感を抱いてしまう。が、血塗れにならないだけましだろう。
「やべぇな……」
向かってきたゾンビをひたすらに斬り続ける。その速度は段々と遅くなっているため、腕にしがみつかれたりもするが、どうにか振り切る。
だが、その余計な動作が入ることで更に体力を消耗する。これぞ悪循環。
いつまで斬り続ければいいのか、いつになったらおわるのだろうか。そんなことを考えれば考えるほど、目の前の状況に絶望する。
もしかすると誰も助けに来ず、このまま死んでしまうかもしれない。
百体以上は斬ったせいか、不思議と最初の時のゾンビを殺すことへの抵抗もいつの間にか無くなっていた。
慣れてしまったのか、はたまたゾンビだからなのか、それは分からない。
申し訳ない気持ちはあるが、それ以上に自分の身の安全の方が重要で、仕方がない事なのかもしれない。
「――っ!」
隙が生じてしまい、背中から押され、バランスを崩した。
それは些細な事かもしれないが、この場においてそれは致命傷、いや最悪の状況そのものだ。
バランスが崩され、剣を手から放してしまう。それに加えて、腕や足が掴まれ、ほどこうにもほどけない。
これではもうどうすることも出来ないし、こればかりは誰かが助けてくれるのを願うことしか出来ない。
そして、あまりの疲労のせいか、俺の意識は底に沈んでいった。
***
周りは暗く、それを照らす明かりもない。自分が今、どこにいるのかも分からない。
どこ壁でどこが通路なのか。手探りで周囲を確認しようとも、そこには何もなく、ただの空気しかない。
気が付けば、アスラはそんな状態になっていた。
先程まではヴァイスと一緒に行動していて、目の前に大量のゾンビが現れ、いざ戦おうとしたらいつの間にかこんな所にいたのだ。
他に誰かいる気配もないし、水の流れる音もしない。
もしかすると、ここは地下水道ではないどこか、なのかもしれない。
「ようこそ。私の研究室へ」
突然、どこからともなく声が響いた。そして、それとほぼ同時に周囲が明るくなった。
目の前に広がっていたのは巨大な鉄の扉。その扉は少し錆びついており、黒色の扉の所々に赤い錆びが見られる。それと扉の前に立っている闇に包まれた者。その者の姿形は見えず、表現するとすれば闇そのもの。そのようにしか見えない。
「誰?」
アスラは警戒を高める。
ただでさえ、知らない場所に飛ばされているのに、そこにいた人を警戒しないことがあるだろうか。いや、ない。
極めつけは闇。それがアスラの警戒心を一気に引き上げた。
少しの間をおいて、闇に包まれた者は話し始める。
「自己紹介が遅れました。私の名前はマード。七大罪《強欲》を受け賜わりし者です」
一言喋るたびに周りの空気は淀み、恐怖を与える。その場に居ればいるほど、凄まじい圧を感じる。
そしてアスラはその圧にあてられ、一歩も動けずにいた。
そして何も喋れずにいた。
「私はとにかく、欲張りでね。君は私と一緒の雰囲気を感じるんだよ。アスラ・エリュシオン」
アスラはその一言を聞いて、顔面蒼白になった。
一部の人以外は誰も知らないはずの自分の本名を。それを知っているということは、相手は限られる。が、それでもそんな人物など一人も見当たらない。
あるとすれば、皇族の誰かが、暗殺を試みるくらい。しかし、目の前の者はアスラを暗殺しようとは微塵も思っていない。
「何で、知っているのか? そんな顔だね。さっきも言った通り、私は欲張りでね。君が欲しいから、君の情報は片っ端から集めたんだよ。帝国の第三王女として生まれ、親から見捨てられた哀れな忌み子」
気持ち悪い。
そんな言葉では片づけられない程に目の前にいる者はやばい。
それでもアスラは逃げることは叶わない。いや、逃げても無駄ということを悟ったのだ。
もし、この場から逃げれたのなら、会った瞬間に逃げていた。
「辛いでしょ。苦しいでしょ。憎いでしょ。復讐したいとは思わないのかい? 私の元にくれば、その全てが叶う。こちら側においで」
それは悪魔の囁きだ。
アスラにとって一番触れては欲しくない部分。それを敢えて触れることでマードは自分のものにしようとしている。
しかし、アスラは葛藤していた。
確かに、帝国のことは憎いと思っている。別に悪いことをしたわけでもないのに理不尽に怒られる毎日。その挙句に追放。
それでも今は育ての親であるヴィンセントが、危機に際し駆けつけてくれたヴァイスがいるのだ。
「さぁ。こちらへ。ヴァイスが妬ましいとは思わないかい? 彼は追放された筈なのに両親には愛してもらっている。君とは真逆で、ね」
そして、その一言でアスラの考えはまとまった。
彼女がヴァイスを嫌っている頃ならば、それは成功していたかもしれない。
しかし、今の彼女は違う。
誤算があるとすれば、アスラとヴァイスの仲は悪いと勝手に決めつけたことだろう。
「断るわ。ヴァイス様を侮辱するあなたは許せない。ヴァイス様は私の命の恩人で、生涯でただ一人の主よ」
悍ましいほどのこの圧に逆らってアスラは声を振り絞った。
今、全力で出せる声で訴えた。
出来れば、これで退いて欲しい。その言葉を心の中で何度も繰り返した。手も足も震えながらも我慢強く、その場に立ち続けた。
それが功をなしたのか。
「あれ? 君はヴァイスと仲が悪いはずだった気がするけどな…。いつの間に仲良くなったのかな? まあいいや。今回は諦めるよ。そろそろ君の仲間もきそうだし。でも、次は必ず君を貰う」
そう言い残して闇に包まれた者は去っていった。
それでもまだ、空気の淀みは戻らない。この場には恐ろしほどの圧が残り続けている。アスラの脳裏に恐怖の二文字が刻まれた。
それでもアスラは勇敢に闇に包まれた者に立ち向かった。そのお陰で命拾いしたともいえる。
そしてアスラは闇に包まれた者が去っていったのを見て、少し安堵した。




