第二十九章「輪廻境界域・弐~フツウの人」
第二十九章「輪廻境界域・弐~フツウの人」
「乃喜久、ヴェドラナ、本質能力についてはどれくらい知っている?」
言史くんは端的に切りだした。
「ひいお祖父ちゃんから、少しだけ聞いてるわ。世界には、不思議な力を持った人たちがけっこういるって」
「私は、乃喜久から聞きました」
「言史くんも、能力者なのね?」
「そうだ。乃喜久とヴェドラナもだな? 大岩の中の祠で竜の光を浴びたのはお前たちもだからな。それは、想定できた」
「リュヴドレニヤは、言史くんが作った世界だった?」
「いちおう、物語の題名もあったさ。『リュヴドレニヤ戦記』。スロヴェニアの十日間戦争を元にした儚い作品だ」
言史くんが掌を上に向けると、何もないところから赤い風船が生み出された。
「俺の本質能力は『世界定立』。空想の世界を本当に作ってしまう能力だ。現実世界の人間がそこに入ることもできる」
風船は一定の大きさまでふくらみ、またしぼみ始める。
「最初は人間が戦って終わるだけの物語だった。だが、八九四回目で大竜が目覚めた、千百九十二回目で世界を滅ぼせるだけの火炎を吐けるようになった」
ミティアくんが見ていたという夢。やっぱり、世界は何度も繰り返されていたんだ。
「わたしたちは、何回目?」
「千九百九十九回目だ。新しい可能性として、初めて俺以外の人間を空想世界に送り込んだ」
「どうして、そんなことを?」
「この腐った世界を壊すためだ。この世界の不正を正すためだ。どれだけの、弱い立場の人間が犠牲になっている? 抵抗者が、今の現実世界にこそ必要なんだよ。俺は、大竜を現実世界に呼びだそうとしたんだ」
「現実世界で、戦うために?」
「そう、現実世界では軍事力ですら一握りの強者が持つようになってしまった。大国や富める者と戦うために、俺にも強大な力が必要だった。乃喜久、思考量子コンピュータの可能性にはオマエも気づいていたな? 千八百五十三回目にリュヴドレニヤでは魔法石というカタチで思考量子コンピュータが現実に先だって実現できた。空想で現実と戦えるまで、もうちょっとのところまできてるんだ。だが、千九百九十九回目もダメだった。俺は魔法石を準備して、乃喜久とヴェドラナを戦争中の別々の国に置いて戦わせた。進化が闘争の中から生まれることは否定できない。能力者たちの闘争の中から、これまでの俺の想像を超えるような進化が生まれるのを願ったんだ。しかし、ヴェドラナは闘争の中で敵を超えるために進化するどころか、『癒し』のための『究極の魔法』を目覚めさせてしまった。乃喜久にいたっては、『究極の魔法』は発動すらしなかった。大竜を現実世界に解き放つような力を持った『究極の魔法』の出現は、今回も実現しなかった」
言史くんが出した風船がしぼんでゆく。
言史くんはスーツの下から銃を取り出した。
リュヴドレニヤの最後と同じように、再びわたしに銃が向けられる。
「歴史の話は、乃喜久はくわしいだろう。二十世紀は資源を獲得するために人類が争った。あるいは、金を獲得するためとも言えるかもしれない。二十一世紀は本質能力を獲得するために争う時代になるんだ。いや、もうなってる。大国が、金持ちが、既に目覚めた能力者を獲得するために動き始めてる。乃喜久、ヴェドラナ、俺の仲間になれ。全ての能力者を強者に渡しはしない。いずれ大竜も召喚できるようにしてみせる。この腐った世界を、俺が壊してみせる」
畳み掛けるように言葉を発した言史くんに対して、
「何だか、悲しいわ」
とわたしは返した。
わたしなりに、言史くんの論に反論を開始しようとした、その時。
凛とした声が響いた。
「嘘つき」
ヴェドラナが、言史くんに向かって歩み始める。
「ご高説。全部、嘘です。言史さんの本当の言葉じゃない」
糸で、ヴェドラナの心が伝わってくる。
心が泣いているのに、怒ってる。
でも、そんな自分の心を後回しにして、自分の心よりも大事なもののために言史くんに向かって進んでいく。
「ヴェドラナ。よく分からないヤツ。苦手だったよ、オマエのこと」
心を糸で繋いでいても、分からないところはある。
理解できない部分があるからって、嫌いになったりしないけど。
理解できるかできないかと、愛してるか愛してないかって、別のことだわ。
でも、そうね。日本の文化と歴史の中で育ったわたしには、深いところで理解するのは難しいのかもしれない。気軽に理解できるなんて言っては、おこがましいのかもしれない。
ソレは、信仰心というものだと思う。
自分よりも優先されるような、大いなる何かにその身を捧げているという感覚。
わたしには、ないものだわ。
ヴェドラナは、その自分より大事なものを証明するために、進んでいる。
雪夜の街に、銃砲が轟く。
銃弾が、ヴェドラナの頬をかすめる。
血が、流れる。
「次は、当てるぞ?」
かまわない。とでもいうように、ヴェドラナは進み続ける。
そして、ついに言史くんのもとまでたどり着くと。
銃も。傷も。心の怨念すらも包み込むように。
ヴェドラナは言史くんを抱きしめた。
「兄は、生きてます」
その言葉が、雷のように言史くんを撃ち抜いた。
「世界がどうこう。全部嘘です。あなたは、ユーレが切り捨てられたと思って、復讐しようと思っただけ」
雪夜に、ヴェドラナの澄んだ声が響く。
心臓の、音がする。
「あなたは、ユーレのことが好きだった」
ヴェドラナは、心の中で「私じゃなくて」とつけ加えた。
「でも、ユーレは生きています。なかったことにするんじゃない。優しさで隠す。秘めるということもあるんです。あなたの愛する人は奪われていない。世界への復讐なんて、手放してイイんです」
ヴェドラナは、お兄さんのユーレさんの事情を。わたしもヴェドラナもユーレさんのことを言史くんに伝えられなかったことを説明し始めた。
「大震災のあと、ユーレは確かに日本からの支援で治療を続けることができなくなりました。言史さんはそのことを切り捨てられたと感じたのでしょう。でも、その後ドイツの難病支援研究機関が被験者として受け入れてくれたんです。ドイツだけじゃありません。フランス、イタリア、フィンランド、数多の国々がユーレのような人を助ける機関です。言史さん、この世界にはまだ善意もあるんです。言史さんに話せなかったのは、守秘義務があったから。ユーレは選ばれて治療を受けられた立場の人間です。同じ難病を患っていて、選ばれなかった人から妬まれることもあるでしょう。時には、本人や家族に身の危険が及ぶこともあるかもしれない。ユーレの情報を秘密にするように言われたのは、ユーレ自身の保護のためでもあったと私も納得しています。ユーレの研究が進むことで、時間差はあっても選ばれなかった側の病者のためにもなっていくと自分で自分に言い聞かせています。乃喜久には本質能力でいつか伝わってしまうから教えていたのですが、ゴメンなさい。言史さんには教えなかった。わたしは、ユーレの安全のために言史さんの気持ちを切り捨てました。言史さんが深く傷つくことに想像力が及ばないまま。本当にゴメンなさい」
言史くんは「俺のことはイイ」と前置きしてから。
「ユーレは、生きてるのか」
と、しばらく遠くを見つめた。
ヴェドラナはスマートフォンを取り出して、通話アプリを立ち上げた。静かに電子音が鳴って、向こうの相手と繋がったことが分かる。わたしは、ユーレさんに繋いだんだと気がついた。
ヴェドラナは、手短にスマートフォンの向こう側のユーレさんに事情を伝えてから、
「本当はダメなんですが、責任はわたしが持ちます」
そう言って、スマートフォンを言史くんに手渡した。
言史くんは右手に銃を持ったまま、左手でスマートフォンを受け取って。
この時の、言史くんとユーレさんの十年ぶりの会話はこんな感じ。
「やあ。言史、久しぶりだね」
「ずいぶん、フツウなんだな。まったく、十年ぶりだというのに」
「はっは。フツウ。素晴らしいことだ」
「ユーレ。おまえに、謝らなくちゃいけないことがある」
「なんだい?」
「あの日。助けにいけなくてごめん」
「何を言うかと思えば。ああでも、こう言った方がいいのか。許す。そんなことは、僕は許すよ。それに言史。君のことだ。また人助けなんかをしていたんだろう」
「俺は、高台の方に行ってたんだ。車椅子だったりで、坂を登れないじいさん・ばあさんたちがけっこういて。手伝っているうちに、おまえのところまでは、行けなかったんだ」
「なんだ、じゃあ。君はやっぱり『正義の味方』だったんじゃないか」
「ユーレ。今、幸せか?」
「幸福論か。それは、とても難しい質問だね。でも僕の答えは決まってる。幸せだよ。これまで僕を生かしてくれた全ての人たちの善意に報いるために、僕は絶対にそう答える」
「そうか。じゃあ、そろそろ切るぞ。俺は少し、考えなくちゃならないことができた」
「ああ。言史。君も幸せになれることを、祈ってる」
通話を切ると、言史くんはスマートフォンをヴェドラナに返して、大きく息を吐いた。
「ユーレが生きていたからといって、格差も貧困もあるこの世界の不正を見逃してイイことにはならない」
自分自身に確認するように、一度、理屈をなぞった後。
「けど。けど」
言史くんは、銃を下した。
「何だろう。何か、気が抜けた」
その時の言史くんは、穏やかな昔の顔をしていた。弱いけれど、頭が良くて。大きいことを言っては負けちゃって、でも何度も立ち上がる。そんな等身大の。フツウの「正義の味方」だった頃の顔をしていた。
「話が本当なら、この世界に弱者への善意が残っていることを認めざるを得ない。大竜を解き放つ計画は、保留せざるを得ない。他にも俺が見落としていたことがなかったか、とりあえず様子は見なくちゃならない」
言史くんはつっ走っちゃうところもあるけれど、基本的に理性的な人でもあった。本当に、けっこうな考える時間をとるだろう。
うん。ユーレさんにまつわる誤解を解くことができて、先のことはともかく、言史くんはすぐに世界に復讐したりしない。
わたしとヴェドラナは帰ってきた。
これからもしばらく、フツウの日々は続いていく。
これで、めでたし、めでたし、だね。
……。
って、本当にそう?
……。
だって、ミティアくんはどうなったの?
ミティアくんは、創りものの人間だったから?
本物の人間じゃない。物語の中の登場人物みたいな。現実には存在しない、偽物に過ぎなかったから?
だから、もうイイ?
でも、糸を通じて感じていた、ミティアくんの気持ちが、確かにわたしの中に残ってる。
イナちゃんを大事に想っていたこと。わたしを守ろうとしてくれたこと。
この気持ちの名前を、わたし知ってる。
この気持ちが、偽物だったなんて思えない。意味がなかったなんて、思えない。
この気持ちの名前は、「愛」。
いなくなっちゃったお父さんとお母さんが、わたしにくれていた気持ちと、同じものだわ。
わたしは、息を吐く。
冷たい世界に、白い息が生まれる。わたしは、生きている。
わたしは、わたしを生かしてくれた「あの人」のことを考える。
もう、分かってる。「あの人」は特別なスーパーヒーローとかじゃなくて、あの日、たまたま気仙沼にいた、この世界のフツウの人だったんだろう。
フツウの人が、わたしを助けてくれた。
だから? わたし、フツウの人が生きている世界を、愛してる。
今も、こわい。
でも。
わたしが信じたフツウの人なら、ここで逃げたりしない。
その時、糸を通じてヴェドラナの気持ちがわたしに伝わってきた。
――うん。そうだよね。
わたし。ヴェドラナと友だちで良かった。
ヴェドラナは、わたしと同じことを考えていた。
わたしとヴェドラナは、顔をあげた。
言史くんは、わたしとヴェドラナの覚悟の表情から察して、驚いた。
「リュヴドレニヤに戻ろうと思ってるのか?」
わたしとヴェドラナがうなずく。
「大竜が目覚めた、もう滅び去るだけの世界だぞ?」
わたしとヴェドラナは視線をそらさない。
「戻ってどうする。ミティアは俺が銃で撃った。大竜の大火炎はもう吐かれて、沢山の存在が焼かれた。もう治癒の『究極の魔法』はない」
行っても無駄だという理を説く言史くんに向かって、ヴェドラナが彼女なりの理を語り始めた。
「確かに、私はもう治癒の『究極の魔法』は使えませんが」
ヴェドラナが手にしていた箱を覆っていた布をとる。
「ドイツとスロヴェニアを行き来しながらユーレのお世話をするかたわら、看護や救急医療については学び続けていました。国際救命士の資格も持ってます。言史さんがミティアさんを撃った時、観察していました。銃弾は左肩から二の腕の部分に当たっていました。貫通銃創で血が出ていました。本人も痛いでしょう。でも、出血量から判断して幸いなことに動脈を傷つけるには至っていない可能性が高い。静脈からの出血なら、ターニケットで止血処置をして、消毒などの応急処置をちゃんと施して医療機関まで運べば、現代の医療なら命は助かります」
布の下から、包帯、ガーゼ、縫合用の糸と針に、消毒薬などの本格的な医療処置用品一式が入ったボックスが現れる。
ヴェドラナが持ってた箱、救急セットだったの!?
「あの日以来、外に出る時はできるだけ持ち歩いてる。いつ、どこで助けを求める人に出会うか分からないもの」
「大竜の大火炎はどうする? 助けるのはミティアだけか? 既に、たくさん焼かれてしまったんだぞ? 偽善じゃないのか?」
「大竜が大火炎を吐いた時も、観察していました。恐ろしい大火炎でしたが、こちらも不幸中の幸いか、第一射で火傷を負った者はⅡ度の熱傷程度の者が多く、これはすぐに医療機関に運べば十分に傷跡を残さないくらいにまで回復できます。一部Ⅲ度の重い熱傷を負ってる者もおり、こちらは植皮術などの治療が必要になりますが、今、現実世界は広義の再生医療が劇的に進歩しています。日本なら地理的に中国、インドネシア、オーストラリアなどに医療移植用の皮膚のストックもたくさんあります。こういった非常事態に備え、徳心で準備をしてきてくれた人たちの善意に、助けを求めるべき時です。次に火傷が体表の何パーセントに及ぶかも重要になりますが、大部分は重篤とされる二〇パーセント未満でした。こちらも五〇パーセントに迫る重篤者も確認できましたが、こちらもすぐに医療機関に運ぶことができれば、治療は長引くでしょうが、まだ命は助かる可能性がかなりある。総じて、大竜による大火炎の第二射が放たれる前に医療機関に運ぶことができれば命の希望が残ります。まだ、諦めるのは早いです」
「医療機関って。つまり、二万人のリュヴドレニヤの民を現実世界に救い出すということか? 本気なのか、お前たち?」
ヴェドラナは、やる気だわ。もちろん、わたしもよ。
「言史くん、教えて、あなたの本質能力はどっち?」
ちょっと難しい話をするね。
「本物の歴史の一九九一年のスロヴェニアにファンタジーのレイヤーのようなものをかぶせて歴史そのものを改変する能力? それとも、『ここではない、どこか』に空想世界を一から作り出す能力?」
「後者だ。どこに作った世界なのかと聞かれると、俺も返答に困るが」
良かった。リュヴドレニヤの成立に関しては二つの可能性を考えていたわ。
もし、わたしたちの本物の歴史が改変されているのだとしたら、安易に全員救い出すわけにもいかない。過去に彼・彼女たちの犠牲があったからこそ、現在のわたしたちも生きていることになってしまうから。
でも、「ここではない、どこか」、わたしはそういうわたしたちが空想を作り上げる世界。昔の日本人が「かくり世」として捉えていたような世界を「潜在世界」と呼んでいたけれど、リュヴドレニヤが潜在世界に作られた空想世界の一つなのだとしたら、彼・彼女たちを救い出したとしてもわたしたちの人類の歴史はそう大きく変わらない。問題になるのは、現在の現実世界の受け入れリソースだけ。
前者だったら、また違う作戦が必要になるところだった。後者なのなら、リュヴドレニヤにいる間に準備していた作戦が、まだ使えるわ。
「何より、歴史そのものを変えるというのは俺の本来の願望とは異なる」
そうだね。
言史くんの「最初の言葉」はたぶん「創りたい」だから。
歴史を改変したいなんて人の場合はたぶん、「支配したい」とか「なかったことにしたい」になると思うから。
「いいや。やはり無理だ。さっきも言ったが、空想の世界に俺たちが入ることはできても、空想の存在がこちらに出てくる方はできないんだ。何度やっても、それはできなかった」
そう。それだけは、言史くんにも、わたしにも、ヴェドラナにも、できない。
でもね。
ヴェドラナには癒しの「究極の魔法」が目覚めていたのに、どうしてわたしには何も目覚めなかったのか。
違う。
わたしにも、目覚めていたんだわ。
わたしに目覚めていた「究極の魔法」、それは。
――世界を繋ぐ魔法。
現実世界とリュヴドレニヤと、もう一つ。
まだ、仮説なんだけれどね。
空想が浮かぶ潜在世界には沢山の世界があって、お互いに繋がってる気がするの。
言史くんの能力で「召喚」される刹那、世界と世界の境界が乱れて、別の世界と繋がりやすくなっていたんだと思う。
まさにあの時。
最初のあの時。わたしは、「究極の魔法」を使って既に繋いでいたんだわ。
わたしは、左手の中指に手をあてた。
聞こえる?
今また、この場所と時間。言史くんとわたしとヴェドラナが交差したこの場所、この時間。世界と世界の境界が曖昧になって通じやすくなってる。
糸を通して、聞こえる?
あなた。
――わたしのことを、ずっと見ていてくれた「あなた」。
/第二十九章「輪廻境界域・弐~フツウの人」・完
第三十章へ続く




