婚約者
なぜ帝国の端に存在する辺境かつ田舎の領主と、皇女が婚約関係を結んでいるのか……その理由は十年ほど前に遡る。
俺が八歳の時、先代領主とその妻――つまり俺の両親が流行病で亡くなった。残された八歳の俺に統治などできるはずもなく、父に忠誠を誓っていた忠臣達がどうにか領内の立て直しに奔走していた時に、事件は起こった。
ルディン領は帝国における西の果てで、南北と西側に山岳地帯が存在している……が、山の向こう側には隣国が存在する。その隣国が問題を引き起こした。
山々は険しく、山を越える道はあるにしても商人達が通るようなことはない……が、鉱物資源などは豊富で、鉱山などの開発が進んでいる。しかし見つけた鉱脈が位置の問題で帝国の領土にあるものか隣国の領土なのか……そういった問題で当時揉めに揉めていた。
俺の父親である先代領主は、その問題解決に尽力していた。国境線をどのようにするか、といった問題を始め話し合いが進められ、あと少しでまとまりそうだった段階で亡くなってしまった。そして忠臣達はその話し合いをする暇さえない状況下で、隣国はならばと動き出した。
具体的に言えば山へ兵士など人を送り込み、鉱脈を発見した場所などの開発を一方的に行い、自分達が所有するものだと既成事実を作ろうとしたのだ。そして帝国において辺境であるルディン領ならば、実効支配をしてしまえばどうとでもなる……そんな考えが間違いなくあっただろう。
帝国は隣国の思惑を理解できていたはずだったが、手出しができなかった――国は対応しようとしたのだが、それを止めるような動きが国内で起こった。帝国側の貴族が何かしらの見返りのため隣国と手を組み、妨害していたらしい。
つまり、田舎領地に騎士を派遣することすらできず、後は実効支配を待つだけ……そんな危機的状況だったのだが、ここで皇帝陛下が奇策に打って出た。
それは「ルディン領の新たな領主であるエルクと、同い年の第二皇女セリスを婚約させる」というものだった。発表された当初なんのことかと国内は戸惑ったらしいのだが、この意味はすぐに誰もが理解した。
セリスはすぐさま婚約者である自分の所へと赴いた……のだが、彼女に帯同する騎士や宮廷魔術師が列を成した姿は、行軍と呼んでも差し支えないほどの規模であった。
皇女の護衛をするため、騎士達をルディン領へ派遣する……無論、騎士達の役目は皇女の護衛だけではない。山に入った隣国の人間を牽制するという重要な役割があった。
効果は覿面で、隣国はあっさりと手を引いた……国力だけ見れば、大陸の半分以上を領土とする帝国と山に囲まれ堅牢ながら領土は小さい隣国。結果隣国は敵わないと判断し、結局血を見るような事態にはならなかった。
そして――交渉が再開され、最終的に隣国とは共同で山の調査や鉱山などの運営を行うこととなった……本来なら、騒動が解決したので婚約関係だって解消されてもおかしくなかった。
でも、十八となった今でもこの関係は続いている……だからこそセリスは、西の果てに存在する俺の屋敷を訪れているのだ――
「エルク、今年の作付けはどうなるだろうね」
場所は屋敷の客室。セリスを伴い帰ってきた俺はテーブルを挟むように配置されたソファの一つに座り、対面にいて同じ種類のソファに座る彼女と話をすることに。
「今年は昨年行った治水工事の影響がどこまで出るか、だな。上手くいけば豊作だって期待できるかもしれない」
「収穫祭は豪勢になるかな?」
「ずいぶんと気が早いな。ようやく春になったばかりだというのに」
俺は苦笑しつつ返答する。
「そうやって言う以上、参加はするのか?」
「もちろん」
セリスは笑いながら答える……目の前にいる皇女は年齢相応で、街道で顔を合わせた時とまったく違う。天真爛漫で、コロコロと表情を変える女性……とはいえ普段は丁寧な口調かつ、穏やかの表情で人々と接する……目の前の彼女は、長年婚約者として顔を合わせ話をする俺の前だから見せる一面と言える。
「わかった、ならセリスが参加する前提で話を進めておくよ」
「うん、よろしく」
期待するような素振りを見せながら彼女は言う……こうして月に一度はルディン領に顔を見せに彼女はやってくる。その目的は領内の近況などを聞くためであり、俺は一ヶ月の間に起こったことについて、雑談を交え話していく。
一方で、俺の方も彼女に関する近況を尋ねる――のだが、
「セリスの方はどうだ? 何も変わらず?」
「うん、何も変わらず……魔物討伐の日々だね」
彼女が傍らに置く杖を見やる……俺は少し魔法を学んだ程度の実力しか持っていないが、それでもわかる。彼女が持つ杖には、途轍もない魔力が込められている。
「最近は勇者と行動することが多いかな」
「勇者……国に認められた、魔物を狩る存在か……」
「うん、私や勇者を含め、十人くらいで隊を編成して魔物討伐をしている。この前は渓谷の底に魔物がいて――」
彼女は話し出す。それと共に俺は皇女がなぜ魔物討伐を行っているのか、その経緯を改めて振り返った。
彼女に転機が訪れたのは十歳の時。俺と婚約関係を結んでから二年が経過した時、彼女は突如魔法を学びたいと言い出した。
あまりに突然であったため俺自身も驚いたが、彼女は後に「人の役に立てることはないか」と思い、魔法を学ぼうとしたらしい。皇女という身分で何一つ不自由のない生活が送れるわけだが、彼女はそれを良しとせず魔法を学ぶことを選んだ。まあ皇女である以上は人類の脅威である魔物と戦うようなこともないはずで、彼女の決意に反し役立つことはない――そんな風に最初は見られていた。
彼女は帝都で魔法を学び始めた――本来魔法は十五歳になる時に入学する魔法学園にて学ぶのが普通。ただ貴族など身分の高い人は幼少の頃より家庭教師を付けて予め勉強させるという英才教育が当然となっている。
正直、十歳で勉強を始めるのは遅い……のだが、彼女の才覚はすぐに判明した。本来、三年ほどかかるはずの魔法学園における勉強内容を僅か一年で習得。加え、彼女は類い希なる魔力を所持し、それにより自在に魔法を扱うことができた……教育を行った魔法の師匠が震撼するほどの速度で――セリスはたった二年で、学園卒業レベルに到達し、さらに自作の魔法まで編み上げるほどになった。
その才覚は帝都内でも評判となり、一時期話題になったらしいが――いかに優れた魔術師になれるとはいえ、セリスは皇女。その力が発揮されることはない……そう誰もが思っていた。
彼女が十四歳の時、事件は起きた。皇女として公務のために地方の都市を訪れた時、暴走した魔物の群れと遭遇した。護衛の騎士達は精鋭だったが魔物の数が非常に多く、セリスは危機的状況に晒された。
それを打開したのは――他ならぬ彼女自身だった。学んでいた、そして自身で編み上げた魔法により、魔物の群れをたった一人で粉砕。その話は瞬く間に帝国内を駆け巡り、誰もが彼女の名を口にするようになった。
そしてそれを機に、彼女は人の役に立ちたいと父親である皇帝陛下に願い、魔物討伐の部隊に加わるようになった。それは今でも変わりなく、四年経った今では討伐隊にとってなくてはならない存在となっていた。
魔物と戦う度に成長していく彼女は、共に戦う騎士や勇者達からさえも尊崇の念を抱かれるようになった。高貴な存在、絶対的な力。そうした事実を踏まえ、彼女はやがてこう呼ばれるようになった……戦場に立つ女神。その結い上げた青い髪から『蒼き女神』という異名が付けられ、まさしく帝国内における最強の魔術師として君臨するに至ったのだ――




