何気ない日常
WW340年_____
鳥の鳴き声でいつものようにベッドの上で目を覚ました。窓から外を見下ろすと、すでに何人かの子どもが外で遊んでいるのが見える。同室のマルタのベッドはすでに空っぽだ。どうやら、マルタも外に遊びに行ったらしい。いや、遊びに出たというより、子どもたちの見守り役として外に出ているという方が正しい。
着替えて廊下に出ると、若干の寒さを感じた。まだ秋になってまもないが、早くも季節の移り変わりを感じる。そのまま建物の中央にある階段へと向かい、階下へ降りていく。
ここは、ウィルウッド王国の東端に位置するポーティックという町にある、孤児院だった。孤児院には、様々な事情を抱えた子どもがおり、こうした孤児院は王国各地に設けられていた。王国直営の孤児院ということもあり、施設は立派で、教育環境も充実していた。
建物の一階に降りて外にでると、朝早くということもあって、より一層寒さを感じる。外では小さい子どもたちが元気よく走り回りながら、楽しそうに遊んでいる。孤児院にいる、こうした年齢の低い子どもたちは、複雑な過去を背負っている場合が多い。尤も年齢が低い分、自身の過去についてはよく理解していない子が多いのがせめてもの救いだ。
ちなみにこの孤児院には、年齢の低い子どもからボクのように比較的年齢の高い子どもまで幅広い年齢層がいた。ただ、全体的な割合で見ると、特に年齢の低い子どもの割合が高かった。そして、そうした子どもの多くが犯罪によって家族を奪われ、天涯孤独になった被害者だった。
「あっ、キルト!」
走り回っていた子どもの一人がボクに気づいて駆け寄ってきた。
「ねぇ、一緒に遊ぼうっ!ほら、早く!」
服の裾を引っ張ってくる。他の子どもたちもこちらへ寄ってきた。
裾を握っている子は、詳しいことは知らないが、両親を事件に巻き込まれたことで亡くしたと聞いていた。本人には、その記憶がないというのがせめてもの救いかもしれない。ただ、中には陰惨な記憶を心のうちに抱えている子もいる。その記憶は決して消えることなく、常に心を蝕んでいるはずだ。
その意味では自分は、まだ良い方なのかもしれないと思う。両親こそ当時流行し、多くの人の命を奪ったという病で亡くしたが、まだ幼かったボクにその記憶はない。こんなことを言うのは適切じゃないかもしれないが、物心ついた時から、家族がいなかったこともあり、喪失感や悲しみというのを感じたことはあまりなかった。
***
小さい子というのは、走るのがどうも好きらしい。まぁ自分が小さかった頃も、よく走り回っていたような記憶もうっすらとある。
とにかく、何をして遊びたいのか一応、尋ねはするものの、大抵鬼ごっこに収束する。オニ役として追いかけるのも、オニに追いかけられるのもどちらも目一杯走れるということで、楽しさが詰まった遊びということらしい。
いつものように、ボクがオニ役となり、子どもたちが隠れるのを待っていると、こちらに向かってくる人物に気づいた。ボクと同室のマルタだった。子どもたちの面倒を見に行っていると思っていたのに、姿が見えないと思っていたが、こんなところにいたとは……。まぁ何をしていたのか大体の想像はついた。
一方のマルタの方は、こちらに気づくなり、少し罰が悪そうな表情をした。ボクとはあまり遭遇したくなかった様子だった。
「子どもたちを見ているもんだと思ってたのに、いないなって思ったら、こんなところにいたんだ」
「……まぁな」
何となく話を早く切り上げたそうな雰囲気がある。
さりげなく、腕の先のほうに目を向けると、腕の先の服の一部が破けていた。枝か何かに引っかけたとかそういうわけじゃないのは分かる。
恐らく、そのことで何か言われるのを嫌ったのだろう。
「……もしかしてまたアレをやってたの?」
ここでいう"アレ"というのは、簡単に言うと、魔力の放出だった。全身から手に魔力を集中させ、一気に放出するというものだ。魔術の区分のようなもので言うと、基礎魔術における魔力操作の延長に該当する。ただ、当然ながら、手に魔力を集中させ、それを一気に放出させるというのは、周囲にとてつもない破壊的な影響を与えるだけでなく、使用者自身に大きな負荷を与える。
周囲への影響に関しては、そこまで心配はしていなかった。この孤児院は市街地から少し離れた場所にあるし、敷地が広大で、マルタが来た方向には草木のない拓けた場所がある。そこならば、周囲への被害は少なくて済む。
それよりも心配なのは、マルタの体の方だ。ここ最近、特に魔力操作を行なっているようだった。
「……最近、よくやってるみたいだけど。大丈夫なの?」
「別に心配することないって」
やはり少しぶっきらぼうな言い方だ。
「それ見たら、心配にもなるよ」
マルタの腕を指差す。
「これか、服がちょっと裂けただけで、腕は別になんともないよ」
なるべく早く話を切り上げたそうな様子を見ると、本当は腕に何らかの問題があるんじゃないかと思ってしまう。
マルタは、そのまま横を通り抜けようとしたが、その腕を掴んだ。
「っ……」
マルタが一瞬顔をしかめた。
「やっぱり、どこか怪我してるんじゃないの?」
そのまま、服の袖をめくると、腕に火傷したような痕があった。
「マルタ……これ……」
「別に、痛みとかはほとんど無いから大丈夫だ」
本人はそう言っているが、見た目からしたらとてもそのようには思えない。
「大丈夫っていう状態じゃないだろ」
分かりやすくため息がかえってくる。
「……時間が無いんだ。こんなこと気にしてる暇なんてない」
「それは、分かるけど……」
マルタがなぜこんなことをしているのか、それは、マルタがクレインピーク学園、通称"魔術学園"と言われる、魔術師養成機関への入学を目指していたからだった。
クレインピーク学園は、主に国の治安を守る魔術師を養成することを目的として設立された学園であった。細かい規定についてはよく知らないが、聞いたところによると、学園への入学資格条件は、2つあるようだった。1つはさほど厳しい条件ではなく、16歳以上であることだった。これに関しては、来年16になるマルタはすでに満たしたも同然だ。ただ、マルタに限らず、学園への入学をより狭き門としているのが、2つ目の条件だった。その2つ目の条件というのは、”ギフテッド”であるというものだった。
“ギフテッド”というのは、”固有魔術”を有した人のことを指すが、いつ”ギフテッド”として覚醒するのか、覚醒するには何をすれば良いのかなどその条件は全く分かっていない。実際、生まれながらに”ギフテッド”である人もいれば、年を重ねて唐突に覚醒する者もいる。
それを踏まえると、入学試験日が数ヶ月後に迫っている中、マルタが焦る気持ちも分かる。
もっとも魔力操作を限界まで行うという行為を繰り返すことは、体力向上や基礎魔術の醸成には繋がるとは思うが、”ギフテッド”として覚醒することに繋がるのかというと、その保証は全くない。
でも、このまま何もせずにはいられないということなのだと思う。
「……怪我するような元も子もないことはしないよ」
「その様子を見る限りだと、安心できないんだけど」
「……しばらくは控えるようにするよ」
その時、子どもたちの声が微かに聞こえてきた。それを聞いて、そういえば子どもたちと遊んでいたんだと思い出した。
「そうだった。じゃあ、とりあえず子どもたちのところに戻るよ」
そう言って、子どもたちの声がした方に向かおうとすると、今度はボクの方がマルタに腕を掴まれた。
「オレは、お前の方こそ目指すべきだと思ってるんだけどな」
「……ボクは魔術師なんて器じゃないって」
これまでもマルタに同じようなことを何度か言われたことがあるが、その度に返答に困っている。
とてもじゃないが、ボクには魔術師としての才能があるとは思えないし、そもそも魔術師になる覚悟すらない。
「そうは言うけど、基礎魔術に関しては、キルト、お前の方が実力はオレより上だろ」
またその話か……。
実は、マルタが魔力の放出を行うようになってから少しした頃に、何回か頼まれて同じく魔力の放出を行ったことがある。そんなことをそれまでしたことがなかったため、マルタの見よう見まねでやったわけだが、自分では全く分からなかったものの、マルタからすると、どうもボクの方が魔力の操作性や出力調整が自分を上回っていたということらしい。
「だから、それはまぐれであって……」
「自覚なしにまぐれでできるってことこそ、実力があるってことなんじゃないのか」
何を言っても無駄な気がしてきた。
「……いつも言ってただろ。子どもたちの多くが犯罪に巻き込まれて、ここにいるって。で、その原因を作った奴が許せないって」
「それは……そうだけど」
「魔術師になれば、そういった連中を取り締まることができるんだ。そして、ここにいる子どもたちのように悲劇的な経験をする子を減らすことに繋がるんだ」
「……それは確かにそうだけど。でも、ボクは凶悪な相手と直接対峙するような勇気はないし、どちらかっていうと、ここにいる子どもたちに寄り添ったり、支えるようなことをしたいんだ」
マルタ的には納得していないようだったが、そのまま腕を離した。