骸の夢
思春期に入った頃から、ずっと自分の死について考えていた。
自殺を考えた事は何度もある。
いつ訪れるか分からない、苦しむかもしれない死を恐れるくらいなら、自分で死に方を選んだ方がいいのではないかと、死について調べた事は数えきれない。
理想の死があった。
満ち足りて、苦しまない、あるいは突然の、自覚のない死。
だが壊れた人間は、まったく道理に合わない選択をする。
私は自室で首をつっている自分の死体を見上げていた。
死亡推定時刻二十五時十三分――深夜の一時過ぎだ。
大好きな仕事をしていた。
子供の頃から夢見ていた仕事だ。
明日までに終わらせなければならない作業があるから、夜の九時に帰宅して、風呂に入って、そのままパソコンに向かって作業を進め、予定のところまで終わらせてから首を吊る準備を始めた。
きっかけは些細な事だ。
愚痴を吐いた同僚に「おまえが弱いだけだ」と言われたとか、通っていたラーメン屋が潰れたとか、長年取り組んできた仕事を新人に横取りされたとか、誰にでも降りかかるような小さな、それ単体では死の理由にならないような積み重ね。
けれど突然、意味が見いだせなくなる。
仕事に。
人間関係に。
自分自身に。
踏みとどまる理由を探した。
手近なところには見当たらない。
見回した部屋には、脱ぎ捨てたズボンにくっついたままのベルトと、キャスター付きの椅子だけがあった。
よし、死ぬか。
そう思った。
風呂に入るような気安さだった。
思春期の頃から考え続けた理想的な死の中に、首つり自殺は入っていない。
だが私はそれを選び、無事に私の死体は私の部屋にぶら下がっている。
まるで焼肉を食べに来たのに、空腹に負けて牛丼で妥協したような死に方だった。
私は知らなかったのだ。
家電が突然限界を迎えるように、人はある日突然、さしたる理由もなく壊れ、自ら廃棄の道を選ぶ事に。
死ぬ直前までSNSを眺めていた携帯が、昼過ぎに鳴り響いた。
私は出られない。死んでいるので。
メッセージアプリの着信を知らせる鳴動がある。
私は見られない。死んでいるので。
翌日、部屋の呼び鈴を鳴らす音がした。
私は出られない。死んでいるので。
――と。
カギが、開いた。
合鍵を持っている人間は限られている。
遠方の友人。妹。そして大家。
大家ならいいなと思った。
しかしやってきたのは妹だった。
首を吊った私の死体を見て、妹は悲鳴を上げた。私の死体を下ろそうとするが、天井からぶら下がっている死体を女一人で下ろすのは難しい。
妹はしきりに「待って、死なないで、待って」と繰り返している。
もう死んでいる、手遅れだと伝えてやりたかったが、それもできない。
妹は台所で包丁を手にし、私が死に際して踏み台にした事務机を足場に、私の首を締め上げているベルトを切った。
私の死体が床に落ち、どすんという鈍い音が部屋に響いた。
妹は私の体にさわる。
とうに冷たい。
妹は泣きながら、震える手で携帯を取り出した。
救急車を呼び出し、「首を吊った。動かない。冷たい。速くきて」と喚いている。
落ち着いて。住所を言わなきゃだめだよ、と言ってやりたかったが、私の死体のせいで混乱している妹に対してそれもなんだか妙だと思った。
私の死亡は速やかに確認された。
妹は肉親の首つり死体を発見した事で憔悴しきり、私は申し訳ない気分になる。
「なんで死んだの?」
妹は泣いている。
私も分からない。
何故死んだんだろう。プレイしていたゲームに突然飽きただけなのだ。
それで電源を切った。それだけなのだ。
同僚達は私の死を知って「まさか」と言った。
意外と誰も「死ぬ前に相談してくれれば」などとは言わないものなのだなと思った。
言葉少なに、悄然となって、もう二度と私が座る事のない席を見つめる。
生前私が最も憎んだ人物が、訳知り顔で私を語り、「惜しい人を亡くした」などと言っているのを見た時は、つくづく遺書を残すべきだったと思った。
今からでも書けないだろうか。
手遅れだ。
生前にやっておくべきだった。
死後にできる事は何もない。
片手で足りる程度の友人たちは、私の死を知っても驚きはしなかった。
「そうか、ついに」
と。
愛すべき私の理解者たち。
「自分達では生きてる理由にたりなかった」
そう言って自分を責める友人たちに、私は何か言葉をかけてやりたかった。
私の友人たちは等しく私の同類で、みな自分の死について深く考えるところがあった。
何度となく自分が口にした言葉を、私は死後になって思い出す。
「人間が一人死ぬと、数十人の人間が後始末にかりだされる。速く死ぬほど損失はでかいわけだから、できるだけ長生きして死後の損失を相殺するのが生物として正解だとおもう」
もっともだ、もっともだが生きづらい。
そう言って泣きながら酒を飲んだ思い出が、私の死体の周りに漂っていた。
だが私はもう、他人に与える損失を考える事に疲れていた。
降りかかる理不尽に対して笑顔を返す事で、自分がまっとうな人間であると証明し続ける事に疲れてしまった。
ただ、人間である事。
それに向いていなかったのだ。
生きるか、死ぬか。
ずっとピアノ線の上をふらふらと歩いているような人生だった。
飯がうまい。生きるにプラス十点。
仕事が楽しい。生きるにプラスニ十点。
だが、ただ呼吸をしているだけで、嫌な事一つないはずの毎日のなかで、一点ずつ死ぬに加算されていく。
生きる理由を集め続けなければ、あっという間にメーターは死へと傾いた。
漫然と死を待っていたわけではない。
生きる理由をいくつも集めた。
だが、それがいつの間にか死ぬ理由へと変じている。
友達ができた。生きるにプラス十点。
友達に嫌われていないか不安だ。死ぬにプラスニ十点。
きりがない。
けれど今、私のために泣き、苦しむ人々を見て、メーターは生きるに大きく傾いていた。
死ぬべきではなかったのかもしれない。
もう少し生きるべきだったのかもしれない。
せめて死に方を考えるべきだった。
事故だったのだと、誰もがそう思えるような死に方をすべきだった。
だが、すべては手遅れだ。
私はもう死んでいる。
そこで、ふと目が覚めた。
驚いた。
死んでも夢を見る事に。
私は部屋の中で首をつっている自分を見上げた。
死後二週間――。
これが私の現実だった。