夕方依存症
今朝見た夢が頭から離れないでいた。高校生の時に組んでいたバンドのメンバーと、だらだらと過ごす夢を。
夢の中の俺は今より若い十七、八とか。俺以外のメンバーももちろん若くてたぶん高校二、三年くらいだったと思う。夢の中なのにハッキリと顔がわかるくらいに鮮明で、夢っていうより過去に戻っているような感覚だった。
懐かしさよりも、その時間に自分がいることが当然の様に感じた。夢っていうのは、そういうものなのかも知れない。
だらだらと話をした後は急に場面が変わって、音楽室でバンドの練習をしてた。こういう所はいかにも夢って感じがする。
どの夢がどうやって終わったんだったか思い出せない。ただ最後まで笑っていた気がする。
ふと左手の指先を見る。ギターを弾いていた感覚が生々しく残るが、指先に弦の跡が残っているなんてことはない。
ここは会社でパソコンのキーボードを打つ指先に違和感を感じていた。
もう十二時過ぎ、夢から覚めて六時間以上経つのにまだ夢の中の方が現実であった様に思う。
噛んでいたガムを包みに出して、昼食のパンが入ったコンビニ袋を鞄から出した。
その日、昼食を食べる間も、誰かと話すときも電車の中も風呂に入っていても、眠るその時まで自分が引くギターの音とメンバーの鳴らす音が聴こえてくる様な気がした。
土曜に俺はまた夢を見た。あの何でもない日の夢を。
夕方の教室でバンドメンバー四人、だらだらと何をするでもなく時間を過ごす夢。
誰かが適当に話し、それに誰かが応える。
突然、拓也が「大切なもの」を歌い出すとドラムの正敏が机を指で叩いてリズムをとる。俺も気持ちよく歌ったりしてた。
スマホで時間を確認する。七時四十分。
まだ眠かったので、もう一度目を閉じた。するとあっという間に眠りにつき、さっき見ていた夢の続きを見た。
「サビの後のドラムがいいよな」
「あー分かるわ。タンッタカッタッタッタンみたいなとこっしょ?」
「え?なにそれ」
「いや。タンッタカッタッタッタンみたいな。あるじゃん?」
「なんか腹減ったなぁ」
「あれっ?俺スマホどこ置いたっけ?」
「そこにあんじゃん」
「あっ!ビビったぁ」
「バカかよ」
「さいきん、譲二さぁ、なんかおじいちゃんじゃね?」
「よかったぁ。サンキュー」
「マック行くかぁ」
「つーかもうこんな時間かよ。外明るくて完璧に感覚バグってるわ」
「そこは完全感覚バグってるだろ」
「は?」
「つまんねー」
「え?どういう意味?」
反射的に「イッテ」と言った。
頭に何かがぶつかった気がしたからだ。しかし痛みはなかった。
「大丈夫かぁ?」って拓也が笑った。
「ダセェなぁ」とか言われて俺も笑った。
「最近よく頭ぶつけるよな。大丈夫かよ」
「痛ぇー」と言いながら俺は頭をさすった。
そういえば高校の頃、急に背が伸びた俺はよく頭をぶつけていた。それでセットした髪が潰れんのが最悪だった。
場所は学校の駐輪場、俺と拓也が自転車を置いていた。
落とした鍵を拾って立ち上がる時に、ハンドルに頭をぶつけたっぽい。
それからマック行ってポテトだけで一時間半粘って、そんで帰った。
外がすっかり暗くなっていた。
それだけでイヤホンから流れる曲がいつもより頼もしく感じた。
今度もリアルな夢だった。いやひんから流れていた曲も夜の冷たさも、ついさっきまで感じていたのは夢だったのか。
そう夢だった。目を覚ますと十四時、寝過ぎなくらい寝過ぎたことに驚き俺は体を起こした。それと同時に空腹を感じた。
夢の中の会話を思い出す。夢の中ではどんなに下らないことでも思いっきり笑えたが、今思い出すと少しも笑えない
とりあえず昼過ぎにパン食ってコーヒー飲んで、夜はカップ麺食べて寝た。昼過ぎまで眠っていたのに、夜はまた日付が変わる頃には眠っていた。
また土曜。俺はその日、昼から美咲とデートを予定していた。しかしすっかり寝坊してしまった。またあの夢を見ていた。
今週は三回見ている。今日はやけに長い間、夢の世界に居たみたいだ。
目を覚ますと昼はとうに過ぎていた。
スマホには彼女から連絡が来ていた。急いで電話をかける。
「どうしたの?何かあったの?」
「いやその、」
「風邪ひいたの?すごい声ガサガサしてるよ。」
長い間眠っていたせいで喉が乾燥したんだろう、確かにガサガサとか擦れた声が出ていた。
「まぁ。そうなんだよ。だからその。ごめん、連絡も遅くなって。」
思わず嘘をついていた。まだ夢見心地だったのかも知れない。
いや、素直に寝坊なんて言って嫌われるのが怖かった。
美咲のことだ。そんなんじゃ怒んないのに。
付き合って三年。俺たちはもう一つ上の段階に進むきっかけを見失っている様だった。
ただ何ていうかあっちが現実で、こっちが夢だったなら良かったのにと思ってたからかも知れない。
美咲は俺を心配してくれた。それに俺は申し訳なくて二回、謝った。
電話を切り、絶望的な自責の念に襲われながら水を飲んだ。
その日、夢から覚めると同時に寝過ぎたという感覚があった。
スマホを見ると時刻は十八時過ぎ。昨日眠ったのは二十四時になる頃だった筈、だから十八時間眠っていることになる。
せっかくの休日を、一日の四分の三近く眠っていたことになる。
しかし、もったいないとは思わなかった。むしろ満足感を感じていた。
あの夢の中に居たからだろう。
カーテンを開けると外はまだ明るかった。いつの間にこんなに日が延びたのだろう。
夕飯を買いに行こうと外に出ると、空がオレンジ色をしていた。何だか懐かしかった。
夢よりもこっちの方が夢みたいだ。
自転車に乗りたい気分だけど、そんな距離じゃないし。そもそも自転車なんて持ってなかった
。
コンビニに行ってサイダーとコーヒーで迷ってサイダーを買った。
他に弁当だか、パスタだかを買ったけど何だったか覚えていない。けど美味かった。
久しぶりに飲む炭酸は目に染みた。痛かった。夢じゃないから、痛かった。
夕陽に照らされる音楽室、バンドの練習はまだ始まっていない。そこには俺とベースの譲二がいた。
二人で一つの手のひらサイズのスマホを覗き込んでいた。
数年前の曲のミュージックビデオ。歌もギターもベースもドラムも歌い方も歌詞も、訳わかんないくらいかっこいい曲。
俺も譲二も興奮して、体を動かさずにはいられなかった。
「いやぁ、ホントにいいよなこのバンド」
「だよなぁ。今度ライブ行こうぜ」
すると、残りの二人も音楽室にやってきて会話に混ざった。
「いや、活動してなかったんじゃない?確か」
と言って正敏がスマホで検索し始めた。
そうだった。俺が高校の頃、このバンドは活動休止中なんだった
それから数年後に、俺が社会人になった年にそのバンドは活動を再開したんだった。
他にも俺が知った頃には活動を休止していた人たちが、ここ数年で復活したんだった。もちろん現実の世界で数えてここ数年の話。
「そっか。そうだった。」
「残念だよなぁ。見てみたかったよなぁ」
最近これが、夢だ。と気づくことがある。そうすると途端に周りとの会話が上手くいかなくなる。だんだんみんなの顔が薄れて溶ける様になって、そうやって夢から覚める。
そうやって夢から覚めた時はいつだって、最悪な気分でなにを聴いても楽しくない。
それから、初めからあんな夢見なければ良かったと思う。
夕陽に照らされる教室から帰らなくちゃいけないなら、いっそ。
ギターの音が心地よく忘れられないなら最初っから。
だったらいっそ、ずっと夢の中に居させて欲しいと望む。
夜が辛くて、朝が悩ましいなら、ずっと夕陽の下を歩きたい。
痛みを恐れず、苦しみさえも青春の一ページにできてしまう様なあの世界にずっと。
それからほとんど毎日の様に、その夢の中に俺はいた。
夢だと気がついてしまうこともあれば、そうでない時もあった。
初めのうち俺はその異常性よりも、心地よさに身を任せていた。夢の中での夕方が一生続けばと、疑いなく願っていた。
しかし、それが急に怖くなった。
同じ夢を見るということが。夢の中に居ようと執着する自分が恐ろしくなった。
ただ、夢を見ようとして見れない様に、居たくなくても俺はその夢の中に居た。
あの夢の中では、恐怖も痛みもない世界が待っているのだった。
楽しさで溢れている、まさに夢の世界だった。
音楽室、俺たちは曲を演奏していた。次のライブまで時間が限られている。
そんな中でやる曲は練習とはいえ緊張感と楽しさ混じっていた。
拓也の歌は力強く
常時のベースは心地よく
正敏のドラムは規則正しく
俺のギターを入れて出来上がる音楽大好きだった。
夕陽に照らされた音楽室は、俺らのために作られた世界みたいでずっとこの時間が続く様に見えた。
その時、右手に何かが触れた様な気がした。
何かが右手をしっかりと握りしめている様な感覚。
包み込む様に握られている。ポタポタと何かが俺の腕に零れた。
雨?な訳ないか。汗か?
それは俺の腕に溶けて消えた。
涙か。でも俺は泣いていない。
突然思い出す。
そうだこれは夢か。
またこの夢だ。
ダメなんだ。
この心地よさに甘えてたら帰れなくなる
痛くもない。腹も空かない。
ここはいつまでも居ていい場所じゃない。
場面が変わり、場所は音楽室からいつもの教室に移った。やっぱり夢だ。
「俺もう起きなきゃ。」
俺は立ち上がってそう言った。みんなが俺を見ている。
「まだ大丈夫だろ。まだ五時半だぜ」
誰が言ったのかわからない。
時計を見ると確かにまだ十七時半だった。
そっか。何だまだ夕方か。なら、もう少し。
「まじか。まだそんな時間かよ」と言って俺は座ってた場所にもう一度腰を下ろす。
「ねぇ、お願い。目を覚まして。」
また俺の腕に涙がこぼれ落ちた。ぽつぽつと音を立てて落ちてきた涙は、腕を横切って零れ落ちる。誰かが俺の右手を強く握りしめる。少し痛い。
痛い。
もう少しここに居たい。
あっちは痛くてつまらない。
ここで笑えることも、あっちじゃつまんない。
でも、こっちじゃ物足りない。
「いや、やっぱ。もう帰るよ。じゃあな。」
「そっか」
「またな。」
みんなの顔を見ながら俺は歩き出した。
「ちゃんと前見て歩けー」
「おぅ!」と右腕を上げようとしたら、夢から覚めた。
ここは病院?そこで俺はベッドの上で眠っていて、俺の右手を握る美咲が泣きそうな顔をして俺の顔を見ていた。
大丈夫?と言って強く右手を握るから少し痛かった。
美咲が俺を起こしてくれたのか。
いつどこで俺は眠っちゃったんだ?うまく記憶を辿れない。
「ごめん。心配かけて、でももう大丈夫。」
「ホントに?」
「あぁ。もう大丈夫。」
「よかったぁ。」と美咲は言って少し泣いてから笑った。
「ありがとう。」と言って今度は俺が少し泣いた。
窓の外は真っ暗ですっかり夜だった。
夜が来ればまた朝が始まる。夕方ってのはさぁ、一瞬で終わったちゃうから魅力的なのかも知んないね。
って誰かが言ってたよ。
痛けりゃ、助けてもらうし助けてあげる。
つまんないなら、一緒に楽しくしてこう。
だから、ここは痛いし、つまんないけど美咲の隣がいいな。
とかって言っても引かないでくれよな。
「あのさぁ