『知ってるのに、わからない。』あの日のことー三ツ石真帆の場合
保健の授業で「その日」のことを習ったのは、小学生のときだった。
理屈は知っていた。図も説明も覚えた。
「個人差がある」という言葉も、ちゃんと理解していた。
中学生になって、まわりの友達が少しずつ“経験者”になっていく中、
私は静かにその波を見送っていた。
遅いことが悪いわけじゃない。
私は私のペースで成長していけばいい。
そう思っていたし、そう言い聞かせてもいた。
でも、本当は少しだけ――焦っていたのかもしれない。
その朝、制服に袖を通して、スカートに足を通そうとしたとき、
空気と肌のあいだに、ひやりとした違和感を感じた。
思わず止まって、すぐにトイレに入った。
下着を見て、気づいた。
「……来たんだ」
教科書の中にしかなかった“それ”が、
ついに、自分の中に訪れた。
想像していたよりも、静かな始まりだった。
けれど、胸の奥がざわざわと波打っていた。
ポーチから取り出した準備用のもの。
使い方は知っている。手順も覚えている。
でも、手のひらが汗ばんで、少しだけ指先が震えた。
「知ってるのに、わからない」
頭では平気なはずなのに、
涙がにじみそうになっている自分に、驚いていた。
制服のポケットに手を入れると、プリントの角が指に当たった。
無意識に取り出すと、そこに、自分で書いた名前があった。
“三ツ石真帆”
何度も書いてきた、当たり前のように書いてきた自分の名前。
でも今は、それが少しだけ――
“この変わりかけの体に確かにつながっている”名前のように思えた。
身体は変わる。
心もきっと、変わっていく。
でも、名前がある。
自分で書き続けてきた、この名前が。
私は私。
三ツ石真帆。
それは揺らがない。
どんなに心と体が変わっていっても。
教室に戻ると、窓際にいた早矢がこちらをちらりと見た。
何も言わず、ただ軽く手を上げる。
私は、いつものように返した。
でもその視線は、ほんの少しだけ長く、あたたかかった。
◆モノローグ:真帆
知識と、現実。
頭と、心。
そのズレに、戸惑った朝。
でも、ちゃんと戻ってこられた。
私の名前が、私をここにつなぎとめてくれたから。




