1.金色の獅子
「――ちょいと待ちな!」
唐突に、背後に声がかかる。クライストとレディエンスの国境付近――まさにレディエンスを抜けようとした、その直前の出来事だ。
新手だろうかと振り向いたクレアの予想は正しかったようだ――振り向いた先には、獅子を思わせる黄金色の髪の女。
野性的と言えば良いかもしれない、男物の黒いジャケットの下に包帯を巻くというワイルドかつ目のやり場に困る格好だ。腰まで伸ばした金の髪は、邪魔なのか首後ろで括っている。
「……貴女は?」
どちらさま?というニュアンスを交えて、クレアは警戒しつつも尋ねた。とはいえ、聞かずともこの国で自分たちを呼びとめる相手なんて予想がつく。
「そこのひょろっちい……や、あんたも負けず劣らずだけど……まあ、その男とはちょっとした知り合いでね?こっから逃がすわけにはいかないわけよ」
やや粗雑な物言いで、クレアの横――亜麻色の髪で目元を完全に覆った男、サンジェルマンを指差す。狙いが彼という事は、間違いなく彼女はレディエンスの代行者だ。
代行者――神国レディエンスに古くから存在する宗教的な習わし、「神の代行」を行う者たちの総称である。
何のひねりもなく言えば、国家から許された殺人者とも言えるのだが、神の代行にも一応ルールくらいは存在する。
ひとつは、人ならざる種族――いわゆる亜人や獣人などの人以上の能力を持った種族。
もうひとつは、不老不死――元からでも何らかの理由でも、永遠を生きる事が出来る生き物。
サンジェルマンの場合は、後者だった。事前にクレアが聞いた話では、錬金術で永遠の命を手に入れたというが――。それが本当なのかは今のところ確認していない。
「彼女は少し厄介ですよ」
腰に下げた細剣に手をかけ、サンジェルマンが囁く。その言葉に間違いはないらしい、目の前の金色の女は、とても自分なら持てそうもない大きな斧を軽々と肩に引っ掛けている。ふらつく事も、微動だにする事もない。
――苦手なタイプだな。
内心そう思いながら、剣を抜く。スピード重視のクレアにとって、彼女のような重量系――とりわけ、耐久力も高そうな武器を操る相手は特に苦手とする相手だった。
その上、彼女は街で出会った代行者と全く違う雰囲気を背負っていた。恐らく、相当上の階級にいるのだろう。単独でここまでやってくるくらいだから、自信もあるはずだ。
「さて、はじめよーか?あたしは回りくどいのが好きじゃないんでね。」
軽々と、金色の獅子は斧を振るう。あんなものを叩きつけられたら、自分もサンジェルマンもたまったものではない。好戦的な彼女の言葉に溜息を吐き、クレアは剣を構えた。
金属がぶつかり擦れる甲高い音。何度目かの攻撃を受け流し、クレアはやや遠くまで飛びのいた。自分一人だったらここまで持っただろうか――ややぞっとしながら、次いで早口に言霊を唱える。
「――炎よ!」
片手に生まれた火球を、女の方へ投げつける。下級の魔法でも、時間稼ぎにはなる。
「しゃらくさいねっ!」
火球を避けるでもなく、女は手にしていた斧を大仰に振り下ろす。その風圧で、火球はいとも簡単にかき消えた。
「――むちゃくちゃだな」
内心冷や汗をかきつつ、そうそう簡単でもない行動に出る相手に半ば呆れのようなものを覚える。物理的に魔力の炎をかき消すなんて、余程の技量がないと難しい。とんでもない相手が送られてきたものだ――。
が、そんな事に呆れたり感心している場合ではない。大きな斧を持っているというのに、それを感じさせないスピードで女は自分を追ってくる。彼女にとっても、魔法と剣を同時に扱えるクレアは脅威なのだろう――しかし、だ。
「――炎の暴風《フレア・ストーム!》」
「――なにっ!?」
彼女の誤算は、剣と魔法が同時に使えるのはクレアだけだと思っていた事のようだ。そもそも錬金術師であるサンジェルマンが、そんな事も出来ないほど不器用なわけがないが――
「てめぇら、うぜぇんだよっ!」
斧でバランスを取っているのだろう、振り上げた拍子に彼女は結構な距離を飛びのいた。サンジェルマンの放った炎の軌道はそのままクレアのほうに向かっているが、それ自体避けるのは簡単なことだった。
「危ないですよ、伯爵」
一歩間違えれば周囲の木々に点火しそうなその呪文は、クレアの腕の一振りで――正確には、それによって弾きだされた冷気の呪文でかき消される。が、その瞬間に生まれた深い霧が、その場の視界を全員から奪っていく。
「――ちッ、面倒なことしやがって」
少なくとも多少動揺しているのか、どこだ、と女が叫んだ。このまま逃げてもいいのだが、彼女なら逃げ出した自分たちの気配を追ってクライストまで来てしまいそうな気がする。
「――明かりよ」
誰にも聞こえないような声で、クレアは手のひらに収まるくらいの小さな光を生み出す。戦闘中に少しばかり観察していて解った彼女の短絡さなら、これで何とかなるだろう。
その光を、自分より少しばかり前のほうに投げる。
「――そこかっ!」
光に気付いたらしい、斧が空を切る音と、地面が抉り取られる鈍い音――それからようやく、彼女は光の正体に気付いたらしい。
「貴方が単純なひとで助かります」
地に斧を突き立てた彼女の首筋に、剣を添える。女性に手荒な真似をするのはとても気が引けるが、せめて追ってくる事が出来ないくらいにはしておかないとこちらの身が持たない。
人の悲鳴なんて、本当は聞きたくないのだが――。