4 絵画
考古展示室を後にしたわたしたちは、今度はその隣の植物展示室へと入っていった。そこは三メートルもある雑草が一面に生い茂っている温室のようなところで、通路にまで蔦が伸びているのだった。それらをまるで松や杉の大木のように自慢げに語る猫たちの横顔を見つめながら、わたしは「変なところに来てしまったなぁ」と思った。
ドーム型の天井まで届きそうなタンポポが、琥珀色の照明に照らされていて、わたしはなんとなくぞおっとしてしまった。
「ネタナギ博士がこんなにも雑草を大きくすることに成功したんです。このおかげでショベルカーを使わないと雑草を抜けなくなったんです」
「こんなものを見ても仕方ないですよ。大きくなったって雑草は雑草です」
と思い切ってわたしは、黒猫にそんなことを言ってみた。
「あなたたちにとってみればね。でもね、こうして小さくなって見てみると思わぬ発見があるというものです」
わたしはその返事に呆れて、とにかく次の展示室に行きたいと思った。それか先程の考古展示室に戻りたいと思った。これならばまだ原始猫の鈴を見ていた方がいい。わたしがあからさまに不機嫌になったので、黒猫と白猫は気にしている様子であった。
わたしたちは温室の隣の階段を下っていった。壁には絵画展示室と記されていた。
ミュージアムらしくもなく、壁一面、所狭しと無数の絵画が貼り付けられていた。それがいずれも猫や魚の油絵ばかりであることに気がつくとわたしはすっかり興醒めした。
「どうです。こちらの美猫画はたまらない傑作でしょう。それともこの魚の絵の方がお好きですか。今まさに魚屋から奪ってきたような新鮮さで描かれてあります。それともなんです。魚よりも肉がお好きですか。えっ、西洋絵画がお嫌いなのですか。それなら、浮世絵なんてどうです。猫の浮世絵師の中でも猫麿や猫定のものは超一流ですよ。」
「君たちにはまったく性欲と食欲しかないのだな。わたしにはさっぱりだよ。いいかい。わたしは猫じゃないんだ……」
わたしが腰に両手を当てて「こんなところに来るんじゃなかった……」と呟くと、黒猫も白猫もおろおろとひどく困った様子で、しきりに顔を見合わせている。
「それなら、それなら、この絵画はどうです。こちらの絵は……今にもとっ捕まえて爪で痛ぶってやりたいような鼠の絵です」
そう言われて、黒猫が慌てて勧めている油絵を見ると、そこには「鼠」というキャプションが貼られているが、それというのは、灰色の背景の前に裸の人間がうずくまっている絵だった。
「ずいぶん奇妙だな。これは鼠の絵じゃないよ……」
「また、さっきみたいなことをおっしゃいますね。じゃあ、一体、何に見えるんですか」
「いや……」
わたしは瞬きをしてから、それをよく見つめると、一匹の鼠が小さくなっている絵にだんだんと見えてきた。
「どうやら、あなたたちの言う通り、これは鼠の絵のようだね」
「そうでしょう。人間さん。さぞお疲れなのですね。どうです。食堂に行ってご飯でもいただきませんか……」
と黒猫がわたしに気を遣ってそう言ってくれたので、わたしは少しほっとした。
(確かに疲れているのかもしれない。わたしは先程から幻覚ばかり見ている。しかしその幻覚が現実で、現実が幻覚のようにも感じられる……)
「お気遣いありがとう……」
わたしはそう言って、二匹の猫に連れられて、絵画展示室を歩いていった。横目に壁を見ると、墨をのたくったような不気味な絵画が並んでいる。そのタイトルは「鼠取りの鼠」「捕らわれの鼠」「痛ぶられる鼠」「逆さ吊りの鼠」「鼠の処刑」。わたしはその並んだ絵画にぞっと寒気がした。
わたしは猫たちと共に下の階の食堂に訪れた。そこで魚の料理を注文したが、なかなか出てこなかった。そこで、わたしはトイレに行くといって席をたった。トイレは一階にしかないというので、一人で階段を登って、再び絵画展示室に戻ってきたのだった。
(おかしいな……先程と雰囲気が違う……)
何が起きたのか自分でも分からなかった。先程まで何の感動も湧いてこなかった、あの下らない雌猫たちの絵画がいまや、妙に艶っぽく、あるいは卑猥なもののようにすら感じられる仕上がりで、見ているだけでゾクゾクとするような興奮が湧いてくるものと化していた。
(ああ、なんて官能的なんだ……)
わたしは、こうなってくると雌猫も捨てたものじゃないな、と思った。
「いや、わたしは何を考えているんだ……これじゃまるでわたしまで猫みたいだ……」
わたしは自分の頭がおかしくなってしまったのでは思って、ぎょっとした。そして先程の「鼠」の絵画の前に立った時だった。
「ああ! これはなんてことだ。おい、猫たち、なんでこんな絵に鼠なんて名をつけたんだ!」
わたしはその場で、泣き叫ぶような声を上げると、「鼠」の絵画を必死になって壁から外し、床目掛けて何度も何度も叩きつけた。この音を聴きつけた黒猫と白猫が一目散に走ってくる。
「どうしました。どうしました!」
「ば、馬鹿にしやがって。お前たちのせいで、頭がおかしくなっちまったんだ! こんな、こんな、心地の悪い絵があるか!」
「落ち着いてください。あなたは疲れているんです。食堂で缶詰めでも食べましょう」
「ふざけるな。何もかも狂気の沙汰だ!」
わたしは泣き叫ぶと、二匹の猫を振り払って、たった一人で階段を駆け降りていった。
ああ、狂気に取り憑かれているのは、わたしなのか、猫たちなのか……。