嗅覚と触覚のサンドバッグ ~剣道女子、二刀流で見参~
「いち、にぃ、さーん……っく、じゅぅ……!」
放課後の体育館の隅。誰もいないマットの上で、滝川凌はひとり腹筋に励んでいた。
バキッ……じゃなくて、ピキッと軽い音を立てる程度の腹筋。
汗が額をつたうたび、思い出すのは――
(くっ……あのとき、早矢に腹を押された瞬間、"あれ"が出たんだよな……!)
思い出すだけで、内臓の奥がむず痒くなる。あの音は、空気よりも羞恥心を爆発させた。
「……集中しろ、俺……っ!」
「なにしてんの?」
その瞬間、背後からひゅるんと風を切る音。スパッと視界の横に竹刀の先が差し込まれた。
「し、東雲さん!? なんでここに……」
「腹筋、ぬるい。顔に全然力入ってない。」
ズン――。
竹刀の柄の先が、突如、凌の鼻先にツンッと突きつけられる。
そして……。
「っっっっッ……!!?」
凌の顔面が即座に歪む。
そこはさっきまで澪が全力で振り回していた竹刀の持ち手部分。
部活終わりの汗が滲み込んだ布地の巻き、脈打つような匂いの凝縮地帯。
竹と皮の混ざった重み、そして女子特有の酸っぱい汗が融合した、“鍛え抜かれた武具のにおい”。
「……お前、鼻、いいんだよね?」
「ご、ごめん……たぶん、竹刀の持ち手嗅いで卒倒する男子、俺くらいだと思う……」
「ほらほら、集中集中!」
パシッ!
今度は竹刀の先端で、脇腹を左右からツンツン!
「うわっ、あ、ちょ、脇腹やめっ……」
「こっちのほうが効くんだ、こう、神経が……ヒクってなるでしょ?」
左右の脇腹を剣先で上から下へツーーーッとなぞる。
サンドバッグならぬ、においと触覚のダブルサンドバッグ凌。
顔は真っ赤、汗は全開、鼻の奥ではまだ竹刀の持ち手の残り香がリピート再生中。
(くそ……なんだこの訓練……俺、試されてる……!)
でも――
「……もう10回いける、いや、20いける……っ!」
気づけば、腹筋のフォームが鋭くなっていた。
竹刀の匂いが、脇腹の刺激が、なぜか火をつけた。羞恥も、憧れも、全部引き連れて。
「東雲さん……ありがとう……おかげで、俺、目覚めたかも……」
「ふふ、へんなの。じゃ、がんばって。竹刀、置いとくから」
ぽんと、澪は問題の竹刀をマットの端に置き、汗を拭きながら去っていった。
凌はその竹刀をチラ見しながら――。
(……嗅ぐなよ、俺。嗅いだらまたあれ出るからな)
でも、鼻はすでに全力でピクついていた――。




