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死を越えて

「君、または貴男、貴女、貴様の死因は何であったか……。まずそもそも君は何であったか」と目の前に座する存在は零す。


「一体、何を言ってるんだ」と、怪訝に思い、問いかける。

そうすれば、目の前の存在はこちらを舐めるように見、再度零す。

君は何であったか、と。


「だから、何を言ってるんだ。私は」と、叫ぶ途中で言葉に詰まる。

はて、私は一体何者であったのだろうか?


「君はどのような存在であったか」と、目の前の存在は悩ましげに声を漏らす。

その瞳は、こちらを見ても居なかった。……瞳と形容したが、それは何とも瞳とは言い難く、その姿形自体が大変に醜悪で、何とも言い難い。まさしく獣畜生のそれであり、いやそれにもまして歪が極まっている。


「おい、私はどうして此処に居るんだ」と、私に残った常識の記憶に反する空間を指摘する。

現在私が立っている場所は、随分と空疎な場所であった。周りには何もなく、あるのはただの空虚だけである。そこに事実は微塵もなく、まさしくこの世界の本質を表している。


「君、君は……。そもそも、どうして死んだのだろう」と、目の前の存在は醜悪な肉の塊のような姿を、蠢かせる。

十にも、二十にも思える腕の数々が、その度に脈動していた。


「私が死んだ、と何を言ってるんだ」と、二度目の死を告げる言葉を反芻する。

しかし、その存在は答えもせず、ただ疑問を零す。

「そもそも、死とは何であろうか」と。


死とは、そんなのは簡単だ。それは喪失であり、同時に虚実だ。

唯心的世界が死に絶え、その世界が全て終わる。

唯物世界も同時に崩壊し、全てがなくなる。

であるならば、今まで重ねた唯物の歴史は虚実の灰燼に帰す。

崩壊した本質の内の事実とは、まさしく虚実であるからだ。


「おい、私は死んだのか」と、あり得ない想定を問う。

死が喪失でないのであれば、一体何であろうか。

唯心、唯物世界の崩壊を迎え、その上で死が訪れないのであれば、全て事実となるではないか。

物事の本質的崩壊は、まさしく無意味に期すではないか。

それでは、一体どうして物事の本質は、その意義を喪失するのだ。

その意義を喪失する必要性は、一体何であるのだ。


「嗚呼、まさしく君は死んだことだろう。死んだ、そう死んだ」と、目の前の存在は独りごちる。


死んだ、と随分とふざけたことを言う。

そうであるのならば、どうして私は意識を喪失しない。

確固とした意識があるのならば、それは喪失ではなく、同時に虚実ではない。それ故に、私の本質が死という状態にあるのではなく、生を享受していることの証左ではないか。

唯心世界が崩壊していないのだ。であるならば、それに支えられる唯物世界が崩壊することがあるだろうか。

「お前は何を言っているんだ。私は生きている。生きているからこそ、この思考を断乎として行っているのだ」と。


「君の本質とは」と、その存在は幾つも伸びた腕を翻し、零す。


「私とは、つまり思考だ」と、それに返す。

思考があるからこそ、私は私である。であるならば、私を私たらしめるこの思考こそが、私の本質であると言えるだろう。


「君の本質は、崩壊していないか」と、それは瞳のように思える幾十もの穴を大きく開き、その内の空虚さ、空疎さを私にまざまざと見せる。


私の本質、それが崩壊している、となんと馬鹿らしい思考だろう。

私が思考し、その上で発言しているのだ。であるならば、私の本質は断乎として生存していると言える。


「君の本質の、その本質は崩壊してはないか」と、その存在は開いた空虚に幾十もの腕を入れ、抉るように動かしている。


本質の本質、……一体それは何であると言うのだ。

思考の本質、それは私の存在の規定ではないか。

はて、私とは一体何であった。

私は何時生まれ、どのように生存し、成長し、学んだ。

その生の軌跡、それは何処に行った。

もしや忘れたのか。忘れたのだとしたら、それは喪失だ。

思考の本質が、まさしく崩壊して居るではないか。

それでは私は本質的に死んでいる。まさしく、唯心世界が崩壊している。であるならば、私はまさしく死人ではないか。


「であるならば、生の本質とは何だ」と、私は叫んだ。私が死んでいるとしたら、この意識が生存しているのは可笑しい。本質的にはまだ、生の側に存在しているのだ、と。


「生、それは生だ。まさしく虚実だ」と、それは深淵のそこから何かを引っ張り出しながら答える。


虚実が生とは笑わせる。では、死とは何であるのだ。

死の事実によって、それら全てが虚実になるのは事実だ。

だが、それまではそれが確かに事実であって、そこに虚実性など微塵も介在しないことだろう。


「何を言う、それは死の本質だ。死こそが喪失であり、同時に虚実だ」と、それに叫び返す。その存在は尚も、目の洞から何かを引き出している。


「死の本質とは、それこそが真実だ」と、回答は短く、静かに木霊する。


何を言うか、死が、死こそが全てを虚実、事実を無意義の存在にするのだから、それこそが本当の虚実だろう。馬鹿を言うな。


「生の終着点とは、死だ」

「何を言うか、生の終着とは喪失だ」

「死とは、それまでの嘘を本当にする」

「生を喪失するからこそ、全てが虚実になるのだ」

「指針通りに物事が運ぶ、それこそ嘘だ」

「何を言う、無秩序、無法則、不確定こそが嘘だ」


と、議論を続ける内に、奴は遂に引き出しているものを取り出す。

それは、あまりにも歪な、強いて形容するならば眼球だろう。

落ち窪んだ目の洞から、月のような眼球を取り出すとは、可笑しな話だ。


いや、待てよ、可笑しな話だ。

そう、奴の行動はあまりにも可笑しく、狂っている。

その容姿、姿形ですら狂気的であまりにも無秩序、無法則ではないか。

そうであると言うのならば、私はもしや死んでいることの証明になるのではないか。

不確定が嘘であるというのならば、そうに違いない。


しかし、私は思考をしている。

なのだから、私の本質は崩壊していない。

よくよく考えれば、私の存在の規定も、私の発言という行為によって行われており、であるからこそその本質も崩壊しているとは言えない。

であるならば、私は考えずとも、生きていると分かるではないか。


「君は、その君の行為自体が、真性のものであると考えるか」と、その存在は取り出した目玉を一つずつ潰しながらに言う。


「行為の真性、そんなものは思考によって裏付けされている。行為というものが思考によって生み出されたのであれば、その行為は真実であるし、その思考もまた真実だ」と、私が言えば、奴はこう言う。

「その行為が、何を生み出す」


行為によって、私の存在が裏付けされ、また思考の存在も裏付けされる。

であるならば、その行為は私の存在証明であるのだし、それと同時に自身の探求であり、また生の記録である。


「その行為によって、私の生が証明される」

「嘘の証明、その行為が本質を突いているのか」

「何を言う、生という真実を証明しているのだ。であるからこそ、それは意義のある行為で、生が裏付けされる」

「終わりがある、全てが決まったとおりに進む」と、奴はこちらを眼中に入れず言葉を零す。「そして、決まり通り終わりがある」と。


「当然のことだろう。生という真実が、死の虚実に崩壊させられるのだ」

「生の真実性とは、何て脆いものだろうか」

「いや、虚実が事実の根本の意義を破壊しているのだ。だからこそ、全てが無意味になる。死とは思考の喪失であり、また行為の喪失だ。自身の存在定義の喪失だ」

「生の虚実は、死の真実によって覆され、確定される」と、言い最後の一つの目玉を潰したところで、こう言った。「しかし、それは不可逆だ」


確かに生と死の関係は、不可逆なものだ。

けれど、それも当然のことだ。

死というものによって、生の真実、記録、行為が無に帰す。

なのだから、それが元に戻らないのは当然のことだ。


それは決して、死が生の規律を解放し、そして今までの生を確定させるからではない。

それまでの生は、生こそが真実である。

確定されてからの生こそが、そしてその後の無秩序の死こそがまさに虚実である。


「君は、真実の者だ」

「当然だ。私は、生きているのだから」

「君は、確定された虚実だ」

「何を言う、それは貴様の言う真実だ。私は思考をし、そして行為を行う。これを生きていると言わず、何というのだ」

「君は、その君の定義をしていない」

「酷い言草だ。私の行為によって、私の存在は定義されて居るではないか」

「君の真実は、何処にある」


と、馬鹿馬鹿しい議論は展開される。

奴は手持ち無沙汰になったのか、手を動かしていた。潰れた眼球から溢れ出した、黒い液体によって真っ黒に染まった手だ。


「私の真実は、この思考だ」

「君の肉体は、思考をしているか」

「事実として思考をしているからこそ、ここにある。思考の出来ない肉体は、それは死体だ。虚実によって、体内を満たされた肉の塊だ」

「滑稽だ。虚実をどうして求める」


奴の発言から、私は何となく察した。

きっと奴は死を確定させたのだ。

その行為の無駄さの方こそが、滑稽ではないか。


「笑わせる」と、再度窪んだ眼窩に腕を突っ込む奴に言う。

奴は、何も答えることはなかった。

まるで興味がないようだった。


「何かを答えたらどうだ。お前が嘯く限り、私はその虚実を否定し続ける」

「真実を否定する必要性」

「その行為によって、私が私であると証明され、私の真実性が確かになるからだ。私の生の事実が、私の存在を裏付けするからだ」


奴は眼窩から、潰れた鉄の塊を取り出す。

それを幾つも掲げながら言う。


「君の真実性、君の生の確かさ、それは君の今までの人生がなければ裏付けされない」と。


確かに言うことも事実だ。

しかし、それによって私の生が否定されるわけではない。

思考によって、私の人生は確定されるとも、生は確定される。思考とは、生きる者の特権だ。


「君は、どうして死の真実の世界に、思考が存在しないと思う」

「それは死が喪失だからだ。喪失の後に、何があるという」

「創造。崩壊の後には、創造がある」

「輪廻転生、仏教でも説くというのか」

「違う。生の後、死によって生が確定された後、そこに真実がある」


意味の分からない返答に頭を悩ます。

死ななければ分からない、と言いたいのだろうか。


「難儀、どうして死を受け入れないのだ」と、その存在は言い、そして手に持つ鉄塊を床にたたきつける。

その突然の凶行に、私は避けることが出来ず、無残にも潰されてしまった。そう、潰されてしまった。


「どういう事だ」と、疑念を零す。


「君は、最初から最後まで死人だった」と、その存在は興味を失ったように、手を使って、全身を使って、蠢き、私から離れていった。


私は、空疎な空間で一人になった。

空は白く、あまりにも広い。

地平線は何処までも広がっていて、何もない。

この空疎は、まさに真実であった。

そこに虚実はなく、事実として私の目の前に横たわっていた。

これでお終いです。

気持ちが悪い、と思って頂けたら反応を頂けると嬉しいです。

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