3 展示
わたしと黒猫は、夜道を歩いて、琥珀色に照らし出された三階建ての博物館にやってきた。
その六角形の洋風な建物の入り口は、二十段ばかりの石の階段を降りたところにあり、ローマ風の太い柱によって支えられていて、さまざまな猫や魚の彫刻のこしらえてある壁の真ん中に観音開きの扉があるのだった。二階の大きなガラス窓から、中の美しい灯りが漏れ出していた。
入り口の横には、ここの館長なのだろうか、立派に太っている猫の銅像がたっている。
入り口の扉が開いていて、美しい白猫の娘が立っていた。
「おふたりともようこそ。NEKOJARASHI MUSEUMへ……」
そう言って、わたしたちは中に案内された。曲線を描いた階段のある二階まで吹き抜けの大ホールである。
「わたしはこの博物館に勤めている白猫です。本日、あなた方を案内するのはこのわたしです……」
そんなことを語るので、わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしが猫であったなら、こんな出会いは嬉しくて仕方なかったに違いない。そう思って黒猫を見ると、彼は曖昧な微笑みを浮かべ、山高帽を胸に抱えているだけである。
「展示室は、十個のエリアに別れています。一階から順番にご案内しますね」
そう言って白猫は、わたしの目をチラッと見て、嬉しそうに笑ったが、すぐに視線を外してしまった。
「そうだね。わたしは早く、有史以前の巨大な猫の化石とやらを見てみたいな」
「それはこちらでございます……考古展示室……」
わたしたちは白猫に案内されて、六角形の建物の形に沿って、長く続いている大きな部屋に入った。なるほど、高さ五メートルはあると思われる猫の骨の化石がいくつも並び、そびえていた。それらが無数の黄金色の照明に当てられている。わたしたちはその化石の腹の下をくぐることができた。
「本当にこんな大きな猫が、有史以前にいたのですか」
「ええ。いなければ化石もありませんもの」
と当たり前なことを白猫がすかさず言ったので、わたしは少し白けた。
窓際には、さまざまな標本や複製品が並んでいた。猫が養殖している魚の標本や、古生代の三メートルもある猫じゃらしの複製なんてものもあった。
わたしはその中に奇妙なものを見つけた。丸いガラスケースにキャプションで「鼠の歯」と記されている展示だったのだが、そこに実際にあったのは人間の下顎の歯だった。
「これは、表記が間違っているな。白猫さん」
「どうしてかしら……」
「これは鼠の歯じゃないよ」
「いいえ、鼠の歯よ?」
そう言って白猫は、さも不思議そうにわたしの顔を見た。
「まだ、あなた、猫になりきっていないのね」
「ご冗談を……」
わたしは、どういう意味かわからないのでそう言った。猫になりきるということが不吉なことに思えて、突然、腹立たしくなってきた。
「猫になりきるってどういう意味ですか。わたしは人間ですよ。人間であっちゃ悪いんですか……」
「あら、わたしはてっきり、あなたが人間嫌いなのかと思ったわ。だって、あなたが生きてきた人間の世界は、これまで一度だってあなたに優しかったかしら。あなたはあんな世界に戻りたいの? そうして、あなたもあのゴミ袋の中のものみたいになるおつもり?」
そう言われて、わたしはぞっとした。清掃員が引きずっていた血まみれの醜いゴミ袋を思い出した。あれは一体何だったんだ。わたしがあの中身になるというのか。ああ、気が狂ってしまいそうになる。
「ゴミ袋の中のものって何なんだよ……。君はあの中身が何なのか知っているのか……」
わたしは恐怖に取り憑かれて、うわっと叫んだ。がたがたと震えて、この場に立っているのも苦しいほどだった。
白猫はにっこりと笑って、黒猫の方を向くと、
「まだ何も知らないのね……」
と言った。
「いいんだ。この博物館の展示を見てゆくうちに、納得してもらえるだろう……」
そう言うと黒猫は、山高帽を目深にかぶって、わたしに背を向けた。
(なんだ……。あのゴミ袋の中身って何だったんだ……)
わたしはもう一度、「鼠の歯」とキャプションに記されている展示を見直した。
……そこにあったのは、本当に「鼠の歯」だった。
(あれ……。確かここにあったのは……)
ところが先程までここに何が展示してあったのか、わたしは思い出せなかった。そのうちにそんなこと、どうでも良くなってしまった。
(まあ、いいか……)
すると黒猫が愉快そうな声を上げた。
「人間さん。これをご覧ください。原始猫の鈴ですよ……」
わたしはそれを聞いて、その展示物のもとへと歩いていった。それはいかにも古くさい錆びついた鈴だった。
(嬉しそうだな。よほど貴重なものなのだろう……)
わたしは喜ぶ黒猫の姿に微笑んだ。
「原始猫は、これを宗教の祭祀に使いました」
と黒猫は説明を始めた。わたしはうんうんと頷いてその話を聞いていた。
すると、その瞬間、二階の窓ガラスがガタガタと音を立てて蠢いた。
わたしはぎょっとした。わたしが二階のその窓ガラスを見ると、その向こうに立っている人影がある。それも見たことのある人間だった。
今にも泣き叫びそうな顔をして、半狂乱になって、窓ガラスを必死に叩いている。
「苦しい……苦しい……こんなに苦しけりゃ死んだ方がましだ……」
ガラス窓の向こうの人間は、血の涙を滴らせて、唾液を垂らしながら、こう叫んでいる。
「お願いだ……助けてくれ……こんな毎日なら死んだ方がいい……タスケテ……タスケテ……」
すると、白猫が立ち止まり、その窓を斜めに見上げてふふっと笑うと、わたしにこう言った。
「今夜は風が強いから、窓ガラスが割れないか心配ですね……」
わたしはその言葉を聞いて、再び窓ガラスを見上げると、その向こうにはもう何も立っていなかった。ただ、風に打ち震える窓ガラスがあるのみ。
(そうか、今夜は風が強いのか……)
わたしはそう思って歩き出した。先程まであの窓の向こうに何かが立っていたような気がしたが、それが一体何だったのか、もう何も思い出せなかった。ただ風が強いだけだ。