ついてくる音
「物理的に干渉してくるめちゃ強おばけが出るから、引っ越したんすけど」
おごり焼き肉につられて、金曜の夜にほいほいと出かけて行った私を待ち構えていたのは、突然の幽霊話だった。
薄焼きのタン塩が焦げないように見張るのに忙しかった私は、思わず網から顔を上げる。
「……なんでそれ、私に話そうと思った?」
「え? だって、いつもホラー映画見てるじゃないすか」
「映画と怪談を一緒にしないでほしい」
「Aもなんか、右目潰した時に相談に乗ってもらったって」
「あれは相談っていうか愚痴っていうか……」
「あ、タン塩焦げますよ」
私は慌てて、網の上からタン塩を回収する。
レモンをつけて口に押し込み、まあ、肉をおごってもらえるのなら、恐怖体験を聞いてやるくらいのことはしてやってもいいだろうという気持ちになった。
「言っておくけど、オカルト知識とかはないし、心霊スポットめぐりとかもしてないよ」
「え、意外すね。廃墟とかばかすかいって写真撮りまくってるんだと思ってた」
「どういうイメージだ」
「だってほら、この前一緒にお化け屋敷いった子が失踪とかしてませんでした?」
私は露骨に不機嫌になった。
この男はSNS上のAの知り合いが、気づいたら私のフォロワーになっていたという、リアルとネットが混ざり合ったような立ち位置にいる人物だ。
ウェブ上での名前が「V8」なので、みんなからは「ブイハチ」と呼ばれている。
「あ、すいません。話したくないんでしたっけ、この事件」
「そりゃそうでしょうよ。――ブイハチさんはAの右目の話、どう聞いてるわけ?」
「トイレでのぞかれて、目を潰したら、次の日自分の目が潰れたって」
「ああ、じゃあもう全部聞いたんだ。信じたの?」
「そうそう。俺も、外からバンバンやられたから、おんなじだーと思って」
「え? ブイハチさんも?」
「そう。風呂入ってたらバンバンって。で、隣の部屋のやつが窓から入ってきてるんだと思ったら、隣の部屋空き家だったんですよ。警察は“よくあるんですよ、この部屋”って苦笑いしてるし。そんなん引っ越すしかなくないすか?」
それは私でも引っ越す案件だ。
タン塩を平らげたので、カルビに取り掛かる。
肉をおごっていただいている身の上なので、「大変だったね」と形ばかりねぎらった。
「でも、Aの案件とは違くない? Aは、自分の過去の行動で未来の自分が傷ついてる、いわゆる時空のねじれ系でしょ? でもブイハチさんのは普通にオバケじゃん」
「ですかね」
「ブイハチさんは引っ越せば解決だけど、Aの場合は――」
「いや、ついてきちゃって」
私の目の前で、カルビが燃え上がった。
慌ててさらの上に退避して、少しばかり焦げたカルビをじっと睨む。
ダメだ、落ち着いて食べていられない。
「ついてきたって……」
「妖怪お風呂の戸バンバン」
かわいらしいネーミングにしてみても、まったく笑えない。
「それって、じゃあ、前まで住んでた家にはもうオバケが出なくなったってこと……?」
「前に住んでた家の幽霊状況は、ちょっと確認できないんでなんとも言えないすけど……少なくとも、引っ越したその日に風呂入ったら、バンバンされましたね」
「それっていつ?」
「三日前す。友達が荷解きの手伝いに来てたから、たぶんからかってんだな~と思ったんですけど……ちょうどその時、そいつら酒買いに行ってたんすよ。そいつらが帰ってきたタイミングで、風呂のバンバンも収まって。……なんか、部屋に何人かいると出てこないみたいなんですよ。でも友達にそんなに連泊してもらうわけにもいかないし……どうしましょう」
「だから、オカルトには別に詳しくないんだって!」
どうしよう、と言われても困る。
私はカルビを食べた。
味がしない。
「引っ越そうにも、またついてこられたら終わりだし……俺、実家北海道じゃないですか。実家から仕事に通うわけにもいかないですし……なんとか追っ払いたいんですけど」
「塩でもまいたら? お祓い行くとか」
「効果あるんですかねぇ」
「いや、わからんけど……」
私はスマホを取り出した。
除霊やらお祓いについて調べてみるが、「下手にやると霊を怒らせる可能性がある」などと書かれてはうかつにできない。
「お風呂に入ってる時だけなの? 出てくるのって」
「うーん……たぶん? わかんないっすね。今度の部屋はユニットバスじゃないから、ひょっとしたらトイレでも出るかも」
「バンバンされてるときに、ドア開けるとどうなるの?」
「そんな怖いことできないでしょ!?」
そうかもしれない。
ふむ、と私は考えた。
「じゃあ、とりあえずビデオカメラ設置しようか」
「へぇ?」
「で、風呂に入る」
「はぁ」
「風呂バンバンが始まったら、玄関外に待機してた私が部屋に入る」
「なるほど?」
「誰かが来ると、その風呂バンバンは消えるんだよね?」
「ですね」
「で、二人でビデオを確認する。解決にはならないかもしれないけど、少なくとも外がどんな感じになってるかはわかるんじゃない?」
なるほどなぁ、とブイハチさんは仰け反った。
にわかに大量に肉を焼き始める。
「いや、やっぱり相談してよかったですわ。だって普通、こんな相談して“ビデオに撮って一緒に見よう”なんて言ってくれる人いないでしょ?」
「肉をおごってもらっといて、あっそうかわいそうでしたね……って帰れるほどずぶとい性格じゃないんで……」
「じゃ、今夜さっそくお願いしてもいいですかね」
「まあ、変に引き延ばすよりは……ビデオってスマホの動画でいいかな」
「あ、デジカメあります。動画取れるやつ。三脚も」
そういうわけで、たらふく肉を食い、その足でブイハチさんのマンションに向かった。
前回の一件でセキュリティにこだわりを持ったというブイハチさんのマンションは、そこそこ新しくて玄関はオートロックだ。
「オバケにセキュリティは関係ないって学んだっす」
「でも、新しいマンションよりは、古い木造とかに出るイメージあるよね、オバケって」
「いや、俺もそう思ったんすけど、考えが甘かったなぁ」
荷解きを終えたばかりのブイハチさんの部屋は雑然としているが、そこそこの広さがある1Kタイプだ。
寝室とキッチンはドアで仕切ることができ、キッチンの奥に風呂場とトイレのドアがある。
「うわ」
私は声を上げた。
風呂場のドア――手形がついている。
「ね? でしょ? やばくないっすか」
「とにかくビデオ設置しようか……」
早くも帰りたい気持ちになってきたが、焼肉が美味かったというポジティブな思い出を胸にデジカメを三脚に設置する。
「じゃあ俺、服着たまま風呂に入ってドアしめるんで」
「私は玄関から出て、五分くらいしたら戻ってくる感じで……」
ブイハチさんが風呂に引っ込み、私は玄関から外に出る。
なんだこの謎の行動は。
五分が過ぎ去り、私へいそいそと部屋に戻った。
ブイハチさんがひょいと風呂場から顔を出す。
「出ません」
「え?」
「ちゃんと風呂入らないとだめなのかも?」
「あー……いけそう?」
「めっちゃ怖いっす」
「やめとく?」
「それもなんか……」
しばらくもだもだしていたが、結局はやってみることに決めたらしい。
本格的に風呂の用意をし、ブイハチさんが湯船につかると、私は改めて玄関に出た。
「これで、五分――」
バン!
私は飛び上がった。
バンバン! バンバン!
叩く音がする。――玄関を。
中から外に向かって。
玄関扉が振動するほどの力で。
「……あ、なるほど」
急に、合点がいった。
妙だと思ったのだ。急に焼き肉をおごるなどと言って呼び出して、オバケが部屋についてきたなどと――。
ようは、これは少々大掛かりなドッキリだ。
この玄関扉の向こうでは、ブイハチさんがバンバンと叩いているに違いない。
「あほらしい……このまま帰るか」
嫌しかし、さすがに一言の断りもなく帰るのは、肉をおごってもらった身としては……。
玄関は今もバンバンと音を立て続けている。
仕方ない。
私は玄関を押し開けた。
「あのねブイハチさ――」
私は凍り付いた。
誰もいない。
私が固まっていると、ブイハチさんが真っ青になって、そろそろと浴室から這い出してきた。
玄関から浴室までは一直線なので、玄関に立ったままでもブイハチさんの姿は見える。
腰にバスタオルをまいただけだが、相手が全裸だろうと、今この瞬間は気にしない。
「今、玄関に………」
「聞こえてたんすけど、俺、怖くて出られなくて……」
私は靴を脱いで部屋に駆け上がると、録画しっぱなしのビデをカメラを手に取った。
身を寄せ合うようにして小さな画面をのぞき込み、動画を再生する。
ブイハチさんが風呂に引っ込み、私が玄関の外に出た。
直後に、玄関をたたく音が聞こえ始める。
音だけで、映像は映っていない。
――あのねブイハチさ……。
私が玄関を開けた。
その時だ。
「あ」
「あ」
画面を、黒い影がかすめていった。
それがものすごい勢いで、寝室の方へと駆け込んでいく。
半開きだった居室の引き戸が、ひとりでに乱暴に閉まった。
それを追いかけるように、部屋に駆け込んでくる私の映像。
私とブイハチさんは寝室を見る。
バン!
と、内側から、怒り狂ったようにドアをたたく音がして、私とブイハチさんは無言で飛び上がった。
その後しばらく、ブイハチさんは財布だけ持って漫画喫茶で寝泊まりするようになった。
そして今は、管理人常駐、風呂共同のシェアハウスで生活しているという。
ちょっとコミカルになりすぎたかな?
キャラ付けするとホラー感うすまりますね