におい王、正義の風に鼻をひくつかせて
昇降口のざわめきの中、滝川凌の鼻だけが静かに空気を切り裂いた。
「……このにおい、ただの制服の埃じゃない。」
すれ違った男子生徒のセーターの袖口に、微かに染み込んでいたメンソールの香り。それは芳香剤の清涼感ではなかった。
“燃やした葉っぱ”のにおい――タバコのにおいだった。
凌は数歩進んで立ち止まり、鼻をクンと鳴らす。
「……あいつ、吸ってないにしても、相当近くにいた。たぶん家族。兄貴か?」
担任の先生を呼び、事情を説明した。
最初は半信半疑だった先生も、生徒のポケットから見つかったライターと、スマホに映った兄との喫煙ツーショットで納得。
「凌の鼻、やっぱすごい」
「犬みたい……てか、もう犬じゃん」
クラスメイトたちはざわついたが、先生たちは本気で感心していた。
数日後の下校時。
涼しい風に乗って、ほのかに漂う焦げたようなにおい。
住宅街の道を歩いていた凌は、ピタッと足を止めた。
「……服の焦げじゃない。建材とビニール系のにおい。しかも近い。」
道を折れ、走る。全速力で。
「この匂いの強さ……近くで燃えてる!」
一軒の家のベランダ、積まれた段ボールから煙が上がっていた。
おそらく太陽光とガラスの反射で、自然発火したのだろう。
「すみません! 火事です!」
大声で近くの大人を呼び、水をバケツでくみ上げてバシャリ!
「君、よくこんな小さな煙に気づいたね……」
駆けつけた消防隊員も、目を丸くした。
翌週、学校の朝礼。
壇上に呼ばれる滝川凌。
「本校の滝川くんは、その特異な嗅覚により、早期に火災の危険を察知し未然に防ぎました。また、生活指導においても的確な感知力を発揮し、喫煙リスクの芽を摘んだことは特筆に値します」
警察署からの感謝状と、校内表彰。
そして、副賞として風紀委員長への任命。
スピーチでは、ひときわ清らかな声で言った。
「僕の鼻は、たぶんちょっと変です。
でも、誰かの安全を守れるなら、変でもいいと思います。
においは、正直ですから。」
拍手喝采。
しかし、その夜、凌はふと窓を開け、風にのって漂ってきた部活帰りのにおいを感じた。
「……でも正直、タバコより、早矢の汗の匂いのほうが、俺にはずっと――」
彼は言葉を濁し、自分の手のひらを嗅いで笑った。




