震える芯に、声が届いた ~陸上部臨時コーチ桐谷獅真×佐々木早矢 魂の疾走~①
―第一章:内臓の奥が震えるとき―
「もっと脚を高く上げろ」
その声が、空気を裂いて飛び込んできた瞬間だった。
空気の振動が皮膚を叩いた気がして、思わず背筋が収縮する。
だが、反応したのは脚でも、背でもなかった。
胃の奥――いや、それよりもっと下。
そのさらに奥にある、言葉にならない“暗がり”が、
――ぴくり、と痙攣した。
ふくらはぎでも、太ももでもない。
鼓動でも、呼吸でもない。
なのに、たしかに“わたしの中心”が震えた。
(……なに、これ)
不意に浮かぶ疑問すら、言語にならない。
ただ、奥の奥で“生きているもの”がざわついた。
桐谷コーチの声は、冷たい。氷のように温度がない。
感情も、慈しみも削ぎ落とされたその指示が、
まるで一直線の針となって、わたしの核を撃ち抜いてくる。
直後に感じるのは、目に見えない“鎖”の感覚だった。
喉もとから腰骨にかけて、薄く、重たく、何かが巻きついていく。
「お前はもっと走れる。怠けるな、佐々木」
名前を呼ばれた瞬間、わたしの全神経が立ち上がる。
荒ぶる犬のように走り、叫んできたわたしが――
その一言で、沈黙する。
咆哮でもない。
服従でもない。
ただ、本能の奥で、何かが震えた。
その疼きは、痛みとも違う、懐かしさのような甘さだった。
「おまえなんかに私の何がわかるのか」
脳が抵抗を言語化するよりも先に、身体が応えてしまう。
「はい」と。
その反応に、わたし自身が驚いていた。
悔しい。屈辱だ。
なのに――
その震えが、どこか快感に似ていて。
わたしは、それを見なかったふりをした。
息が苦しい。酸素が足りない。
でも、走る。走らされる。
わたしの中のどこかが、命令に応じて震える。
その震えの質感だけが、生きていることを保証していた。
震える。
疼く。
潤むように。
言葉にできない震え。
それが、わたしにしかわからない、“内臓の奥のゆらぎ”だった。




