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即席勇者!お姫様を救え!①

 今朝、浅井蒼は、ある事に気が付いた。


 「そう、つまり、これは、ジョブチェンジ! 異世界転生物のて・い・ば・んであり、それゆえ最強のナイトだか騎士だか勇者だかになって世界を救う! そう、それこそが、この帰宅部などと言う部活の恥から脱却し、今一度我を磨き直し出直す主人公、浅井蒼だー!」


 高らかに宣言したものの、クラスメイトの視線は冷たく、いや、哀れなものを見るような目で見られていた。挙句、


 「先生! 浅井が壊れてしまいました!」

 「なに言ってんだ、ありゃもともとだから直しようがねぇよ」


 などと失礼極まりない発言を受ける。

 しかし、蒼にはある自覚があった。それは土曜日の転移先の世界で泥棒野郎を捕まえた事だ。これはヒーローを名乗っても恥じない功績だと自負していた。

 そして今日は最悪の月曜日、しかしこの高校に通う生徒にとっては最高の月曜日であった。

 そう、終業式、一学期の終わり、教師からの解放、楽園の始まり! それは皆同じ気持ちで、早く帰ってゲームがしたいと願うばかりである。


 「よし、じゃあこれでホームルーム終わるか」


 担任の解放宣言で、教室は湧き上がる。今日の予定を組む者、明日の予定を組む者、海水浴やプールや花火にデートにバイトに……


 「浅井と内川は明日から補習な、お前らに休みはこねぇ!」


 衝撃発言に蒼は身体を固める。なんだって? 補習?


 「あ、あの、もう一度お伺いしても……」

 「明日から補習、だ!」


 担任は机を勢いよく叩き、更に不敵な笑みを浮かべる。背筋に冷や汗が出て、クーラーの効いた教室だというのに皮膚からしきりに汗が噴き出る。背後で何かがガラガラと音を立てて崩れるのを感じた。


 「ま、俺もぶっちゃけお前らに付き合いたくねぇよ」


 担任はめんどくさそうな顔をして内川を見、蒼を睨む。

 しかし蒼は、ある疑問が脳裏をよぎった。

 同じく補習の内川、下の名を隼人。

 彼は成績優秀で直近のテストでも上々の結果を出していた筈だ。なのにどうして落ちこぼれた、つまずいて起き上がらない怠慢な蒼と同じ補習を受けるのか――。

 その答えは案外早く分かった。


 「あ、言っとくけど浅井、内川の補習は願い出てきたからやるだけだからな。間違っても自分と同類なんて考えるなよ?」

 「か、か、か、考えてねぇし? てかまず補習って願い出れるもんなの……?」


 図星を突かれ、舌が上手く回らなかったが、無理やり誤魔化した。


 「そりゃまぁ生徒の勉強意欲を拒否するわけにもいかないし? 俺も暇だしな」


 少し動いた黒目を蒼は見逃さない。教室の一番前と一番後ろの距離で話しているのにもかかわらず、こういう時にだけ、無駄な視力A判定が活躍する。


 「……家に居たら嫁に邪魔だとか言われるからですか?」


 蒼の予想通り担任は食らいついてくる。


 「うっせ、俺はバツイチ独身だわ! こんにゃろう……後で職員室来い!」


 顔を真っ赤にする担任を見て蒼は内心ニヤニヤしていた。この話題で弄るのはとても面白い。人の心は豆腐みたいに柔らかいってどこかの偉い学者がテレビで言っていたのを見た事があるが、今の蒼にとっては立場逆転のキーアイテムである。


 「解散!」


 担任の大きく力のこもった声が部屋全体を駆けた瞬間、生徒は一斉にクラスを飛び出して行った。




            *




 ガリガリと古びたチェーンが豪快な音を鳴らし自転車の推進力を生み出す。

 あの後はすぐに学校を飛び出した。もちろん職員室になど行くわけもない。そんなことより異世界転移、もといあのおばあちゃんの素性を知りたいと言うのが本音である。

 自転車は(つんざ)く音を立てて駄菓子屋の前に止まった。蒼は額に滲む汗を拭って、電話ボックスを見る。普段通りそこには女性の姿が――。


 「い、居ない……」


 普段ならどの時間でも先客として現れる彼女が居ない。それは蒼の心をとてつもなく不安にさせる。


 「――――」


 蒼は昔からゲームが好きで、今もPCゲームにはまり込んでいるためか、薄々気付き始めていた。


 あの女性が居ないと転移出来ない……。


 確証はない。実際居なかったのは今回が初めてだから本当にそうなのかは分からない。ただ、電話ボックスの扉がいつもより軽いように感じたのは勘違いではない。

 蒼は恐る恐る番号の振ってある銀色のボタンに触れてみる。


 ――カチリ。


 蒼の期待を裏切るように、ボタンは軽く沈み込んだ。息が詰まった。普通ならあり得ない現象を当たり前だと思い込んでいたが……


 「何考えてんだ……」


 あり得ないのが『普通』である。

 蒼はゆっくりと指を離すと、それをそのまま扉の取手にかけると、そのまま押した。夏の暑さを運ぶ風すら感じなかった。


 何分経ったろうか。なぜか踏切が閉まる音に気を引かれ、ついそちらに黒目を動かした。

 その黒目が揺れるまで、一瞬だった。

 走っていた。息を切らし、垂れる汗を白いハンカチで拭いながら。

 その黒髪は触れそうになる程近く、綺麗に風に(なび)く度に美しいと心から思う。

 蒼は我に帰り、追っていた目を無理矢理正面に向ける。これではただの変態、不審者、オスの眼光である。蒼は自らに「俺は紳士だ」と言い聞かせた。

 しかし、高鳴る鼓動は蒼を騙すのが下手くそだ。

 きっと、この後に転移が出来る。彼女が誰であろうと関係無い。その事実は揺るがない。

 蒼は、座り込んだまま手で顔を覆った。


 ――その心に響く想いを隠しながら。



            *




 それから数分して、人影が蒼の目の前を通った。

 つい目で追ってしまった。甘い匂いがしたから。

 見慣れたその揺れる黒髪ロングの背中を踏切の向こう側まで見送り、蒼は立ち上がった。変に足が痺れてしまったが、今は脳がそれを受け付けない。


 「よし」


 一呼吸置き、扉の取手に手をかけた。蝶番(ちょうつがい)が軋む音がして、扉は開かれる。

 左手で受話器を取る。覚束(おぼつか)ない指先で五十円玉を硬貨投入口に入れた。


 ――きっと。助ける。


 蒼は静かに指先に力を込めた。圧力を受けたボタンは、しかし沈まなかった。




 爽やかな柔らかい風と心地よい鳥のさえずりによって蒼の意識は構築された。

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