遠い日の記憶
その紋章は、2羽の鶴が向き合っているようなものだった。
「これって、一体なんの紋章なの?」
気がつくと、マルタの方に身を乗り出しながら、自分でも驚くほどの声量を出していた。
「え……どうしたんだよ、いきなり」
流石にマルタもこれには驚いている様子だった。
「あ、ごめん。大きな声出したりして」
でも、何故だか分からないが、その”紋章”についてどうしても知らなくてはならないという感情に駆られていた。
「いや、それは別に良いんだけど。この紋章がどうかしたのか?」
「なんていうかずっと昔に見たことがある気がするんだ」
ボクは手帳をマルタに手渡した。
「まぁ見たことがあってもおかしくないんじゃないか」
「え?」
マルタが改めてボクに”紋章”の書かれた紙を見せてくる。
「……これは、クレインピーク学園の校章だよ」
「クレインピーク学園ってあの……?」
「ああ。あの”魔術学園”だよ」
クレインピーク学園。マルタも入学することを目指している、魔術師養成機関だ。
ただ、なぜそのクレインピーク学園の校章に見覚えがあるのかが分からない。ボクは、少なくともマルタのように魔術師になろうだとか、魔術学園に入学しようなどと考えたことはない。
「ま、小さい頃にどこかで見たんじゃないか?それほど珍しいものでもないしな」
「うん……まぁそうなのかな」
マルタの言うように小さい頃に見たというのは間違いないと思う。ただ、いつどこで見たのかが全く思い出せない。
もっとも子どもの頃の記憶なんて鮮明に覚えているものではないし、マルタからすればなんでそこまで”校章”のことが気になるんだ?ということかもしれない。ただ、記憶は定かではないのに、何故だか”校章”そのものというより、それをいつどこで目にしたのかということが物凄く重要なことである気がしてならなかった。
「……ま、そんなに気になるならさ。この機会にキルトも”魔術師”を目指してみたらどうだ?」
「いやそれは……前にも言ったけど、ボクにはそのつもりは……」
「冗談だって」
マルタは口元にフッと笑みを浮かべると、ベッドに横になった。
マルタは冗談と言っているけれど、冗談には聞こえなかった。
マルタと同じようにベッドに横になり、しつこいくらいに”校章”について色々と思い出そうと試みるが、やはり何も思い出せなかった。
そのうちに段々と眠くなってきた。
そういえば、この”校章”のこともそうだけど、ボクは小さかった頃の思い出をあまり覚えていない。
今回のこともそうした思い出のように忘れてしまったということなのだろう。
でも……どうしても、今回のことだけは、絶対に忘れてはいけない。それだけが頭の中をぐるぐると巡っていた。
***
ねぇ_________
ねぇってば__________
何だか頭の上の方から声が聞こえてくる………
幼い子どもの声だというのはなんとなく分かる。でも、誰の声なのかは分からない。
……そうか。もう、朝なんだ。
でも、幼い子どもの声がするっていうことは、”何か”あったのかもしれない。
だとしたら、早く目を覚まさないと……。
「んっんんっ……」
何とか瞼を上げる。それと同時に、目に光が入ってくる。その眩しさに思わず目を細める。
「起きて、お兄ちゃん」
「え……誰?」
目を開けると、3歳くらいの小さな女の子がボクの顔を覗くようにしている。孤児院では見たことがない顔だ。
それに、それ以上に何か違和感があった。
何だこれ……?
自分の身体のはずなのに、自分の身体じゃない。目に映っている両手は、明らかに小さい子どものそれだった。
それに……。
反射的に喉元に手を当ててしまう。何だか声もおかしい。
思わず、体を起こした。今までボクの方を覗き込むようにしていた女の子が思わず体をビクッとさせる。その上で、心配そうな表情をしながらこちらを見つめている。
改めて自分の身体を見てみる。
子どもの……身体だ。
身体もそうだし、目の前の女の子にも全く見覚えがない。
寝起きということもあるのだろうけれど、頭が全然回らない。
そのうちに目の前にいた女の子が寝ているベッドからスッとおりると、『お兄ちゃん、起きたぁ』と大きな声で言いながら、部屋の外に出ていく。
「あっちょっと待って…… 」
その後ろ姿に向かって声を掛けるが、女の子は振り返ることなく、出ていってしまった。
ただ、1人部屋に残されると、徐々に冷静になってきた。
そもそも、突然こんな姿になっていること自体がおかしい。朝起きたら、急に身体が子どもになっていたなんてことが現実にあるはずがない。
つまり、普通に考えれば、これは”夢”だ。
そうだと認識すると、今まで混乱していたのが嘘のように、ホッとして気が抜けた。
”夢”ということは、そのうち目が覚めるはずだ。現実の方で自然と目が覚めるのを気長に待とうと再びベッドに横になるも、なかなか寝付けない。いや、まぁ夢の中だから、正確に言えば寝てはいるんだけど……。
このまま体を横にしていても、眠れそうにない。
再び体を起こして周囲を見回してみる。そうしてみると、少し気になることがあった。確かに、先ほどまでは、目の前にいた小さな女の子やこの部屋にも見覚えがないと思っていたが、全く見覚えがないかと言われれば、そうではなかった。具体的にどこというわけではないが、どこか懐かしい感じがする。
ベッドから降りると、その足元に何冊かの大きめの本が無造作に置いてあった。一番上のものを手に取る。絵本のようだった。
そして、こちらもその表紙に確かな見覚えがあった。パラパラとページをめくってみると、やはり読んだことのあるものだった。もしかすると……と思い、その下にある本も手に取ってみる。
やっぱり見覚えがある……。
正直、ボクは、小さかった頃のことはあまり覚えていない。物心つかない頃に流行病で亡くしたこともあり、両親のことすらその記憶は曖昧だった。
でも、少なくともこの絵本については、はっきりと昔見た記憶があった。それに、絵本に見覚えがあると分かってくると、この部屋自体も単なる懐かしさを感じるだけでなく、確かに見覚えのあるものになってきた。
夢であるのは確かだ。でも、普通の夢のような何か奇想天外なものを見るのではない。自分では全く覚えてないと思ってはいたけど、頭の片隅には幼い頃の記憶がしっかりと刻み込まれていたということなのかもしれない。
ついさっきまで目の前にいた女の子……。
あの子に関しては、やっぱり誰なのかは分からない。ただ、あの言葉が気になった。ボクのことを”お兄ちゃん”と呼んでいた。
ただ、ボクに妹はいない。
でも、これが本当に忘れていた記憶の断片だとしたら……。
一体どういうことなんだろう。
確かめる必要がある……。
立ち上がり、部屋の出入り口へと向かう。ドアノブに手をかけ、回す。
「何だ……これ……」
ドアの向こう側が赤い炎に包まれている。そして、こちらに向かって熱風と共に炎が舞い込んできた……!