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その匂いは、私の痛みじゃなかった

 足首、またやっちゃったかもな……。

 芝生は、思ったより濡れてた。転ぶのは慣れてるけど、

 凌の前で座り込んだのは、なんか、ちょっと、悔しかった。


「……大丈夫かよ」


 声をかけてきた彼に、私は即座に「平気」って返した。

 それが癖みたいになってて、本当のことが、いつも言えない。


 彼は何も言わずに、腰に巻いてたジャージを外して、私の後ろに敷いた。

 私は黙って、それに腰を預けた。


(……やっぱり、優しいよね、あんた)


 そう思った自分に、少し笑いそうになった。

 ちょっと、ドキッとしたのも、否定しない。


 部活が終わって帰ろうと部室にカバンを取りに行った。

 その時、部室の戸が開いてた。声をかける前に、足が止まった。


 中で、何かが聞こえた。

 布のこすれる音と、息をのむ気配。


(……ん?)


 私は、そっと覗いた。

 そこにいた凌は――私に敷いたジャージを、顔に当てていた。


 目を閉じて。

 まるで、何かに酔っているみたいに。


 私は、一歩だけ、後ずさった。


 頭が真っ白になった。

 言葉が、出てこなかった。


 でも、次の瞬間、自分の口が勝手に動いていた。


「……なにしてんの、滝川」


 彼が跳ねるように振り返った顔を、私は忘れないと思う。

 あんなに情けなくて、あんなにバレた子どもみたいな目。


「私の心配じゃなくて、欲望でやったんだ」

「私が痛がってたの、利用したってことじゃん」


 言いながら、胸の中が痛かった。

 本当に、そう思ったわけじゃない。

 でも、そう言わなきゃ、自分が崩れそうだった。


 信じてた。

 本当に、信じてた。

 あの時のジャージのぬくもりも、彼の目も、優しかったって、信じてた。


 でも、その手が、あんなふうに私を使ってたって思ったら――

 もう、何を信じていいかわからなかった。


「最低。ほんと最低」


 それが、今の私に言える限界だった。

 怒鳴ることも、泣くこともできなかった。

 あんなバカみたいなことされて、本当は、傷ついたって言いたかった。


 でも言えなかった。


 たぶん私は、“信頼”を奪われたことが、一番苦しかったんだと思う。


 家に帰って、静かな部屋の中で、私は膝を抱えて座った。


 彼が嗅いでいたのは、あのときの私の痛みじゃない。

 それは、私の“身体”であって、“心”じゃなかった。


 その事実が、

 一番――冷たかった。



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