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6 機械

 黒猫は床にしゃがんでいるわたしを、憐れんでいるように歩いてきた。

「人間さん。この扉の向こうに旧式のエレベーターがございます。実のところ、この部屋のずっと下の方に機械展示室がございます。そちらでご覧に入れたいものがございます」

「機械展示室?」

 わたしは気味悪く思って聞き返した。機械ってどんな機械だろう、と思った。


「ええ。そこは大きな歯車がいくつも回っている機械展示室なのです。そこでは、猫の文明の発展をみることができます。しかし猫たちが歩んだ道と、人間たちが歩んだ道、そんなに違っていたでしょうか。みんな幸せになるために必死だったのですよ。それなのにあなたは猫のことばかり、批判なさる。あなたたち、人間はこの数千年の間に自分たちが作り上げた社会に飲み込まれ、いまや潰されようとしている。人間の文明は、あと百年も経たないうちに核戦争で消滅してしまうでしょう。人間の文明が浅はかだったからですよ。それなのにあなた方は偽る。自己弁護をなさるのだ。あなただって、ただ本当のことがわかって怖くなっただけではありませんか」

「そんなことはない!」

「どうだか……」

 黒猫は、山高帽を傾けてかぶると、鼠展示室の向こうへとひとりで歩いてゆく。そこには木製の網目の形をした引き戸が取り付けられたレトロなエレベーターがあった。


「真実を知りたくはありませんか?」

「………」

 わたしはこの場でこうしていてもどうしようもない、と思って、無言で立ち上がり、黒猫と共にその引き戸の向こうへと歩いて行った。

「どんな真実であろうとも、君たちの思い通りにはならないつもりだ……」

「ええ。構いませんよ」

 黒猫が扉を閉めて、急降下するように、地面の底へとエレベーターは潜って行った。どれほどの時間、こうしてエレベーターの片隅に立っていたのだろう。わたしはつい、うとうとと眠くなってきたほどだった。


「到着しました」

 黒猫がそう呟くように言ったので、わたしは瞼を開いた。

 ガラガラっと引き戸が黒猫によって開かれると、そこは無数の巨大な歯車が回っていて、鉄パイプが張り巡らされた機械室のようだった。部屋の真ん中には二分の一スケールの機関車が飾られている。古時計や、小型の気球のようなものも展示されていた。わたしはあたりを見まわしながら、部屋の真ん中へと進んで行った。


「人間さん。あの壁の向こうに……巨大な鉄パイプがございます。そこに入って、虎色のガスに包まれれば、あなたはもう猫になることができる。人間であった頃のことなんて、すっかり忘れてしまってね……」

 わたしはその言葉に、ぎょっとして黒猫の顔を見た。

「騙したな」

「いえいえ、わたしはあなたのためを思ってこう申し上げているのです。つまり、あなたは人間でなくなった方がいい。その方が幸せになれるのです……」

「真実が知ることができるだなんて嘘を言って……」

 わたしの声は震えていた。

「いえ、猫になることが、真実を知ることなんですよ。あなたは人間には向いていない。猫になれば幸せに生きられるのに、どうしてあなたはそんなに人間として生きたがるのですか。あなたが人間であることにこだわっているのは、単に今あなたが人間であるからに過ぎないのですよ……」

 そう言われてみるとそうかもしれなかった。わたしはぼんやりと立ち尽くした。


 自分の隣にこしらえてあるテレビジョンの画面の明かりがぱっとついて、そこに小さい頃のわたしが映っていた。幼稚園の頃の無邪気なわたしだ。世の中の残酷さを何も知らなかった。それから学校に上がり、友達もあまりいないくせに恋に悩んでいた。それから、さまざまな会社で失敗を続けている自分の姿が放映された。わたしはまさにこの部屋の歯車のように動かされていた。しかしいつのまにか壊れた歯車のようになって、ひとりだけ鈍い動きでどこにも連結しないで回り続けていた。それがわたしの人生だった。


「人間として生きたっていいことはないかもしれないな……」

 わたしはその画面を見つめてぼそりと呟くと、黒猫の顔を見た。

「そうだ。もう人間として生きなくていいんだ。そうだろ?」

 黒猫は深く頷いた。彼はわたしは慰めるように、わたしをその太い鉄パイプの中へと誘っていった。わたしはかがみ込むと鉄パイプの中によっつんばいで入ってゆくと、中ではほとんど身動きが取れなかった。両手両足を縛られているみたいだった。


「これは狭いな……」

 黒猫はその言葉に「ふむ」と返事をしただけだった。

「虎色のガスはいつ出てくるんだい?」

「いや、とりあえず死んでもらう」

「えっ」

 わたしはあまりにも突拍子のないことを言われたので驚いて声を上げてしまった。


 鉄パイプは蓋が閉じると、ぐらりと波のように揺れて、まるで宙吊りになって、どこかへ運ばれているようだった。わたしは驚いて、鉄パイプの壁を叩こうとしたが、狭さのあまり肩が支えて、手が上にゆかなかった。

「どうするつもりだ……」


 その時、鉄パイプの足の方の蓋が開いたと思うと、その先に、鋼鉄のギロチンの刃がまるで機関車のエンジンに連結しているような速さで上下しているのだった。

「うわっ……それはないだろう……」


 わたしは斜めに傾いた鉄パイプの中で必死にもがいていたが、掴むところもない滑り台のごとくで、ギロチンの方へとずるずると滑り降りていった。足首がギロチンで切り落とされた。わたしは叫び声を上げた。膝がギロチンで切り落とされた。血が溢れ出した。今度は腹がギロチンで切り落とされた。わたしの口から勢いよく血が噴き出した。そしてわたしの首がギロチンで切り落とされた。ずるりと胴体が先に奈落の底へと落ちてゆき、首が鉄パイプからころころと転がり出た。


(もう少し楽な死に方がなかったものか……)



 鉄パイプの入り口が開いて、わたしは外にのそのそと這い出してきた。山高帽の黒猫は嬉しそうに頷いている。彼がすぐに手鏡を渡してくれたので、緊張しながら自分の顔を見てみるとなるほど、それはそれは立派な虎猫になっていた。

「成功ですね」

「よく言うよ」

 わたしは黒猫をじろりと睨んだ。

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