ある日、ランニングコースで
足元がもつれて、次の瞬間、地面に突っ伏した。
膝に伝わるズキンとした痛みと、ざらっとした感触。
凌は反射的に顔をしかめた。
「うわ、マジかよ……」
「凌!? 何やってんの!」
振り返ると、早矢が全速力でこっちに駆け寄ってきた。
そのまましゃがみこんで、膝をのぞきこむ。
「ジャージ、破けてるじゃん。うわ、血も出てるし!」
「い、いや、ちょっと擦っただけだから……」
「うるさい。男ってこういうとき無駄に我慢すんの、なんなん」
そう言いながら、早矢は応急処置セットを取り出して手際よくタオルを濡らす。
「ちょっとしみるかも。文句は聞かない」
「え、ま、待っ――」
冷たいタオルがぴたっと傷口にあたる。
ジンとしみて、思わず声が漏れそうになるけど、
その代わりに鼻を突いたのは――
アルコールのツンとした匂い。
そして、ほんのり混ざる、血のにおい。
さらに近くで感じたのは、早矢の汗と日焼け止めが混ざった匂い。
(うわ……この匂い、なんかヤバい……)
「ほら、じっとして。今、消毒……」
早矢の指が、ぺたっと絆創膏を貼ってくる。
指の腹が、ほんの一瞬、膝の肌に触れた。
あったかい。
ちょっとだけ、しっとりしてる。
(やばいやばい、落ち着け俺。これはただの処置、治療、応急対応……)
「……って、ちょっと。あんた今、変なこと考えてたでしょ」
「なっ、なに考えるわけないでしょ!? 血だよ!? 傷だよ!? 」
「顔に書いてあるんだけど。
ていうか鼻の穴ふくらんでんぞ、“におい王”。」
「その称号マジやめて! 恥ずかしいから!」
「でもさ――」
早矢はいたずらっぽく笑って、
そのまま絆創膏をもう一度、指先でポンと軽く押した。
「“におい”で記憶するっていうなら、
この匂い、忘れんなよ?」
「………………やめて!? なんかドキッとするからやめてぇ!?」
「素直か。かわいいな、おまえ」
そのままスタスタ歩き出す早矢の背中を、凌は見送るしかなかった。
膝の痛みよりも、心臓のバクバクのほうが気になって仕方ない。
匂い、味、触覚、そしてドキドキ――
たぶん、これが青春ってやつなんだと思う。
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夜。風呂場。
全裸。完全無防備。
凌は湯船につかりながら、
ジンジンしみる膝をそっとお湯から浮かせていた。
「……いってぇぇぇ……!」
風呂、ガチで沁みる。
マジで消毒のアルコールの次に痛い。いや、あれより効いてる説すらある。
(っていうかさぁ……)
ぽや〜っと湯気に包まれながら、
頭の中には、さっきの“あの手当て”シーンがリピート再生されていた。
――絆創膏を貼るときにふれた、早矢の指先。
――日焼け止めと汗と、少しだけ皮膚のにおい。
――「この匂い、忘れんなよ?」とか、ニヤっと笑った顔。
(うわうわうわ、思い出すとバグる。マジで心臓が先にゴールするやつ)
で、そんなテンパり状態でふと視線を下げたそのとき。
「……あっ」
出た。
出てた。
堂々と、自己主張。
「いや、待て……待って……!?お前、今じゃないだろ!?今じゃないのよ!!!」
慌ててタオルを手に取り、
自分の膝にかぶせるフリして視線を遮断。
「いや、これ、傷がしみてるだけ!違う違う違う、性的な意味とかじゃなくて!」
「うわあああああああああ(風呂場に反響する声)」
誰にも見られてないのに、
誰よりも自分に見られてる気がして、恥ずかしすぎて死にそうだった。
(頼む、忘れてくれ俺の体……これは事故だ……条件反射だ……青春の副作用だ……!)
でも内心では、ちょっとだけ――
ほんのちょっとだけ、あの手当て、もう一回されたいとか思ってる自分がいた。
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保健室のベッドの上。
白い天井とカーテンに囲まれて、凌はぼんやり横になっていた。
どこか身体が重く、でもやけに甘い匂いが鼻をくすぐる。
「凌……目、覚めた?」
ふわっとカーテンが開いて、真帆の顔がのぞく。
「だ、大丈夫なの!? びっくりしたんだからね!」
そのすぐあとから、早矢が腕組みして現れる。
「はしゃぎすぎなんだよ、おまえは。
……ったく、痛むところは?」
続いて、ゆっくりとカーテンの影から澪も登場。
「ま、男子ってだいたいバカだけど、
倒れてる姿はちょっとレアだったね」
3人が囲むように凌の周囲に並び、手にはそれぞれ――絆創膏。
しかも、なぜか手書きのメッセージ入り。
「“がんばれ凌!” by 真帆」
「“走れるうちは走っとけ” by 早矢」
「“無茶しても、死ぬな” by 澪」
「ちょ、ちょっと!? どれを貼るの!? あたしのよね!? 普通に考えて!」
「いや、は? ケガを見てたのは私だから。
ていうかおまえ、どこに貼るつもりなんだよ真帆」
「場所じゃないでしょ! 気持ちでしょ! 気持ちの問題でしょ!?」
「さあ凌、“誰の絆創膏がいいか”はっきり言いなさい」
「え、えええ!? まって、オレに決めさせる!? いや、ていうかどこに貼るって……」
\ パァンッ! /
「この優柔不断犬!!」
バシィッ!と、特大サイズの絆創膏が――
なぜか股間に貼られた。
「うわああああ!!???」
その衝撃でベッドから転がり落ち――
──ガタン!
「っは!!」
凌は跳ね起きた。
視界は自分の部屋。空気は湿って、夏の夜のにおい。
そして……ふと、鼻にツンとくる、青臭くて生温かい匂い。
(……これ……栗の花……)
パンツの中に違和感。
触れた指先が湿っている。
「……おい……マジかよ……」
夢とわかっていながら、
股間の特大絆創膏の感触が、まだ皮膚の記憶に残ってる気がして、
凌はベッドの端で頭を抱えた。
「俺……どうしてこう、青春を間違った方向で爆発させてんだ……」
栗の花と自己嫌悪。
それが、朝の目覚ましより強烈だった。




