誘う廃病院
怖い話が好きだ。
ネットに転がっている恐怖体験を読み漁るのが好きだし、ホラー映画も好きだ。
自分が関与しない虚構の恐怖だからだと思う。
ただ一つ、お化け屋敷だけが苦手だった。
まず暗いのが嫌だ。
つまずきそうで怖い。
で、神経をとがらせてるところに、ぶしゅっと空気とかを当てられて脅かされる。
恐怖体験が好きなのに、ビックリさせられて悲鳴を上げて「ほら怖がった」と言われるのが納得いかない。
常日頃からそううそぶく私に、友人が声をかけてきた。
「お化け屋敷行こうよ」
「いや行かないよ。嫌いだし」
「知ってるけど、なんか脅かす感じのじゃないお化け屋敷なの。本物の廃病院使ってて、細い廊下でオバケ役の人が待ち構えてるみたいな」
「戦慄なんちゃらみたいな?」
「いや、ただの廃病院。遊園地じゃなくてお化け屋敷単体の営業なの」
怪しさしかない。
ようは町はずれにポツンとたっている廃病院を買い取って、物好きが個人的にお化け屋敷を営業しているらしい。
「それ営業許可取ってるの?」
「知らないけど、ネットで紹介されてるなら、取ってるんじゃない? インスタに上げたいけど、一人じゃ参加できないの。撮影役も欲しいし、怖いのに耐性あるのAだけなんだよ~」
Aとは私の事だ。
この友人を仮にBとしよう。インスタ映えに魂を燃やす大学生だ。
Bとは高校からの付き合いだ。Bが四年生の大学に進む傍ら、私は短大を出て、一足先に社会人となっていた。
インスタにはユーザ―登録さえしていない。
さんざん嫌がったのに、押し切られる形で行く事になった。
Bは大変押しが強い。
その週の土曜日に、箱根にあるという廃病院型お化け屋敷を目指す事になった。
温泉につられたと言うのも、まあある。
Bは当日の午前中まで用事があるとかで、
「現地集合ね」
という事になった。
車の免許もないので、ロマンスカーで箱根を目指す。
駅弁は適当に牛肉っぽいものを選んだ。
独り身の社会人だからこそ許されるささやかな贅沢だ。
行きの車中で、ぽちぽちとSNSに投稿した。
私:なんかお化け屋敷行く事になった。
レス1:お、嫌いだって言ってたのに?
レス2:どこのおばけやしきですか? たのしそう( *´艸`)
レス3:ご無事で~
私:なんか廃病院のやつだって。個人経営の
レス1:お、ネットで見たことあるかも。
レス2:ちょっと前オカルト界隈でバズだったやつですかね??
レス3:『URL』
私:みんな詳しい
私は張られたリンク先に飛んだ。
ネタバレ禁止だというそのお化け屋敷の感想は、「とにかく怖い」とか「トラウマになった」とか、漠然としたものばかりだ。
――本物が出るよ、ここ。
そんなコメントもある。
よくある「お化け屋敷には本物が出る」系の噂だ。
私はこれを経営者側が流していると思っている。
私:結構参加したことある人いるっぽい? じゃあ安全なやつかなあ。
レス1:でもなんか、行方不明者でたって聞いたような。
レス2:え、こわい(T_T)
レス3:営業停止になってないならデマなのでは?
私:私が音信不通になったら通報よろしくね~
そんなやりとりをしている間に、気が付けば箱根だった。
「すいません、この住所なんですけど」
強羅駅でタクシーを捕まえて、運転手に住所を示した。
「こんなとこに、何しに行くの? 何もないよ」
「なんか、お化け屋敷があるみたいで」
「帰りはどうすんの? 迎えに行こうか?」
二時間後に迎えに来てもらう約束を取り付け、名刺をもらって車を降りた。
「この細い道の奥。こっからは車は入れないから」
「はあい。ありがとうございます」
運転手の指さすさきは、まるで手入れされていない雑木林だ。
そこに、舗装されていない道がくねりくねりと伸びている。
「うわ、ここ電波入らない……」
圏外。
私はスマホをしまった。
待ち合わせ時刻は午後四時だ。
くだんのお化け屋敷は完全予約制で、一度に三組までしか入れないらしい。
料金は一人2000円。
そんな料金設定でやっていけるのか疑問しかないが、この金額の時点で内容はお察しと言える。
雑木林の奥にひっそりと建つ廃病院。
その雰囲気だけで充分恐ろしいというわけだ。
そこに時給数百円でやとった特殊メイクのおばけバイトを配置し、観光気分でやってきたカップルをきゃーきゃー言わせる。
そう、頭では分かっていても、いざその病院を前にすると妙に心臓がどきどきした。
看板も何もないのだ。
ただ、薄暗い雑木林の中に、廃墟がある。
近代的な病院だった。
ほんの十年くらい前に建って、去年あたり廃業したような雰囲気だ。
窓はすべて木材が打ち付けてあり、中の様子は見られない。
一瞬、道を間違えたのではないかと思った。
だがもう少し病院に近づいてみると、入り口に人が立っているのが見える。
白衣姿だった。
頭には麻袋を被っている。
その麻袋がこちらに気づいて、私は一瞬ぎくりとした。
「予約の方ですか?」
「あ、はい。連れがいるはずで……」
「お待ちになってますよ。どうぞ。最初に軽く説明があります」
Bはすでに来ているらしい。
「いやあ、怖いですねその麻袋」
「顔の見えない相手って、それだけで怖いですよね。でも、これからもっと怖い目に合いますよ」
「帰りたいな~」
私がわざとらしく言うと、スタッフの人は楽しげにわらった。
白衣と麻袋には、赤黒い血ノリが付いている。
リアルだ。
廃病院の入口をくぐると、中はそのまま、病院の待合室だった。
椅子にBが腰かけている。
私に気づいて、Bはぴょんと立ち上がった。
「よかったー! 来ないかと思った!」
Bは半べそをかきながら私に駆け寄ってきた。
「時間通りに来たわい」
「私三十分前」
「はやーい」
「タクシーできたの?」
「うん、二時間後に迎えに来てくれるって。っていうかここ電波通らないくてビビったわ。折角だからSNSでお化け屋敷の写真自慢したかったのに」
「あ、来ることみんなに言ってあるんだ?」
「お化け屋敷行くって言ったら、なんかURLとか張ってくれた。結構有名なんだね。行方不明者出たって噂もあるとかなんとか」
「私言ってない。いきなりお化け屋敷の写真ドーンってあげたら、みんなびっくりするでしょ?」
私とBが話していると、スタッフの人が「説明を始めます」と声を上げた。
待合室には、私とBのほかにも二組のグループが待っている。
大学生らしき三人組と、恋人同士と思しき二人組。
「一組ずつ、十分の間隔をあけて入っていただきます。普通に歩いてニ十分程度で出られるはずなので、一組目がゴールすると同時に三組目が入る形ですね。この廃病院には、同時に最大2グループまでが入場できる形になっています。前のグループが怖がり過ぎて、後ろのグループが追い付いてしまった場合は、容赦なく追い抜いてください」
「廃病院の中には、幽霊がうようよいます。襲われる事もありますが、危険ですので決して走らないでください。幽霊と戦うのも、とても危険なのでやめてください。どうしても幽霊が怖くて、もうダメ! という時は、今からお渡しする緊急ベルを押してください。スタッフが病院の外まで案内します」
「内部は撮影禁止となっております。カメラを向けると幽霊が興奮し、大変危険ですので、デジカメ、スマートフォンなどは一時預からせていただきます」
「ここまでで何か質問はありますか?」
質問はなかった。
渡された緊急ベルは、レストランの電子ベルに似ていて少し間抜けだ。
「それでは、最初のグループから中へどうぞ」
大学生のグループが通された。
続いて社会人カップルが。
私たちは三番目だ。
懐中電灯を二つ渡された。私とBがそれぞれ持つ。
「行ってらっしゃい。どうぞお気を付けて」
スタッフに見送られてドアをくぐる。
そこは赤い電灯に照らされた、薄汚れた廃病院の廊下そのものだった。
ただ、むっとする嫌な生臭さが漂っている。
私は鼻を覆った。
「何これ? 生魚でもさばいてるの?」
「変なにおいするねえ」
言いながら、Bは携帯を取り出す。
は? と私はBを見た。
「さっき没収されててなかった?」
「あっちはスマホ。これはガラケー。ガラケーはダメって言われなかったもんね」
カシャリ。
Bは写真を取る。
「あきれ果てた……もう先に行く」
「えー! 待って待って! 一枚だけだから! 幽霊さんは写さないし、思い出として保存するだけ!」
「その思い出インスタに上げるんでしょ?」
「だってインスタは思い出のアルバムだし」
私は歩き出した。
Bはそんな私の後ろを、恐る恐るついてくる。
色は赤いが、きちんと照明があるおかげで、手探りで歩かずに済むのはありがたかった。
懐中電灯を渡されてはいるが、使わなくても今のところ問題はなさそうだ。
床には順路が書いてある。
手足のもげたマネキンが転がっている。
順路が、一体のマネキンを指していた。
マネキンは腕を持ち上げ、二股に分かれた道の左右を同時に示している。
「何これ、どっちに行けばいいの?」
「え? え? わかんないわかんない。マネキンに何か書いてない? A見てお願い」
「二手に分かれろって」
「うそーーー! やだやだ絶対ヤダ! 別に別れなくてもいいよね!?」
Bは悲鳴を上げた。
「あ、廊下にオバケの人いる」
「嘘ぉ!?」
「あれ通せんぼしてるんじゃない? 二手に分かれないと通してもらえないっぽい」
「えー! やだぁ!」
「じゃあ私こっち行くから」
地団駄を踏むBを置いて、私は右の道に進んだ。
廊下に立ちふさがっているオバケがすっと横に道を開ける。
私は血まみれナース服のオバケに軽く会釈して廊下を進んだ。振り返ると、Bが覚悟を決めて私と反対方向に歩いていくのが見える。
私だって、別に怖くないわけではない。
嫌な雰囲気だな、不気味だな、マネキンが動き出したりしなければいいな、オバケ役の人が追いかけてきたら嫌だなと、色々と考えている。
だが、まさかオバケが全力ダッシュで追いかけてはこないだろうという確信があった。薄暗い廊下でそんな事をしたら、間違いなく誰かが転んでけがをする。
せいぜい早歩きで追いかけてくるのが関の山だ。
歩いていくと、カギのかかったドアにぶち当たった。
そのすぐ近くに、ドアが開け放ってある部屋がある。
霊安室と書いてある。
足を踏み入れると、壁一面にロッカーが並んでいる。
部屋の中心にあるベッドに、人が横たわっている。
「うわぁ」
私は声を上げた。
壁に血文字が書いてあった。
――カギを返せ!
死体が手に不自然にでかい鍵束を握っている。
これを持っていけという事だろう。
問題は、横たわっている人が明らかに“生きている”事だ。
鍵束を取ったら間違いなく動き出す。そして私を追ってくる。
カギのかかったドアはすぐそこだ。猛ダッシュで客をおいかけなくても、この死体役のオバケが起き上がるだけで十分怖い。
それが立ち上がってゆっくり歩き出したら絶叫ものだろう。
いや、大丈夫だ。
相手は人間だ。
追いつかれても殺されはしない。殴られもしない。
じゃあ何をされるんだろう?
いろいろと考えながら、死体の手からぱっとカギを取った。
その瞬間――。
「うあぁああぁああぁ!」
死体が悲鳴を上げて手足をばたつかせた。
「ぎゃあぁああぁ!」
そして私も悲鳴を上げる。
死体は立ち上がるどころか、不気味な動作でベッドから転がり落ち、ほふく前進で近づいてくる。私は悲鳴を上げながら、カギのかかったドアに飛びついた。
ドアを開け、急ぎ足で先に進む。
どこからともなくBの悲鳴が聞こえてきて、私は足を止めた。
「いやあぁあ! 助けて助けて! お願い助けてごめんなさい!」
かわいそうに、向こうがどんなめに合っているのかは想像もつかないが、相当の恐怖を味わっているに違いない。
ぼんやりと突っ立っていると、急に足を掴まれた。
「え!?」
嘘だろ。
さっきの死体の人、ドアをくぐっても追ってくるのかよ。
私は死体を振り払って駆け出した。
そこからはもう、ほとんどずっと走っているような感じだった。
幸いカギのかかっている部屋はそこしかなく、私は想定されている所要時間のおよそ半分で廃病院の裏口――つまりはゴールだ――から飛び出した。
光だ、と。
人生でこれほど思った事はない。
廃病院の裏口から飛び出すと、そっけない外灯に照らされた「ゴールおめでとう」の看板が立っており、ああ終わったんだと実感できる。
「お疲れ様です」
「わあああ!」
麻袋を被ったスタッフに声をかけられて、私は悲鳴を上げた。
それほど神経過敏になっている。
「記録更新レベルの速さでしたよ」
「いや、私も急ぎ過ぎて、前の人追い越しちゃうんじゃないかと思いました」
実際のところ、急いで進んで前の人に合流したい気持ちはあった。
だが、結局一人でゴールまで駆け抜けてしまった。
前の人も相当急ぎ足だったのだろう。
「連れはまだしばらくかかりそうですかね」
「いえ、とっくにリタイアなさってますよ」
「やっぱり」
私は吹き出した。
ホラー慣れしている私でもきつかった。Bが耐えられるはずもない。
「どこで待ってるとか、言ってました?」
「ご気分が悪いとの事でしたので、スタッフがホテルにお送りしました」
「え!?」
「そもそも送迎バスでいらっしゃっていたので。後日連絡するとおっしゃってました」
「えー?」
置いてけぼり。
まさかの。
私はすでに暗くなっている空を見上げた。
結局、箱根くんだりまできてBと一緒にいたのはたかだか十分程度だった。
一人でとぼとぼと来た道を引き返し、なかなか迎えに現れないタクシーを待った。
ホテルに戻り、早速SNSを開く。
私:怖かった
レス1:お疲れー。
レス2:どんなかんじでした?(´∀`*)
レス3:お、無事か。
私:つか同行者に捨てられた。リタイアして先に帰っちゃったって。
レス1:かわいそうww
レス2:ありゃりゃ。お連れ様大丈夫ですかねぇ。
レス3:連絡ついた?
そういえば、Bからなんのメッセージも来ていない。
着信も残っていない。
具合が悪くなったと言っていたから、ひょっとして寝ているのかもしれない。
一応、私のほうから「大丈夫?」とメッセージを入れておいた。
恨み言の一つもあるが、それはまた会った時でもいいだろう。
そう、思っていた。
だがそれから二度とBには会えなかった。
結論から言って、Bはホテルに戻っていなかった。
もちろん家にもだ。
授業に現れないBの事を不審に思った教師が親に連絡し、親がBの自宅を確認し、しばらく帰っていない事が判明した。
最後に一緒にいたのは私だ。
警察に事情を聞かれ、「お化け屋敷に行った」と答えた。案内を頼まれて向かった場所には、もぬけのからの廃病院。
「本当にここ?」
「間違いありません」
「たしかに新しいタイヤのあとがあるね……」
「送迎バスでホテルまで送ったって、スタッフの人に言われて……」
私は信じた。
なんの疑いもなく。
そしてBはどこへともなく連れ去られた。
――考えてみれば、なんと好都合なシチュエーションか。
お化け屋敷ならどれだけ悲鳴が上がっていても誰も気にしないし、オバケに扮した人間が近づいてきても、こちらからは決して暴力を振るわない。
お化けが自分に危害を加えるはずないと信じ切っているからだ。
スタッフ全員が麻袋で顔を隠していても、誰も不思議に思わない。
あの時のBの悲鳴を、私は今も思い出す。
お化け屋敷の体験談のなかには、「本物が出る」と書いてあるものがあった。
それは「本物の犯罪者が出る」という意味だったのだろうか。
ならばなぜ、彼らは今も捕まらず、のうのうとお化け屋敷の営業を続けているのだろう。
あちらこちらに拠点を移しているからだろうか。
なぜ、私は無事に帰れたのだろうか。
SNSに居場所を書いていたから?
タクシーの運転手が迎えに来ると知っていたから?
少なくとも、彼らには撤収の時間が必要だったはずだ。
それほど早く警察に踏み込まれるわけにはいかなかったのかもしれない。
それとも、Bが写真を撮っていたのが問題だったのだろうか?
私の前を進んでいたカップルは――私がどれだけ急いで進んでも合流できなかったカップルは、二人とも連れ去られたのだろうか。
その前の大学生は?
後日、Bのガラケーが廃病院で見つかった。
ぐずれた瓦礫の隙間に入り込んでいて、誰にも気づかれなかったのだろう。
中にはブレブレの写真が数点と、麻袋を被った男の写真が残されていたと言う。
私たちを案内した、あの麻袋を被った男――。
Bは今も見つかっていない。