皇女の実力
セリスは杖で地面を軽く叩いた。刹那、彼女の足下に、光が浮かび上がる。
俺の視点からは彼女の足下がどうなっているのかよく見えないが、漫画の知識を頼りに考えると、魔法陣を起動させたのだとわかった。
セリスは魔法陣を地面に構築することで、大地に存在する魔力を吸い上げて魔法を強化する。魔法陣構築から魔法発動まで全てが一瞬であり、一片の隙もない。
そしてセリスが杖を振った瞬間、彼女の周囲に多数の光が生まれた。それはどうやら光の矢と言うべきものであり――魔物が次の行動に移るより先に、魔法が一挙に放たれた。
光が、例外なく魔物へと突き刺さっていく――どれだけ効き目があったかは不明だが、魔物は咆哮を上げた。同時、多数の矢がかき消えた。魔力を発したか、それとも咆哮に何か仕掛けでもあるのか、あっさりと魔物は対処した。
だが、セリスはさらに動く。今度は雷光の魔法。一瞬で魔物に幾筋もの光が突き刺さり、魔物はさらに声を上げる。そして間髪入れずに今度は上空から飛来する青白い光の槍。さらに地面からは輝く鎖。さらに再び雷光が放たれ、続けざまに風――それは魔物を両断するような刃に変じ、魔物へと直撃する。
――そうした多種多様な魔法が、魔物へと突き刺さり続ける……魔法というのは本来、体の奥底から魔力を練り上げ、詠唱によってその魔力を高め、武器へその魔力を流すことで威力を増幅し放つ、という流れをとる。それが魔法を使用する基本の形であり、俺は実際にそうやって習った。
けれど今のセリスは詠唱せず、杖を振りかざすだけで魔法を使っている……魔法陣によって威力を増幅した影響なのもあるが、これは無詠唱魔法――熟練した魔術師が扱うことができる技術であり、練り上げと詠唱を省略している。
しかも瞬間的に魔法を数々生み出しており、その物量によって魔物は完全に押し留められている……さすがに連発している結果、一つ一つの威力は下がり魔物に決定打を与えられていない様子だが、セリスの役目は魔物の動きを縫い止めること。その役割は、完璧に果たしている。
「……すごい」
俺は思わずこぼした。卓越した魔法技術。そして凶悪な魔物さえも封じ込める力……前世で読んだ漫画で彼女の活躍は繰り返し読んだが、転生し現実となった今、その勇壮な姿を目の当たりにして、深い感動を覚えていた。
『うむ、凄まじい技術だな』
そしてジャノもまた声を上げた。
『一つ一つの魔法が魔物の動きを的確に止めている。魔物が身じろぎすることでどのような動きをしようとしているのかを予測し、有効な魔法を選んでいるようだ』
「そこまでしているのか……?」
『大地の魔力を利用し魔法を連発している。結果として一つ一つの威力はそこまで高くないが……彼女は役割を果たしている。後は、勇者達の攻撃次第で勝負が決まる』
――セリスの魔法が繰り出され続ける中、勇者と戦士、そして騎士は魔物へと走る。俺は少し距離を置いて観察しているが、この場にいてもわかる……勇者達が魔力を高め、魔物を仕留めるための力を武器に収束させている。
まさしく乾坤一擲の勝負であり、魔物との戦いをここで決めるつもりであるのは明白だった。
「決まるぞ、戦いが」
俺はそう呟いた。勇者達の剣がまさに、魔物へと届こうとする――
『ああ、そうだな……決まる』
そしてジャノが声を発した。
『おそらく、あの場にいる者達にとって予想外の展開で、な』
「……え?」
俺が声をこぼした直後だった。勇者達の剣戟が魔物へと炸裂した……が、彼らの刃が魔物の体躯を刺し貫くことはなく、止まった。
「……何!?」
勇者が叫ぶ。間違いなくこれで勝負を決める、という強い意思があったはずだ。しかし、傷を付けることすらできていない。
「――皆さん!」
セリスが叫んだ。勇者達は即座に剣を引き戻し魔物から距離を置いた。一方の魔物は動かなかったが――その代わり、口を大きく開けた。
何か来る、とこの場にいる誰もが思ったことだろう。俺も反射的に身構え、勇者達も何が来ても問題ないような態勢を整える。
ここでセリスが駄目押しとばかりに結界魔法を魔物の前に構築し――直後、魔物の咆哮が轟いた。
それは、威嚇するための咆哮とはまったく異なるものだった。ただ音を発しただけ――なのに、まずセリスが構築した結界を完膚なきまでに破壊した。
音が直に俺達へ襲い掛かってくる――音と共に魔物の魔力が拡散する攻撃であり、轟音によって動きを止めて魔力によりダメージを与えるというものだった。
「っ……!」
俺は距離があったし、何よりジャノが持っていた力によってダメージは皆無だった……が、間近で攻撃を受けた勇者達は平気じゃなかった。
おそらく魔力によって体を保護し、防御はしていたはず――魔法が使えない戦士であっても、体に魔力をまとわせることで防御力を高める。戦闘中は常にそうした技術を用いているはずで、咆哮により発した魔力もきちんと受け止めたはずだ。
しかし、どうやらその防御を貫通した……前線にいた勇者や戦士、さらに騎士に加えて後方にいたはずの魔術師でさえも、その場に倒れ伏した……歴戦の戦士、精鋭であっても彼らは耐えられなかった。
唯一の例外が、セリス……彼女だけは杖を構え、魔物へ向け対抗しようとしている。足下で輝く魔法陣が消えると、彼女は一歩魔物へ歩み寄りながら杖を構えた。
――セリスは魔法だけでなく、杖術も扱える。それについても才覚があったらしく……あるいは天才的な魔法による補助があるためか、達人級の技量を持っていると聞いたことがある。
つまりセリスは倒れた勇者達に代わり自らが魔物と相対する……そこで俺はまずいと思った。
「ジャノ……セリスは、勝てると思うか?」
『わからん。だが勇者でさえも咆哮一つで倒れる様を目撃しただろう? 皇女の戦いがどう転ぶか、予想できん』
――魔物の力は、俺が昨日倒した個体と似たようなものだ。俺が放つ全力の剣ならば、一撃で倒すことが可能だろう。
だがそれは、セリスの前に姿を現すことを意味する。現段階では俺の存在を認識していない様子。セリス達がいるから、自分の出番はない……そう高をくくっていたが、実際は魔物が圧倒するような状況。
勇者達が倒れ伏してしまう相手に、セリスは戦えるのか? けれどもし彼女の前に飛び出したのなら、後に控えるのはありとあらゆる事情説明だ。それはもしかすると、目前にいる魔物を倒すよりも遙かに面倒な話になるかもしれない――
セリスがさらに一歩近づく。魔物は先ほどのような突撃は仕掛けない。それは彼女の力を警戒しているためか……それとも、他に狙いがあるのか。
彼女は戦闘に入った場合、倒れる勇者達を守りながら戦うことになる。例えセリスが魔物を倒せるだけの力を有しているとしても……背後に守る者がいる状況下で、全力を出せるのだろうか?
そうした疑問が駆け巡った時、俺は半ば無意識に両足へと魔力を収束させた。目の前で、大切な人が危機に瀕しているのであれば……助けるのは、当然のことだ。
『行くか』
そしてジャノが言う。
『この状況下で救うのであれば、助言を一つしよう。後のことは考えるな――ただ、目の前の脅威だけを見据え、戦え』
言われなくとも――ジャノの声を聞くと同時、俺の足は地を蹴り、セリスの下へ向かった。




