奇妙な展開
「……素晴らしい、まるで生まれ変わったようだよ、エルク君」
ラドル公爵の声が聞こえた。気付けば俺の真正面に満面の笑みを浮かべた公爵がソファに座っていた。
「私も武人のはしくれだからね、封じられていた力の大きさはおおよそ理解できていた。人が触れれば途端に飲み込まれるほどの莫大な力……人の手には余るが、私の野望のためにこの力はどうしても必要だった」
俺を見ながら公爵は語る……力に飲み込まれた俺のことを、彼は自我を喪失したと考えているようだ。
「無知である君ならば、少し突けば触れてくれると信じていたよ……そして、君は飲み込まれ私の傀儡となった。これでようやく、大望が実現できるというものだ」
公爵は喜悦の笑みを浮かべる――ここまでの言葉について、俺は一つ思った。
それは一言一句、漫画『クリムゾン・レジェンド』の内容と同じであるということ。ラスボスであるエルク……いや、邪神の視点で語られる場面は少なかったが、邪神が生み出されたこの瞬間は描写されていた。そして漆黒に取り込まれたエルクに対し、公爵は先の言葉を発したのだ。
そして、次に発言する内容も……黙っていると公爵は、叫んだ。
「さあエルク君――いや、邪の神よ。この私の言葉に従い、帝国の蹂躙を始めよう!」
哄笑が響く。そして漫画のエルクはただ黙ったまま、虚ろな目で公爵の言葉を聞き場面が転換するのだが、ここで俺は動いた。
手をかざす。それで邪神は良いと言った。公爵が眉をひそめた瞬間、それは起こった。
突如、俺の周囲から漆黒が生まれ――公爵を飲み込もうと取り巻いた。
「なっ……!? お、おい!? 何をしている!?」
これにはさすがの公爵も驚愕し、先ほどとは一変し慌てた表情を見せた。
「貴様を目覚めさせたのは私だぞ!? この私の命令を――」
そこまでしか言えなかった。次の瞬間には公爵が闇に飲み込まれ、俺はそこで手を戻した。
闇に取り込まれた公爵の姿を見て俺は少し怖かったのだが……やがて、闇が消えた。そして残ったのは眠ったように目をつむる公爵。
「……成功したのか?」
『ああ、問題ない』
頭の中で邪神の声が響いた。どうやら体の中に力が宿っているためか、邪神の自我が頭の中にくっついているらしく、声は聞こえるし会話もできる。
『先ほど精神世界で打ち合わせた通り、貴殿が球体に触れた瞬間からの記憶を改ざんした。目が覚めれば、球体に触れても変化がなかったと認識することだろう……ああ、もう一つ処置をしておかなければ。球体へ向け手をかざしてくれ』
言われるがまま、俺は球体へ手を向ける。その瞬間、漆黒が球体を一瞬取り巻いて……すぐに消えた。
『中にまだ力が残っているように偽装した。触れても何もないが、外観の魔力だけなら我が球体にいた時とほぼ同じようにした。これで、公爵はまだ力があると認識することだろう』
「……ひとまず、俺が力を持っていることは露見せずに済むか」
と、呟いたところで公爵が目を開けた。いつの間にか眠っていた――という感覚だったのか多少困惑している様子。
そこで俺は、公爵へ向け口を開く。
「公爵、大丈夫ですか? お疲れの様子ですが……」
「うむ……いや、問題ない。それより水晶球は……」
「残念ながら、何も起きませんでした」
俺はそれを証明するかのように球体に触れる。だが、何も起きない。
それを見た瞬間、公爵は訝しげに球体を見据えた……が、まだ中に力が残っているのを把握したのか、
「そうか。どうやら水晶球の力は君のことを認めなかったようだな」
「はい、申し訳ありません」
「いやいや、君が謝るようなことは何もないさ……ふむ、また別の方法を考えよう。エルク君、今日のところは失礼させて頂くよ」
内心で公爵は失望しているだろう……力に認められなかった俺のことを。だがそれでいいと思った。本当は力を持っていると悟られたら、何が起こるかわからない。いっそのこと失望してここへ当面来なくなった方が都合が良い。
おそらく公爵はこれから、球体の力を引き出せる人物を探し回ることだろう……それは徒労に終わる行為なのだが、帝国に反旗を翻そうという野心を持つ人物だ。しばらく無駄な時間を過ごしてもらうことにしよう。
公爵はお茶を飲むと足早に屋敷を去った……見送りで外に出た俺は、馬車の姿が見えなくなった段階で大きく息をついた。
「とりあえず、大丈夫そうだな」
『公爵についてはどうするのだ?』
ふいに邪神が俺へ声を掛けた。
『自身が皇帝になろうとしている、言わば反逆者だ。記憶を改ざんするより、ここで始末した方が帝国のためになるのではないか?』
「……そんなことをしたら、さすがに俺が反逆者になるよ」
頭をかきつつ、俺は邪神へ言及する。
「現時点で公爵が反旗を翻すという証拠は何もない。あくまで俺へ向け色々と言及しただけに過ぎないし、その話を帝国へ報告しても聞き入れてくれないさ……他ならぬ公爵も記憶を改ざんされているし。それに公爵の方が社会的に地位が圧倒的に上だから、俺の意見は揉み潰されるか、ヘイトが向くことになる」
『そんなものか……では公爵は放置?』
「進言はするよ……セリスなら、きっと俺の言葉は信じてくれる。でも、その前にやることがある」
右手をかざす。じっと見ればわかる……邪神の力を、俺は身に宿している。
「手にした力をきちんと制御すること。今の状態でセリスと顔を合わせて力が暴走したら、俺が討伐対象になるからな」
『なるほど、力の制御か……公爵のことを踏まえると、その作業は急ぐ必要がありそうだな。それと、反逆に関する具体的な証拠も必要か。捕まえられる条件が整うまで、公爵がおとなしくしてくれればいいが』
「帰り際の公爵の様子から、黒い水晶球を持って当面は動き回るだろうし、しばらくは大丈夫だと思う。公爵に関する情報を集めつつ、都度対応を考えればいい。俺の方はとにかく、セリスへきちんと事情を説明できるように一日でも早く力を扱えるようにする……まずはそこからだ」
そう、力を――しかし、手にしたこの力に溺れてはいけない。俺は前世の漫画のことを思い出す。望んだ形とは言えなかったが……邪神となったエルクの姿は、間違いなく力に溺れた末路だ。
「……今日のところは休もう。明日以降、力を制御する訓練をする」
『力の大きさが強大であるため、屋敷内でやると事故の可能性があるぞ』
「なら、外か? まあ、外に出る理由はいくらでも作れるし問題はないけど……」
そこまで言って、俺はあることに気付いた。
「そういえば……お前のことは何て呼べばいい?」
『名前か? 道具に付随するオマケの自我に名などあると思うか?』
「なら適当に考えてくれていいけど……」
『こちらはどんなものでも構わんぞ』
「……何も言わないと前世で飼っていたペットの名前とかになる可能性があるぞ」
『それで構わんが』
受け入れちゃったよ。例え話だったんだけど。
さすがにずっとお前、では不便なので呼び名くらいはつけよう……けど、うーん。どうしようか――
『呼び名に悩むのであれば、そうだな……ジャノと呼んでくれ』
「ジャノ?」
『邪の神と先ほどの公爵は語っていたからな。それでジャノだ』
安直だなあ……まあ、だからといって良い代替案があるわけじゃないので、それでいいか。
「わかった、ジャノ……よろしく頼むよ」
『ああ、こちらこそ』
――あまりにも奇妙な展開。だが俺は命を拾い、邪神と呼ばれるかもしれない強大な力と手を組むことになった。
漫画の展開と大きく違う以上、俺の頭の中にある前世の知識は何も役に立たないだろう……だが、帝国内で大乱が起きないのだ。これでいい――そんな風に思いながら、俺は振り返り屋敷の中へと戻った。