非顕教の純密の趣、はなはだ強し
けっして「いや、何も…」ではなかったのだ。またなるほど経営者なら一皮剝けばこういう激高癖があってしかるべきなのだろうと思われ、表面の温厚の顔はいつでも豹変するものと留意するしかない。亜希子はまるで鳥羽がお上かお殿様ででもあるかのようにその美しい顔に愛想笑いを浮かべては「はい、はい、わかりました。わたしたちは若さだけしか取り柄がなくって…どうかご堪忍ください」と相手を持ち上げてみせる。またその一方で加代同様に立ちあがって来ては梅子の手を握り「梅子…」と目でこれをなぐさめもした。しかし梅子はフンとばかり顔をそむけてしまう。まったくこの先が思いやられたが梅子が指摘したとおり自らが独断で招いてしまった結果であり、ここは何とか取りつくろって歌会を成立させるほかはない。つぎに万事心得ているだろう匡子か慶子と、自分のコバンザメと公言する郁子との間で歌合わせをさせようかなどともくろんでいるとあずま屋から見て西南の方、風閣寺に通じる道から一陣の暖かい風が吹いて来て、その風に乗るように一人の托鉢僧がこちらへと歩いて来るのが見えた。そのまま通り過ぎるかと思ったら亜希子の目の前で立ち止り、網代笠に手をあててややこれを持ち上げ、ぶしつけにも亜希子の顔にまじまじと見入って動かない。わけを訊こうとした亜希子の顔が相手の生理的な異臭で一瞬ゆがむ。つまり路上生活者のような異臭に。舌打ちをして鳥羽が追い払おうとしたがそれより早く「非顕教の純密の趣、はなはだ強し。ふたたびの難転なきにしもあらず」と難解な仏教用語をのたまわった。




