プロローグ 死亡
新連載開始!!
昔から人と関わることは苦手だった、と思う。昔の自分がもうどんな風だったのか、なんて思い出せないので確信があるわけでもない。三十年間、それなりに周囲とは上手くやれていたとは思うし、人と話すのに苦手意識があるわけでもない。
一緒に遊んでいた友達もいたし、相談できる人もいた。だけど、社会に出てからはそれがいつの間にかいなくなっていた。だから多分、俺は人と関わるのは苦手なのかもしれない。
「あのー、先輩。資料が出来上がったんですけど、見てもらえますか?」
俺が後ろを振り返れば、手元に資料を抱えた、少し明るめの茶髪でポニーテールの女性がいた。
彼女の名前は清水桃華。彼女はまだ入社して一年目にして超優秀で期待の新人とも言われている。容姿端麗で愛想もいいので、会社の中では男女関わらずの超人気者。
そして、俺は彼女の教育係。というのも名ばかりで実際の所、教育係らしいことをしたのは最初の三か月程度だ。普通は三年もの時間が必要なはずなのだが、たった三か月で全てのことを完璧に覚えてしまった。
「分かった。確認しておくよ」
多分、この資料を確認しても修正するところは何もない。
修正がないのは良いことなのだが、あまりにも出来過ぎていてこちらの自信が無くなってきてしまう。だから、正直この資料を確認したくない。
そう思いつつ、俺は資料を確認し始めた。
流石と言うべきか、見やすい構図でとても助かる。これは本当に入社して一年目の新入社員が作ったのか目を疑うほどだ。下手したらベテラン社員よりも見やすい。
三ページ目をめくった所で、誤字の箇所を見つけた。誤字をするのは本当に珍しい。一か月に一回あるかないかの確率だ。
やはり、どんなに優秀でもミスをすることはあるということが、これで証明された。とは思ったものの、圧倒的実力差を痛感してしまう。
「冴吹先輩。今日、飲みに行きましょうよ」
資料を確認し終えたと思えば、今度はとにかく性格が明るい茶髪の爽やかな青年が俺に話しかけてきた。彼の名前は日比野太陽。彼もまた俺が教育係を担当している。
入社二年目でこっちも結構、優秀な方ではある。彼は一年程で完璧に覚えた。なぜ、俺が担当する奴はここまで優秀なのだろうか。いつも疑問に思う。
「お前が仕事を定時に終わらせることが出来たら、考えてみるよ」
「マジですか! 約束ですよ」
彼はそう言い残して、自分の持ち場に帰っていった。
いつも定時に即刻、家に帰っている俺は今まで飲み会に行ったことがない。これまで、毎日のように彼から誘われていたが、全て断っていた。流石に可哀想なので今日だけは行ってやることにした。
仕事も順調に定時前までに終えることが出来た。日比野は滅茶苦茶楽しみにしていたのか、いつもより早く終えていた。
「冴吹先輩。待ちましたか?」
自分のデスクで水を飲みながら待っていれば、日比野とその隣には清水がこちらに向かって歩いてきた。
「いや、別に待ってないよ」
「では、行きましょう!」
相変わらず元気な日比野は先導して先に進み、俺と清水はその後ろについて行き、店に向かった。
道中は会話がない。なんてことはなく、以外にも賑やかだった。まあ、ほぼ日比野が一人で喋っていた感は否めないが。
こうして同僚の人と気ままに話すのも案外悪いものではないと思った。
「それにしても、流石ですよねー。冴吹先輩は毎日定時までに仕事終わらせるとか、どんだけペースが速いんですかー。清水さんもそう思いますよねー」
「そうですね。どうやったら、あそこまで早く終わるのですか?」
そこまで凄いことなのだろうか。別にある程度慣れていけば、あとは集中してやるだけで定時で終わる。そこまで仕事量が多いわけでもないのだ。
日比野も清水も優秀だし、その内俺よりも仕事を早く終えている可能性の方が高いし。
「慣れれば出来るよ」
「おーお。流石、『定時帰りのベテラン社員』ですねー」
「なんだ、そのおかしな異名は?」
「会社では皆、そう呼んでますよー」
定時帰りなのは認めるが、決してベテラン社員とまではいかない。なんなら、日比野や清水の方がよっぽどベテランに見える。
そして何より、その異名は恥ずかしい。誰だよ、付けた奴。
「そう言えばー。冴吹先輩は彼女とかいないんですかー」
いやいやいや。彼女なんかいるわけがないないだろうに。まともな友人すらもいない俺に彼女なんて出来ていたら、それこそおかしい。
こうして否定するのもなんか傷ついてしまう。
「いるわけないだろう」
「えぇー、ほんとですかー?」
「逆になんでいると思ってるんだ?」
これは相当、酔っているのだろうか、それともこれが普通なのかが分からない。
これは、俺への当てつけなのか、それとも揶揄っているのか。
「そうですね。先輩は会社の中で人気ありますからね」
今まであまり喋ってこなかった清水がここに来て日比野の話に乗っかて来た。
正直なところをいうと、ここで話の流れを断ち切って欲しかったのだが、その願いは叶わなかった。
「いやいや、俺のどこが人気になるんだよ」
俺がそう言った途端、日比野も清水も呆れたような視線をこちらに向けながら、大きなため息を吐いた。
なぜ呆れられているのかは全く分からないし、心当たりも当然ない。
「そういう所ですよー。冴吹先輩」
「確かにそうですね」
一体、どういう所なんだよ。それが全く分からないんだが。
ここで聞いても教えてくれそうな雰囲気では無さそうだ。
二時間が経過し、俺は初めての飲み会を終えた。今まで酒をあまり飲んだことはなかったのだが、案外俺は酒に強かったようだ。
帰り道は日比野とは反対方面で、逆に清水とは同じ方面であった。日比野がいないせいか、やはり無言で歩いている状況が続いていた。
正直、日比野がいてくれた方がこの気まずい時間を乗り越えられたと思う。
「先輩。その大事なお話があるのですが、いいですか?」
長いことこの気まずい雰囲気を清水が断ち切った。
それにしても大事な話とは何なのだろうか。もしかして、転職とかの話か、いやそれとも誰かにいじめられているのか。
「そ、その……」
言葉を一文字、一文字、綴りながらゆっくりと話始める。そのたどたどしさから、何かとても言いにくい話なのが分かる。
やはりかなり悪質ないじめでも受けて、その相談をしようとしているのだろうか。
「せ、せ――」
清水がその言葉を言いかけた途端、俺の意識が遠のき、目の前は真っ暗になった。
平衡感覚も分からず、今立っているのか、座っているのかすらも分からない。それに加えて、音も何も聞こえない。
死んでしまったのだろうか。それにしては、少しも痛みがない。
酔って気絶でもしたのだろうか。気絶ならば、意識があるのはおかしい。
それにしても、清水の言いかけたあの言葉の続きは何だったのだろうか。
そして、風間冴吹は三十歳と若くしてこの世を去った。




