『おはよう、ぼくの知らないぼく』ーあの日のこと 滝川 凌の場合
目覚ましのアラームが鳴る前に、目が覚めた。
カーテン越しの朝光が、天井をうっすら照らしている。
いつも通りの朝――だった、はずなのに。
「……うわ、マジかよ」
股間に、異変。
寝間着のジャージが、不自然に持ち上がっている。
身体の一部が、勝手に――というか、ものすごい自己主張をしていた。
「なんで……こんなに……」
触れたわけでも、何かを見たわけでもない。
ただ眠っていただけなのに、
“そいつ”は完全にやる気だった。
こいつ、ぼくの指示聞いてない。
凌はジャージの上から、そっと整えようとするが、
どうにもおさまりが悪い。
下半身だけ別人格みたいに、意志を持っている。
「やば……このまま階段下りたら絶対……」
一階には母親がいる。
朝食を作ってる、あの優しい声と、味噌汁の匂い。
絶対ムリだ。今降りたら、気づかれる。
毛布で隠す?タオルを巻く?
でも、それも怪しすぎる。
この状態で“おはよう”は無理だ。
凌はとっさに、ジャージのズボンを履き直した。
が――
収まらない。むしろ布との接触で悪化してる。
「くそっ……!なんで俺の体なのに俺の言うこと聞かねーんだよ……!」
そこで、思いついた。
「動け……!余計なエネルギーを出せば……」
腹筋!
腕立て!
スクワット!
反復横跳びまで始めて、自室の床で謎の全力運動が始まる。
必死すぎて涙が出そうだった。
数分後。汗がにじむ。息が切れる。
ふらつく膝をついたまま、凌はようやく静かになった下半身を確認する。
「……帰ったか……。ありがとう、俺の筋肉……」
そのとき、階下から母の声が聞こえた。
「りょ~う、早めに降りてきてね~、お味噌汁できてるわよ~」
「……はいっ!今行きますッ!」
凌は急いで髪を整え、タオルで額の汗を拭き、階段を下りていく。
どこかで、ほんの少しだけ、
大人の階段を上がった気がした。
◆モノローグ:凌
自分の身体なのに、自分のじゃないみたいな朝。
意志とは違う“命”が動いてて、焦って、恥ずかしくて――
でも、これがきっと、
生きてるってことなんだと思う。
。




