2)乳兄弟の婚約者
その晩、アレキサンダーはグレースの寝室を訪れた。
「グレース」
「なんでしょう」
「あなたが、いい加減ロバート離れをしろと言う意味がようやく分かった。ロバートのほうは、すでにしっかり乳兄弟離れしていた」
「あら」
アレキサンダーは、グレースに抱き着き、胸に顔をうずめるようにした。そんなアレキサンダーの頭を、グレースはそっと優しく撫でてくれた。
「二個目の林檎の最初の一切れが、ローズのところにいった」
口にしてみると馬鹿馬鹿しいことだ。昨年もその前も、子供のころからロバートはアレキサンダーのために林檎の皮を剥いてくれた。待ちきれないでいると、一片だけ器用に切り取って皿にのせてくれた。あの一片は、いつもアレキサンダーのものだった。記憶にあるかぎり、ずっと前からだ。
「ロバートの一番が、私ではなくなった」
二つ目の林檎の最初の一片は、ローズの口に消えていった。ロバートはローズのためだけに、皮を剥いていた林檎から、わざわざ一片だけ切り取ったのだ。
「可哀そうなアレックス。小さなローズに大事なロバートを取られてしまったことに、ようやく気付いたのですね。小さな子供のようですが、そんなあなたも愛おしいですわ」
グレースはほほえんだ。
「取られたのではない。譲ってやっただけだ」
声に出した自分の言葉が、明らかに負け惜しみであることに気づき、アレキサンダーはさらに気落ちした。
「産まれた時から、ずっと一緒にいたのに」
アリアはアレキサンダーに母のような愛を注いでくれ、ロバートは兄のように支えてくれた。
「私も、サラがローズを可愛がるのを見ていると、私のサラを取られてしまったように感じましたもの」
グレースの乳母だったサラは、今、王太子宮で侍女頭をしている。侍女のミリアの母でもあるサラの、包み込むような優しさに、ローズがすっかり懐いていた。
「あなたもそうだったのか」
「えぇ。最初だけです。サラが、私とミリアを育てていたころのことを思い出して懐かしいなどというのをきくと、嫉妬も失せました。私の妹代わりのローズですもの。私の乳母が、可愛がるのは当然です」
「そうか」
アレキサンダーの気分はわずかに上向いた。
ロバートはアレキサンダーの乳兄弟だ。ローズは、アレキサンダーが兄として後見する子供だ。アレキサンダーに最も近いロバートが、アレキサンダーの妹を可愛がるようなものだ。子供のローズは、時々は、可愛らしい。
「私の乳兄弟が、私が妹として後見するローズを、可愛がると思えば当然のことだな」
アレキサンダーの言葉にグレースが鈴を転がすように笑った。
「アレックス、そんな負け惜しみをおっしゃるなんて」
「グレース、私だけがどうして負け惜しみだ」
「あら、サラの一番は今でも私とミリアですわ。でも、ロバートの一番はローズですもの」
「グレース」
慰めていてくれたはずの妻に、とどめを刺されたアレキサンダーは恨めしく思いながら愛おしいグレースを見た。
「私の一番は、アレックスですわ。愛しいあなた」
グレースの一言で、簡単に機嫌が治ってしまった自身の単純さにアレキサンダーは少し呆れた。
「確かに、私の一番はグレース、あなただから、ロバートのことは言えないな」
互いに口づけを交わしたあと、アレキサンダーはそっとグレースの腹に触れた。
「この子が生まれたら、誰があなたの一番になるのかな」
何気ない一言だった。
「もちろん、この子とあなたとが一番ですわ」
「そうだね。無論、私もそうだ。ぜひ、元気な子を産んで、あなたも無事でいてくれ」
アレキサンダーの母は産褥熱で亡くなった。アレキサンダーの生後数日目のことだ。アレキサンダーには母の記憶は何もない。
自身と面影が似た女性の肖像画を、アレキサンダーは、いつも不思議な気持ちで見ていた。
「えぇ」
グレースは微笑んだ。
婚約者だった少女は、アレキサンダーの妻、王太子妃グレースとなった。今、母になろうとしている。アレキサンダーはグレースの笑顔を見つめながら、不思議な感慨に包まれていた。
副題「お兄ちゃんをとられた!」です
幕間としては、
後見人(新米)は、面倒見のよい世話係(熟練)に敵わないhttps://ncode.syosetu.com/n7430gv/
後見人(新米)は、謎の言葉「テレンテ・クダ」を口にする少女に振り回される、面倒見のよい世話係(熟練)に、(一応は)同情するhttps://ncode.syosetu.com/n7484gv/
の続きです。
幕間のお話にお付き合いいただきありがとうございました。
この後も、本編でお付き合いいただけましたら幸いです




