7.赤い水晶
通された部屋は、神官長としてのケイマの執務室なのだろう。赤地に金刺繍の絨毯が床を覆い、壁をいくつかの本棚と何故か薬品棚が埋める。部屋は入り口から奥に向けて縦長になっており、手前には背の低いテーブルと来客用のソファ、奥には書類が山積された――机の向こう側が見えない机が据えおいてある。そのさらに後ろは、ステンドグラスで両脇を飾られた大きな窓があり、奥の方は礼拝堂である事が知れた。
誰がどう見ても「仕事をする部屋」だ。山積する書類を見て、ケイマが「あー」と頭を抱える。
「あいつら、もうちょっと俺の仕事を減らそうって努力はないんか!」
「……あれ、どうなさるんですか」
何となく予想がつくものの、ほんの少し哀れに思えて尋ねてみる。帰ってきた答えはだいたい予想通りで、今からあの書類を一週間以内に目を通し、彼のサインと印をつけ、補佐官に渡す前に部署ごとに整頓する――正直な話気の遠くなる作業のようだった。
「いい加減、寝る時間が削れるんよ。だからお役所仕事は華がないの」
「……あ、あはは」
ケイマの言っていた華がない、というのは、この事だったようだ。確かに、これだけのハードワークならいくら給料が良くても「たかが」知れているのかもしれない。
これをこなしつつ商売までやっているというのだから、そっちの方がクラウディスには驚愕ものだが。
「……さて、目的は忘れちゃいかんね。俺は席をはずすっつーか、今からその書類と格闘するから。キミは、そっちの部屋でルカと話してきなね」
こほんとわざとらしい咳払いをして、ケイマは部屋の左側にぽつりと存在するドアを指し示す。
言われてようやく、緊張感がよみがえってくる。――そう、この扉の向こうに「あの人」がいる――。
「……ま、お留守番の彼氏を待たせない程度にね」
とんでもない事を囁かれたが、それを否定する余裕はクラウディスにはなかった。意を決して、ドアに手をかける――漸く、自分の課せられていた使命が終わる。
返事がないことで緊張を察したのか、ケイマは机に向かったらしい。足音が遠のいて紙をめくる音が聞こえ始める。それから、ようやくドアを開いた。
内部は、やはりケイマの私室らしい。簡素なベッドが奥の方に配置されているが、その他は見事に本棚と薬品棚――何故薬品棚なのかは大変気になるところだが、それ以上に目についた青い髪の男性に、かすかな記憶が適合する。
部屋の中央にある丸テーブルの前で、こちらに背を向けて座っている、三つ編みの男。記憶が正しければ、昔最後に会った時もあんな感じだった。
「あ、あの――ルカさんでしょうか」
恐る恐る、問いかける。どう考えても人違いではないと解っているものの、そう尋ねてしまうのは不安なせいだ。椅子に腰を落ち着けていた彼は、その声でようやく振り返った。
紫の、切れ長だが優しげな瞳。男性にしては存外色白で、優男と言っても間違いはない、典型的な美形。記憶にある「ルカ」と、完全に合致した。
「――久しぶりだね。十年経ったろうか」
旧友をもてなすように、ルカは微笑む。座ってと促され、クラウディスはおずおずと彼の向かいの椅子に腰かけた。
が、記憶とは合致するもののどうにも違和感がぬぐえない。自分が彼と最後に会ったのは、十歳にも満たないころ――それから十年は経っているはずなのに、彼には老いた様子が見られない。
しかし、彼は「ルカ」でしかありえなかった。声も容姿も、すべてが。
「……軽い事情は、ケイマから聞いているよ。レディエンスからここまで、随分と長旅だったんじゃないか?」
記憶に残るあの優しい話し方で、彼は微笑んだ。頷いて、目の前のテーブルに懐にしまっていた水晶のペンダントを置く。
「もう一つ――姉が持っていたものは、代行者に奪われてしまいました」
単刀直入にそう言えば、ルカはほんの少し目を細め、次いで悲しげに首を垂れる。
「――そうか――テトラは、逝ってしまったか」
代行者という言葉がさす現実は、神の代行による「死」。
クラウディスも、その姉であるテトラも普通の人間だ。しかし、レディエンスの神の代行は「疑わしきは罰せよ」の方針で遂行される。事実関係以上に、疑いを持たれてしまえば本当の意味で首が飛ぶ。
彼女もそうした理由で襲われ、はるばるとクライストまで逃げ伸びてきたのだ。
「流石に十年も経てば、ルシオンが気付かぬはずはないか……」
額に手をあて、ルカは何度も溜息を吐く。クラウディスにとってそれは、悲しくもほんのり嬉しい事だった。彼は姉の存在を今もしっかり記憶していてくれて、こうして姉の死を悼んでくれている――それだけでも、犠牲になった姉が救われるような気がした。
「あの、この中身は一体……」
かねてから――十年以上も気になっていた事を尋ねる。中身が何であるか、それはクラウディスにとってすら未知の代物だった。だからこそ、キアには一言も話す事が出来なかったのだ。
しかし、ルカは黙って頭を振る。話す事が出来ないというよりは、話したくないという様子だが――
「世界を滅ぼしかねない代物の、一部と言っておこう。それ以上は、知っていると逆に危険だからね」
幼いころに聞かされた事と、全く同じ台詞。それ以上を語る気はないらしい、早々にあきらめて、何となく視線を合わせられず俯いた。
「――ペンダントは、城で厳重に保管しよう。……君は、これからどうするんだ」
悲哀を含みながらも、ルカは微笑みを作って尋ねる。
これからどうするか――?
全く考えていなかった。帰る家なんて、代行者に狙われた自分には存在しない。それどころか、ここまで護衛してくれたキアに対する報酬すら出せる状況ではない。これまでの旅だって、キアの両親が用立ててくれた路銀に多くを助けられていたのだ。今更ながらに、自分は情けない娘だと思った。
「……恐らく、君の故郷にはもう帰れないと思う。君さえよければ、私――いや、俺が面倒を見よう。君たち姉妹への、せめてもの罪滅ぼしをさせてくれ」
優しく微笑みながらの、ルカの提案。それが、とても救いに思えた。だけれど、これ以上誰かに世話になるのはとても気が引けた。
「……お願いが、ふたつあります」
それでも、自分には果たさなければならない約束がある。彼への「お願い」で、金輪際誰かに頼るのはやめようと思った。