6.神官と神官長
数時間が経っただろうか。ケイマに指定された宿に部屋を取ってから、食事も済ませて今に至る。
部屋の両端に、二人で定位置を作って。ぼんやりしたり、たまに他愛ない雑談をしたりと時間を潰していたのだが――。
いかんせん、話題がない。ほんの半日前ならば、騒がしい同行者が居ただけに退屈も話題にも困り話しなかったのだが……。
思えば自分から話題というものを作った事が殆どない。その事に気付いて、クラウディスは思案する。何か話題を――しかし今の自分は、十数年ぶりに会う知人とペンダントの事で頭がいっぱいで他になにも考えられない。
結局、そのまま互いにぼーっとした時間を過ごす。いったいいつまでこの沈黙が続くのか――なんて思っていると、部屋の扉が叩かれた。
「――はい」
先にノックに答えたのは、キアだった。その返事に答えるように、先程聞いたばかりの声がドア越しに聞こえる――ケイマだろう。
「――話をつけてきたんよ。会うってさ」
やはりにこにこしたままドアの隙間から顔を出す。ほんの少し緊張するのが自分でもわかる。
漸く、あのペンダントを手放すことが出来る――なんて思うと、嬉しい気もしたが。
「悪いんやけど、キミはお留守番しといてくれないかな。彼女一人なら何とかなるけど、どう見ても部外者にしか見えん人間を何人も連れて行ける所じゃないんよ」
――いったい、どんな場所なのだろうか。キアがついて来れないという事に少々不安を覚えるものの、今更駄々をこねるわけにもいかない。
「行って来いよ。待ってるから」
苦笑して、キアが手を振る。研究者を紹介してもらって、彼の身に起こった変化を調べてもらう約束はいつ果たせるのだろう。
もし、話せる余裕があれば今日頼んでみようか――。
ごめんね、と呟いて部屋を出た。促されるままに外に出ると、貴族が使うような華美な馬車が停まっていた。どんな人がこの馬車に乗るのだろう――なんて思っていたら、ケイマがその馬車の前に歩いて行く。
手招きされて、思わず唖然とした。こんなものに乗るのは生まれて初めてだからだ。
「――一体、どういう――」
「ルカも意地悪なのか不器用なのかわからんね、そもそも騎士団に所属してる人間は貴族の出が多いんよ。まあ、これは俺が用意したんやけど――とりあえず乗って」
はいはいとあしらわれて、馬車に押し込まれる。内部もそれなりに飾り立てられている馬車は、備え付けのソファーがそこいらの乗合馬車なんかと全く違う。赤いビロードが張られたそれは、座る前に手で触るとかなり深くに手が埋まる。足元も、地面を歩いた靴で踏みしめるのが躊躇われるような敷物が敷いてあり、快適すぎる空間だった。
「……や、珍しい気持ちは解るけど、そこで止まられてちゃ俺が乗れないんよ……」
呆れた様子で囁かれ、慌てて奥に進んで座る。けらけら笑いながらケイマが乗り込んできた。
ドアが閉まり、前方から馬を駆る掛け声。緩やかな振動が伝わって、馬車が出たのだと理解した。
「――とりあえず、先に改めて自己紹介しておこか。クライスト神殿所属、神官長のケイマなんよ」
クライスト神殿――
クライスト城の中に存在する神殿で、教会などの福祉施設全てを統括する機関だと聞いている。
国内に存在するあらゆる宗派を統括し、カルトや邪教等の国民に害をなす組織を警戒するための組織。その他には公の行事を運営する等、どちらかというと雑務の多い機関だ。
あまり公にされない王室や騎士団と違い、国民への露出は一番多いのだが――その神殿に努める神官を束ねるのが、神官長。つまりはトップクラスの人間なのである。
そのケイマが、何故商人のローブに身を包んでいるのかはとても不思議だった。
「ま、商人は副業なんやけどね。お役所仕事ばっかりだと華がないっしょ、華が。給料もたかが知れてるし」
たかが知れているというのはどういう基準なのだろうか。こんな、一般人にはとてもではないが借りる事すらできない馬車を用意しておきながら。
「キミは、城に入ったら大人しく俺の後ろをついてくるんよ。本当は関係者以外立ち入れない場所に行かないとならないから。あ、降りる前にこれ羽織って」
何処から出したのか、それともどこにしまっていたのか。金糸の刺繍が施されたローブを渡され、クラウディスは思わずそれを受け取る。
袖に刺繍された鳩のレリーフを見るに、どうやら神官の制服のようだ。
確認して顔を上げると、ケイマは商人のローブを脱いで同じような――しかしさらに装飾が濃いローブに着替えている。どうやら、これが彼の神官としての姿のようだ。
「ま、あんまし緊張しないように。上手い言い逃れは俺が全部やるから、もし俺に同意を求められたら頷くかハイって言うだけでいいんよ」
ケイマの指示にわかりましたと答え、クラウディスはややゆったりしたローブを羽織る。上に羽織ってしまえば、すっかり「関係者」だ。
程なく、馬車はどこかで停止する。もう夜と言ってもいいような時間だが、周囲はとても明るい。降りてみればそこが建物の中だという事が理解できた。
張り巡らされた正方形の石畳は、途中で大きく長い階段に続いていた。その階段の遥か上に、天井がある。見上げてみると、装飾の施された壁には鳩のレリーフが彫りこまれていた。
「――クライスト城正門。ここから、階段の上にある中庭までは一般開放されてるんよ。俺たちが向かうのはその先の神殿――しっかり演技してちょうだいな、『新人さん』?」
どうやら、ケイマは自分を新しく配属された神官として内部に案内するつもりらしい。そういう事ならば、レディエンスでも小さな神殿に勤めていた身分だ、それなりの経験はある。堂々としている事も恐らく可能だろう。
意を決してなんて暇はないが、やや大きなローブを引きずらないよう、階段を上りはじめた――。