裏エピローグ
裏エピローグ~西暦二〇二一年~気仙沼
音楽が、鳴っている。
音楽が、聴こえてくる。
遠い、遠いところから。
◇◇◇
私、ヴェドラナ・スヴェティナの人生はとてもフツウで。
二十二歳になるまで、彼氏なし、彼女もなし。
日本では、私のような女性のこと、「喪女」っていうんでしょ? よく、そんな言葉を知ってるねって? フフ、昔の日本のアニメで覚えたの。モテない女の子が世界との関係を作り直していくお話。知ってる?
そう、日本。
そんなフツウの私に起こった、ちょっとだけいつもと違う出来事。西暦二〇二一年、十二月。私は今、日本に来ている。
兄のユーレが行くというので、一緒にやってきたの。昔、意気投合した友人のお墓参りが目的とのこと。その日本人の友人は、十年前に日本に起こった大震災で亡くなっているのだという。訪れるまで、十年かかってしまったとは、兄の言である。
私が喪女なら、兄のユーレは、日本語でいう「リア充」だ。屈強な体、甘いマスク、揺れる亜麻色の髪。
そして健脚。今も、私をリードするように事前にレンタルしていた車に向かっている。
気仙沼というところへ行くのだけれど、兄としては、ここ、仙台からだと今は車の方が行きやすいんですって。
二〇一九年には、震災で不通になっていた道路が修復されて仙台‐気仙沼間が高速道路で再び繋がったとのこと。
兄がレンタルした車は、自動運転車も普及しはじめた最近においては、なんだか昔気質なマニュアル車だった。
何となくだけど、兄は自分で車を運転して、日本の東北の沿岸部の風を直接感じたいんじゃないか。そんなことを私は思ったわ。
◇◇◇
仙台から気仙沼へと向かうドライブの中で、兄とその亡くなった友人との関係を少し詳しく聞いたわ。
友人の名前は、フジミヤ・コトフミ。
日本の漢字では、「藤宮言史」と書くみたい。
十二年ほど前に、日本からスロヴェニアに来ていて、リュブリャナ大学で日本語教育の実習をしていた人らしい。
兄は、ちょうどその言史さんが受け持った初級日本語のコースを受講していて、そこで意気投合したんだって。
先生と生徒という関係だけでなく、友人としてしばらく一緒に行動して、海岸線のコペルの街を案内したり、リュブリャナ城を案内したり、ブレッド湖を案内したり……彼と一緒にスロヴェニアを回ることで、兄自身も自分の国――スロヴェニアについて理解を深めた……なんて語っているわ。
車の窓を開けると、私の赤毛が寒風に揺れた。
自分の赤毛は、けっこう気に入っているの。異端の印だなんて言われたこともあったけれど、気にし過ぎてもしょうがないわ。自分が持って生まれたものを、愛を通して見てみるってことも大事じゃない?
ポニーテールにまとめてないのかって?
変なの。
ポニーテールって、私よりもっとVividな女子がやってるイメージがあるわ。
私は喪女ですからね。少しくせっ毛の長い赤毛を、ありのままに流しているだけよ。
◇◇◇
辿り着いた場所は、気仙沼でも住宅街から離れた静かな場所にある、公営墓地だった。
周囲が森林に囲まれていて、閑寂としている。
目的としていたお墓の前に兄と二人で立って、お線香を上げて、手を合わせる。
お線香は、他ならぬ亡くなった兄の友人本人が別れ際に兄に置いていったものだという。
不思議な話。
微かに、香りがする。
そういう、ものなの?
カトリックとは違う慰霊のカタチ。違う文化。
私は、香の匂いに誘われていく。
知っている。
甘く、儚い香り。
この香りをもつ花の名前を知っている。
――桜。
ええ。日本の、有名な花だわ。
でも。どうして?
私は?
意識の半分が幽玄の世界へと導かれた状態で。
墓標に視線をおとす。
私は、日本の文字を読むことができない。
漢字なんて、難しくてとても無理。
でも、その文字列を見た時。
兄の友人の名前。藤宮言史の隣に記されている名前を見た時。
その記号に宿っている意味がすっと胸の深いところまで入ってきて、私には分かったの。
兄の友人――藤宮言史の妹と思われる少女。
墓石に刻まれていた漢字の文字列は。
――藤宮乃喜久。
私、涙が零れている。
どうして?
ううん。
――知っている。
「ヴェドラナ? どうしたんだい?」
私を慮るように、兄が声をかけてくる。
「あのね。あのね」
涙は、とめどなく溢れてくる。
「兄さん。私、大事な『約束』があった気がするのに、思い出すことができないの」
温かな風が吹いた。
兄は、優しく目を細めると。
「妹よ。そういうこともあるさ。『約束』が果たせなかったり。『約束』そのものが思い出せなかったり。当初イメージしていた未来とは違う今を、折り合いをつけながら少しずつ丁寧に歩んでいく。僕たち人間にできることは、それくらいなんじゃないかな――いずれにしろ」
兄は、自分自身にも言い聞かせるように。
「虚構であれ、現実であれ、僕たちは『誰かが願った世界』の先を生きている」
そう言葉を紡いで、目をつむった。
私は、思い出していた。
名前を、思い出していた。
――ノギク。
もう逢えないって、わかっていたのに。
それでも、奏でたのは何故だろう?
◇◇◇
音楽が、鳴っている。
音楽が、聴こえてくる。
遠い、遠いところから。
その優しい音楽に身を委ねて。
私は、愛する人のためにそっと祈りを捧げた。
/裏エピローグ~西暦二〇二一年~気仙沼・完
裏・裏エピローグへ続く




