プロローグ
――どうして、俺は力が欲しいなどと願ってしまったのだろう。
そう心の中で嘆いたのは、全てが手遅れになった時だった。視界には漆黒――人を死に至らしめる力が、俺の体を覆い飲み込もうとしていた。
原因は俺の目の前にあるテーブルの上。そこに、黒い水晶球がある。それに手を触れた瞬間、漆黒が溢れ俺の体を飲み込もうとしている。そしてテーブルを挟んだ向こう側に、水晶球を持ってきた張本人――ソファに腰を下ろし、黒い貴族服を身にまとう白髪混じりの男性がいた。
その人物は、我が計略が成ったとばかりに喜悦の笑みを浮かべている――俺は男性に力が欲しいと過去、語ったことがあった。それを理由に力が得られると水晶球を持ってきて、触れるよう促した。結果、漆黒が溢れ俺は飲まれようとしている。
どうにか逃げようとしたが、体が動くより早く漆黒が腕に絡みついた。まずい、引き剥がさないと――けれど、力でどうにかなるものではなかった。水晶球は魔法の道具。対抗するためには、魔法を使うしかない。
しかし俺には到底できない……簡単な魔法は使える。光を灯したり、少し筋力を強化したり。けれど俺が持つ魔法で抵抗できる力ではない――漆黒を引き剥がす力なんて、持っていない。
だから、絡みつく漆黒を受け入れるしかできない――けれど、必死に抵抗する。飲み込まれたらどうなるかなんて、火を見るよりも明らか。だから持てる力で必死に逃れようと――
「――素晴らしい力だ」
そうした中、俺へ向け男性が声を上げた。
「この力は、間違いなく世界を変えることができる……君が望んだ物であることは間違いないぞ、エルク君」
彼は、俺の名を呼ぶ……こんなものを望んではいない。そう言い返したかったが、荒れ狂う漆黒に抵抗するのに精一杯で、声は出せない。
「この力は、君が望む力を与えてくれる……だが、君の意識がどうなるかはわからない。そこについては謝罪しよう。まさか、こんなことになるとは思わなかったよ」
わかっていたはずだ、その喜悦の笑みを見れば――漆黒が両腕を伝い、体に巻き付いてくる。
「だが、確実に言えることがある……君の意思がどうなるかはわからない。けれど、力を得たことで、皇女は間違いなく喜ぶと思うよ。叔父であるこの私が、保証する」
皇女――この国には三人の皇子と、三人の皇女がいる。その中で目の前にいる男性が示す人物は……第二皇女。彼の姪であり、俺の婚約者である彼女に他ならない。
「心配はいらない、例え君が自我を失ったとしても、私が責任を持って君のことを保護しよう。漆黒は純粋な力の塊……私の言葉に従い、望む世界を作り出すものだ。私が、世界のために力を活用することを約束する」
嘘だ、と俺は心の中で叫んだ。力を目の当たりにして興奮する彼の表情には、明らかに黒い感情が混ざっていた。
彼は皇女の叔父――そして、この帝国における皇帝の弟。漆黒の力を用いて、何をするのか……欲望を隠さなくなった男性の瞳から、兄に代わり帝国を統べようという気概がはっきりと見えていた。
俺を騙し、漆黒の力を利用しようとする理由は、反逆……俺は絶望的な状況の中で抗おうとした。上半身に巻き付いた漆黒を引き剥がそうとした。
けれど、水晶球からは漆黒がなおも溢れ、俺の体を包み込もうとする。こちらの動きに男性は笑った。無駄な抵抗だと、全て受け入れろという暗に語っていた。
そして――視界が一気に黒く染まった。溢れ出た漆黒がとうとう俺の体に覆い被さる。
その瞬間、終わったと思った。どうなるかわからない。でも、俺の意識は消え去り、死ぬことになるだろう……そんな風に思った。
そして最後に思ったのは、どうして――なぜ力を求めてしまったのか。そうした考えに至る経緯……それを思い返すと同時に、走馬灯のように今日の出来事が蘇った――




