ミリバール、フォーエバー〜あなたがくれた理科年表1993〜
有名教師列伝
◆長谷川先生(理科・理科年表93の人)
転勤の際、なぜか生徒に“理科年表1993”を贈呈して去った理系の怪人。保存状態に異常なこだわりを持っており、机上版も所持している説がある。授業の脱線率は高いが、年表を通して宇宙と物理と青春を語る哲学者型教師。
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【序章:白衣の背中】
中学1年の春。
理科室の窓辺に立つ長谷川先生は、いつも白衣の裾をふわりと揺らしていた。
真帆はその後ろ姿が好きだった。
理科に特別興味があったわけじゃない。でも、授業中にふと聞こえる先生のつぶやき――
「これが地球の呼吸です」とか、「光の速さに、恋をしたことがあるか」とか。
それはどこか詩的で、国語好きの彼女の心に引っかかった。
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別れの春。
理科室には、春の陽がぼんやり差し込んでいた。
黒板の端には「転任のお知らせ」と書かれた紙が貼られていて、
その下に、白衣姿の長谷川先生が静かに荷物をまとめている。
…のだが。
その空間は、全く静かではなかった。
「だから!なんで“ミリバール”が“ヘクトパスカル”になるわけ!?」
机に両手をつき、眉間にしわを寄せて叫ぶのは、陸上部エース・佐々木早矢。
理科のプリントをクシャクシャに丸め、気圧よりも高いテンションで詰め寄っている。
「いやマジで、“ヘクトパスカル”って言いづらすぎん!?
パスカルって誰!?ていうかそれ略して“hPa”とか意味わからんし!
言ってて口内がモニョモニョするんだけど!?早口言葉かよ!」
その横で、花粉症でトロンとした目で年表を眺めていたのが、我らが滝川凌。
「ミリバール……なんかお菓子っぽいよね……。
スースーしてそうな味。薄荷バール味とかさ。仁丹の親戚かな……?」
「てか“ミリバール”ってさ、なんか響きかわいくない?
“ミリバールちゃん”とか、“ヘクトパスカル先輩”みたいな」
真帆「もう黙れ、お前だけ単位じゃなくて別の世界行ってる」
そんな凌の妄言をよそに、
澪は黙々と――バール(鉄製・4.5kg)を一挙動素振りしていた。
澪「何バールか知らんが……
私は“炭素鋼平バール”が最強と信じている。」
玲央「姉、それ工具だから……ってか、それで突いたら反則だから……」
凌(震えながら)「“炭素鋼”って聞いただけで骨が軋んだ気がした……」
金属が風を裂く音が、理科室のフラスコに反響していた。
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「はいはい、落ち着いてください」
長谷川先生が、静かに場を整えるように声をかけると、
なぜか一斉にみんなの動きが止まった。…バールも止まった。
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そして、先生は、ゆっくりと机の引き出しから一冊の本を取り出した。
分厚く、表紙は少し古びていたが、驚くほど丁寧に保存された――
『理科年表 1993』
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その本を、そっと真帆の前に差し出す。
「君に、託したい」
真帆は一瞬、目を見開いた。
「これ……?」
「君なら、いつかきっと意味がわかると思う。
今は、開かなくてもいい。
でも――“重さ”だけは、受け取ってほしい」
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騒がしい理科室の一角、
そのときだけ時間が止まったかのように静かだった。
真帆は無言で年表を抱きしめた。
その中には、
もう誰も使わなくなった“ミリバール”という気圧の単位が、静かに記録されていた。
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【エピローグ:ミリバールって何?】
ちなみに、
「ミリバール(mb)」は、昔使われていた気圧の単位で、
1ミリバール = 100パスカル
1013ミリバール = 標準気圧
という感じで、天気予報や理科の授業でよく使われていました。
でも、国際単位系(SI)に合わせるため、1992年頃から
「ヘクトパスカル(hPa)」に切り替えられたんです。
つまり――
真帆が受け取った『理科年表1993』は、
“ミリバール最後の時代”を記録した、貴重な一冊だったのです。
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【最後に】
気圧が変わるように、時代も、先生も、みんな変わっていく。
でも、“あのときの空気”は、ページの中にちゃんと残っている。
青春の気圧は、きっと誰かの手の中で、そっと受け継がれるのです。
【本編:文化祭当日】
中学3年の秋。
受験勉強に忙殺されるなか、それでも文化祭の準備は進んでいた。
真帆は悩んでいた。
クラスの出し物ではなく、自分だけの言葉で何かを届けたい――そう思ったから。
吹奏楽部としてのステージはもう終えた。
だから今回は、ギターを持ち、ひとりで歌うと決めていた。
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ステージ袖、手の中には…
あの、埃をかぶった「理科年表1993」があった。
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「では、次の発表は――
3年B組・三ツ石真帆さんによる、弾き語りです」
拍手の中、静かに歩き出す。
ギターのストラップを肩にかけ、マイクの前に立つ。
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「……これは、ある先生に贈る歌です」
照明が落ちて、音が始まった。
指先が震える。でも、歌は――届いていた。
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【歌唱シーン(抜粋)】
> 今はまだ子どもだからわからないけど
この数字と記号と単位の意味がわかる日
いつか私にも来るのかな
答えのない問いかけが 心の中を回ってる
理科年表1993 あの日からずっと
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【ラスト:再会】
演奏が終わると、会場はしんと静まり返った。
そして、
客席の後方、そっと手を叩く人がいた。
白衣姿の――長谷川先生だった。
拍手が静かに広がり、真帆の目に涙が浮かぶ。
ステージの上で、そっと年表を抱きしめる。
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「ありがとう。
君は、もうとっくに“使ってる”よ――その年表を。
言葉と音で、世界を測ってたじゃないか」
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【エピローグ】
年表は、ただの本じゃなかった。
“思い出を測る道具”だったのだ。
それから何年経っても、真帆はときどき、あのページをめくる。
それは、彼女にとっての原点のひとつ――
別れの日の、あの白衣の背中とともに。




