2.銀色の狼
絶叫にも近い、悲鳴が上がる。足元に倒れた金髪の女が動けない事を確認すると、クレアは複雑な思いで剣を納めた。
まだ少し、彼女の身体から青白い光が弾けている。少々強い雷撃を与えたから、暫くは目を覚まさないだろう――
そう思っていたのだが。
「……ってめぇ、とどめは……っ」
まだ意識があるらしい彼女の声に、一瞬どきりとする。普通の人間ならば気絶するに十分な衝撃を与えたというのに――
「……無意味な殺生は趣味ではないのです。貴女がしばらく動けないなら、それでいい」
意識はあっても動くことは難しいという所だろうか。彼女の精神力と耐久力は表彰ものだが、心臓に悪いことこの上ない。
「――失礼します」
これ以上相手を傷付けたいわけでもない。霧が晴れた所で、歩み寄って来たサンジェルマンと国境の門へと急ぐが――
「ふざけんなよっ!!」
空気を震わせるような、叫び声。獅子の咆哮にも似たそれは、空気の動く気配と共に近寄って来た。
慌てて振り向けば、すぐ傍に金色の髪――
「――っ!」
とっさに剣を抜いて、かなり威力がなくなった斧を受け止めた。それでも十分な重みが、このまま剣と一緒に叩き潰されてしまうのではという迫力を感じさせる。
「……っ、なんてひとだ」
何とかその斧を弾き返す。ぜえぜえと息を切らしながら斧を杖代わりに立つ彼女は、一息ついた後また斧を振り上げた。
「くっ……」
あの雷の一撃で随分負担がかかっているとはいえ、彼女の一撃をもう一度受けるには剣の耐久力も心配だった。仕方なく、簡単な雷の呪文を詠唱し始めるが――
「やめとけシトリー、無茶すんな」
突然、何処からともなく聞き覚えのない声が降ってくる。同時に、恐らく国境の門上に居たのだろう――ひとりの男が、金獅子の女の傍に降り立った。
銀の髪を後ろでゆるく三つ編みに結った、神官風の男。眼鏡の下で不敵な笑みを浮かべたその男が、彼女――シトリーと呼ばれた女の顔見知りである事は想像がつく。
「――ガーランド・ゼネラル。雇われの貴方が何故ここに?」
驚いた事に、サンジェルマンは彼とも顔見知りだったようだ。ガーランドと呼ばれた男は、まるで旧友にでも接するかのようにぶっきらぼうに頭を掻く。
「や、まあ確かに俺も代行者やってはいるけど……今回はこれ追っかけてきただけなんでねー」
よっこらしょ、等と言いながら、ガーランドはシトリーを助け起こす――というより、抱き上げる。どちらも美形なだけに、それを見る限りは恋人同士のように見えるのだが――
「余計なお世話だよっ!んなことするくらいならこいつらを倒しゃいいだろ!?」
どうやら不服らしいシトリーは、ガーランドの腕の上で暴れる。それを容易く押さえつけ、ガーランドはニコニコと余裕の笑みを浮かべた。
「そーんな無茶な。お前が勝てないような相手に突撃しろってそりゃ無茶だっつの。ほら、帰るぜ」
「だああっ、離せ、コラ、バカ眼鏡!」
「眼鏡じゃねえ三つ編みだ」
それまでの緊迫した空気など無かったかのように、口論――というよりは、誰がどう見ても漫才を繰り広げるふたり。暫し――というか、彼らが去っていくまでの間、唖然とする。かなり遠くに行っても、シトリーの罵声はクレア達の耳に届いている。
「……お知り合いですか」
「……あんなのと親しくなったつもりは一ナノセンチもございません。顔見知りであるのが恥ずかしいくらいです」
深く溜息を吐いて、サンジェルマンは頭を振った。丁度、ガーランドが殴られたらしい――そんな叫びの後、今度は遠くから良く解らない口論が聞こえてきた。
「……さっさと行きましょう」
急がば回れともいうものだが、今回ばかりは急いだ方がいいと確信する。ガーランドとやらの気が変わって二人で来られるのも厄介だが、さっさと国境を超えないと近場の街に辿り着く前に日が暮れてしまう。
「――私もやっぱりクライストまで行くんですか」
「……他に何処に行こうと?」
今更ながらのサンジェルマンの質問に、クレアは首をかしげる。他に住む場所があっても、レディエンスの情報網ならばすぐに割り出されるのではないだろうか――。
「……いえ、私が行ったところでどうなるものでもないと思っただけですよ」
恐らく笑ったのだろう、口の端をやや釣り上げて、サンジェルマンはほんの僅か俯いた。やはりその表情から彼の思考を読み取ることは難しい。
「――少なくとも、レディエンスにいつまでも居続けた事は後悔するかもしれませんよ」
何を考えているか解らないサンジェルマンに、それ以上突っ込んだ事は言えない。
孤独に過ごしてきたらしい彼は、昔の自分に重なるところも多少あった。そういう僅かな親近感から言える言葉を絞り出し、クレアは国境の門をくぐった。