間接キスと、においの記憶
――それは、音と唇が触れた記憶。とんでもない匂いが、恋心をかき乱す。
Scene:音楽室前/マウスピース、濡れたまま
「ほら、持っといて」
「えっ、ちょ、これって――」
「吹いたばっかのマウスピースだよ?……どうせ、お前なら抵抗ないでしょ?」
そう言って、真帆はトランペットからマウスピースをすぽっと外し、
濡れた銀色の金属を、凌の手のひらにぽいと置いた。
(ぬっ……温かい……てか、まだ湿ってる!)
唇のあとが、うっすら残っている気がする。
温度、湿り気、そして――
鼻先に、ほんのり漂ってくる匂い。
「え、これが真帆の……口のにおい……?」
「……変態か?」
「違う!いや違わないけど違う!!」
Scene:においの観察記録(脳内)
(まず、唾液成分由来のわずかに酸味ある匂い。あと、チューニング前の呼気と汗の香り……)
(歯磨きしたてのミントと、たぶんガムも。あと、金属の匂いに混じる生体成分……!)
(これが……“マウスピースのにおい”……!)
凌の脳内、完全にフル回転。
もはや顕微鏡レベルの分析モード。
だが――
「……つーかお前、顔、真っ赤じゃん」
「!!」
真帆はくすっと笑う。
「ちょっとさ、間接キスくらいで照れてんの、かわいいんだけど?」
「いや、それを言うなああああああああ!!」
凌、床を転がって悶絶。
そのとき、音楽室のドアが開く。
「……何やってんだ、お前ら」
汗だくジャージ姿の早矢が、部活終わりにやってきた。
真帆はニヤリと笑って、マウスピースをヒョイと取り上げ――
「ねえ、早矢。凌ってばさ、このマウスピースの匂い、めっちゃ嗅いでたの」
「真帆おおおおおおおお!!!!!」
凌、顔面真っ赤。
早矢はジト目で一言。
「……あんた、やっぱ犬でしょ」
匂いって、時に記憶を引き戻す。
あのマウスピースの温度と湿り気、
くすぐったいミントの香り。
それはまるで、
「唇がそこにあった証拠」のようで――
滝川凌の脳内は、またしてもフェロモン大洪水に沈んだ。




