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7 食堂

 わたしと黒猫が地下二階に戻ると、食堂のテーブル席には白猫の娘が座っていた。白猫の娘は、水槽の中の魚を捕まえようとガラスにびたっと肉球を押し付けたところで、はっとこちらに振り返った。わたしは白猫の娘があまりに可憐だったので恥ずかしくなってうつむいた。


「成功したのね」

「うん……」

 わたしはまじまじと白猫の娘の顔を見ることも出来なかった。

「立派な虎猫ね」

「とてもよくしていただいて……」

 わたしはテーブル席に腰掛けながら言った。まったく猫の人生ならぬ「猫生」というものが始まったことに喜びを感じていた。


「ほら、あなたがご注文した魚料理よ。もう冷めてしまったけれど……」

「ええ、いいんです。わたしが勝手に歩きまわっていただけなので。ほうほう、なかなか美味しいですね。コックがいるのですか、この博物館には……」

「まあ、いるってものよ!」

 と白猫がわたしの顔を覗き込もうとするのでドキドキしてしょうがなかった。


 山高帽の黒猫も愉快そうに笑い、よかったよかった、と繰り返し言っていた。

「もう人間になんか戻らなくていいんですよ」

 と黒猫が言ったので、

「ええ、勿論……」

 とわたしは答えると、フォークで魚の身を突き刺して、舐めるようにして食べていた。


「この水槽の魚も食べられるんですか?」

 わたしが腰を上げてそんなことを尋ねたので、白猫と黒猫はどっと笑った。

「その魚はインテリアですよ。でも、わかります。食べたくなりますよね」

 と黒猫は嬉しそうに言うと、わたしが食べ終わったのを見て腰を上げた。


「もう先へゆくのですか」

 わたしは驚いた、珈琲でも飲んでゆっくりしたい気持ちなのに。

「ええ。閉館時間も近付いていますからね。おや、今日も調理場から大量のゴミが出たようですね」

 と黒猫は山高帽を斜にかぶると、深刻な表情をしてわたしを見た。



 わたしははっとして立ち上がった。調理場の出入り口から次から次へと同じ顔をした猫たちが出てくる。その猫はそれぞれ、真っ赤に染まったゴミ袋を引きずって歩いていた。それは床に真っ赤な跡を残してゆく。


 猫たちは皆、無表情で前を向き、一匹、またもう一匹、と列を成してわたしのテーブル席の隣へと進行してくる、まるでサーカスの行列みたいだ。


 ゴミ袋から、人間の中指が転がり落ちた。

「ああ、鼠が……」

 とわたしが言った途端、そのゴミ袋からあの呻き声が聴こえてきた。


「苦しい……苦しい……こんなに苦しけりゃ死んだ方がましだ……」


 そして、それは苦しげな呼吸の音をともなって、こう続いていた。


「死んでしまった方が楽みたいだ……アア…アアアアアアア……」


 わたしは両耳を押さえつけると、うわっと叫んで、呪文のように「鼠、鼠、鼠」と呟いた。これは鼠なんだ。人間なんかじゃないんだ。



 するとゴミ袋が床にどさっと落ちて、開いた口から血まみれになった人間らしきものがよたよたと這い出してきた。


(うわ……こんなことが……)


 それは忘れかけていた人間の頃のわたしの姿だった。苦悶に歪んだ顔で、恨みごとを呟いている。涙をこぼしていて、今や手もなく、足首もなく、たたま醜い肉塊となって、ずりずりと這いながら虎猫のわたしに助けを求めてくるのだった。


「タスケテ……タスケテ……生きるってこんなはずじゃなかった……ただ苦しいだけの毎日……狂気の沙汰……」


 わたしはぞっとしてその場から逃げようと立ち上がった。椅子がガタリと音を立てた。白猫も黒猫も驚いてわたしの顔を見ている。


「何が見えているの?」

 と白猫。

「まだ猫になりきっていないんだ」

 と黒猫。


 わたしは叫び声を上げて、顔を両方の前足で隠した。


「これはゴミだ、ゴミだ、ゴミだ…….」


(ゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミ鼠鼠鼠鼠鼠鼠鼠鼠……)



 どれほどの時間がたったことだろう。ふと気がつくと、人間の頃のわたしは形を失って、ただの肉の断片となって床にべっとりと広がっていた。

 わたしはほっとして「鼠」とだけ呟くと、床に落ちている細長いものを、元のゴミ袋の中に放り込んで、綺麗に入り口を縛った。


 わたしは二匹の猫の顔を見ると笑顔でこう尋ねた。


「あの、ゴミ捨て場はどこでしょうか?」


 そして、わたしは先程から続いている猫たちの行進に一匹でまじると、鼻歌を歌いながら、それを引きずっていった。






   「NEKOJARASHI MUSEUM 〜猫の博物館〜」完

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