十話 地下水道の調査
コンコルディアの地下水道。そこは暗く、灯りも一切ない通路でそこに聞こえるのは水の流れのみ。
灯りを持っていなければ、今頃は迷子になっていてもおかしくない。
無言の時間を反響する足音で掻き消す。それで気まずさは大分無くなったものの、どこか落ち着かない。
少し先を進めば、左右に別れる通路、分岐点が現れる。
「それじゃあ、ここからは僕達が左と君達が右、二手に別れて捜査しよう。地図は渡してあるから、印がある所で合流しよう」
「ああ」
俺はそのまま右側に進んで行く。
ペルフィド達三人が居なくなったことで足音が小さくなる。そして、相も変わらずクリスタは何も喋らない。
正直、ここまで無口だと嫌われているのではないのかと思ってしまう。いや、心当たりはないが実際そうなのかもしれない。
「ヴァイス様。前方から何者かの足音がします。気をつけてください」
足音がこちらに向かって来ている。それもかなりの数がいるかもしれないほどに。
まだ灯りが届く範囲には入っていないが、足音が人間のそれではない。ぺちゃ、ぺちゃ、そんな感じの音が途絶えなく聞こえてくる。
俺は腰にぶら下げている剣を鞘から抜き出し、前に構える。
真剣を構えるのは前回の実践稽古以来。あれから、時間がさほど経っているわけでもなければ、強くなったわけでもない。正直、勝てるのかどうかも分からない。
「来ました。あれは――」
視界には入ったのは青ざめた顔、目玉はくり抜かれていて黒ずんでおり、唇には色すらも残っていない。そして、全体的に動きが不自然。
それはまるで、
「――ゾンビです。後ろに下がってください」
ゾンビ映画のようだ。
あれは魔物でも人間でも生物でもない。あれは死者、屍。
実際に前にしていたら分かる。とんでもなく気持ち悪く、嘔吐しそうなほどの嫌悪感を抱く。本能が無理だと言っているのだ。
それでもそれを全てを振り切って、もう一度剣を構えなおす。
ゆっくりと深呼吸をし、冷静さを取り戻そうとする。それでもなお、その恐怖が薄れることはない。
「ヴァイス様! 何をやってるのですか!?」
俺の真横でアスラはひたすら、俺に下がるよう説得してくる。
それは善意で、俺の安全を考えての事だということは全て分かっている。が、ここで引けば何かが崩れ落ちそうで、怖くて他ならない。
少し震えた腕を止めようと力を入れれば、今度は逆側の腕が。そこを止めようとすれば、今度は足が。
これが俗に言う武者震いと言うのかもしれない。
「ヴァイス様!!」
「大丈夫だ。絶対、大丈夫だから」
そんなやり取りをしている内にゾンビとの距離はかなり縮まっていた。
俺は一歩前へと踏み出す。時間が経つ度に前の実践稽古でのことを思い出してしまう。命の危機に晒される恐怖も命を刈り取る恐怖も知っている。その恐怖が脳裏に刻まれ、無意識のうちに怖がってしまう。
目の前にいるゾンビに命はもうないのだ。だから、ここで殺しても、本当の意味では殺していない。それでも、どうしても生きているような者にしか見えない。
「ふぅーーー」
もう一度、ゆっくりと、深く、そして長く吸って、吐く。
それを何度か繰り返したときにはもう、ゾンビとの距離は二メートルくらいに縮まっていた。
ゾンビの数は一、二、三、……、十は優に超える。
人数では圧倒的に不利。それにもう死んでいる相手を殺す方法など存在するのだろうか。あったとしても、俺には出来ない可能性がある。この時点でもうほとんど勝ち目は薄い。
もう一度、初心に返って構えを直す。
天然理心流の基本の構えともされる《平晴眼》。
左の肩を引き右足を前に半身に開いた構え。刀を右に開き、刃を内側に向ける。通常、突きと言うものは外れると後が無い危険な技とされているが、この構えで攻撃を行えば、仮に突きが外されてもそのまま刀を振って相手の頚動脈を斬りに行く事が出来る。
そしてゾンビとの距離はほぼゼロ。相手の喉元を目掛けて突き刺す。
そしてそのまま首を切り落として、次に近づいてくるゾンビを斬りつける。その繰り返し。
首を落としても、心臓らしき部分を斬っても、動き続ける。足を斬れば手で這いつくばり、手を斬っても顔で、最後に首を斬ってようやく動かなくなる。それでも唸り声は鳴る。
幸いを言うべきか、回復するようなことはないので無限という訳ではない。
「……はぁ、はぁ」
かなりの数を斬ったはずなのだが、それでもまだ通路の向こう側から、ぞろぞろと大量のゾンビが出てくる。終わりの見えない戦い、それに体力の限界が近い。
「アスラ、クリスタ、これ以上は無理だ。逃げ――」
後ろを振り向けば、二人ともどこかに消えていた。そこにあるのは松明ただ一つ。それがゾンビの死体(?)をこんがり焼いていた。
どこに消えてしまったのか、見当もつかない。が、悲鳴も何も聞こえないことから、少なくともどこかで生きているのは間違いないだろう。
***
ヴァイス達と別れた後、ペルフィド達は反対側の左側の通路へと進んで行った。
進んでも、進んでも景色は変わらない。なんの変化もなく、前へと進んで行く。
「ペルフィド様。ここは、我らに」
何もない所から目の前にいきなり人が現れた。まるで転移してきたかのように唐突に。
しかし、よく見ればそれは人ではなく、ゾンビ。その体の大きさは尋常ではない。鍛え抜かれた筋肉、そして圧倒的な魔力量を有している。
「いや、ここは僕が倒すよ。あれは多分、君達じゃ荷が重い。悪いけど君達はこの地下水道を出て、上に連絡してくれないかな。思っている以上に深刻かもしれない」
「了。ペルフィド様も気をつけてください」
「ああ」
そのままペルフィドの護衛二人は来た方向へと逆戻りしていった。
これでこの場に残るのは二人、邪魔も何も入らない二人だけの空間だ。
ペルフィドは所持していた剣を構える。そして、またゾンビの方も構える。
張り詰めるような緊張感、どちらかが動けば勝負は始まる。それなのに始まらない。両者とも、相手の動きを見据えて、警戒する。
「燃え盛れ――《ファイア》」
そう詠唱すると、剣から炎が出てくる。否、実際には炎を付与している。
ゾンビ相手には光魔術、もしくは火魔術で対処しなければならない。それが常識であり、一番効率がいい。
だが、目の前にいるゾンビにはこの常識が通用しない、そう思えて他ならない。
しびれを切らし、ペルフィドは半歩前へと進む。
と、その瞬間、ペルフィドの顔の前には一つの拳があった。距離は三十三センチもない。
そしてそれを剣で振り上げて、ギリギリの所で拳を受け止める。
もし、一秒でも遅ければ、今ので決着がついていたかもしれない。
拳と剣がぶつかり、火花が炎の中に散っていく。
ゾンビの拳は燃えている。それでも威力は落ちない。それどころか、時間をかけているにつれ、力が強くなっている。
「帝国式――《圓》」
体を横に半歩ずらし、腕の力を抜く。拳はそのまま真っすぐ、そしてゾンビの体も勢いのまま前へと倒れる。
そして、ペルフィドはそのまま回転し、勢いを殺さずに首に目掛けてて斬りかかった。
「……これは分が悪いですね」
びくともしなかった。首を斬るどころか、傷一つもつかない。
どこまで鍛えぬけば、そこまで堅くなるのかも分からない程に堅く、勝機も潰えた。
ペルフィドはゾンビの反撃をもろにくらい壁にぶつかった。
意識は保っているものの、もう剣を振る余力は残っていない。




