繋がる密室
「いやぁ、なんか公衆トイレでめっちゃドア叩いてくるやついてさ」
深夜に突然ファミレスに呼び出されたと思ったら、Aが前置きもなくそう切り出した。
私はコーヒーとポテトフライを注文し、
「漏れそうだったんじゃないの?」
と言い放つ。
Aは「俺もそう思ったんだけどさ」と、気分を害した風もなく続けた。
「いうて、22時の公衆トイレよ? 高速のサービスエリアの。人ガラッガラの。個室なんていくらでも空いてたし、なんで俺の個室ドンドンたたくわけ?」
なるほど、それは確かに怖い。
私は黙って話を聞いた。
「一応さ、俺も“入ってます!”って答えたんだけど、無視してドア叩かれ続けて、さすがに怖くなるわけじゃん? 酔っ払いだか強盗だかわかんないし。でも武器になるようなもんもないし……って思いながらポケットあさってたら、家の鍵があってさ」
「ああ、武器になるっていうよね、鍵」
「そう。とりあえず鍵の先っぽを、こぶしの間からこう、出すようにしてさ。早くあきらめてくんねーかなって待ってたのよ」
Aは鍵の先端を指の隙間から出す形で、握りこぶしを作ってみせる。
そうすると、拳から固い金属の刃が飛び出しているようになり、これで殴れば相手はかなりのケガをすることになる。
「で、ドア開けて戦ったわけ?」
「いや、じっと息顰めてたら、静かになってさ」
「はぁ?」
「いや、ここからが怖くて」
コーヒーが運ばれてきた。
一口飲む間、Aはもったいぶるように黙ってる。
「のぞいてきたんだよね、そいつ」
「……え?」
「公衆トイレのドアって、結構隙間あるじゃん? その、ドアと壁の隙間からのぞいてて、目が会っちゃって」
「こっわ! どうしたのそれ」
「目、刺しちゃった」
Aは拳から突き出ているカギを指さす。
私は「げぇ」と声を上げた。
「じゃあ警察沙汰?」
「それがさぁ……確かに刺した手ごたえあったのに、ドア開けたら誰もいないんだよ。悲鳴も聞こえなかったし。でも、鍵は“ちゃんと”汚れてて……」
「警察には? 言った?」
「言わねぇよ。怖くなって車に乗って、そのまま家にまっすぐ帰った」
「ああ、今日の話じゃないんだ、それ」
「そう、おとといの夜。――で、こっからなんだけど」
まだ続くのか。
私は落ち着かない気持ちになった。
どうも、嫌な予感がする。あまりこの話を最後まで聞いていたくない。
「帰っていい?」
「そういわずに聞いてくれよ! 誰かに聞いてもらわねぇと、俺もう怖くて家のトイレにも入れねぇんだから!」
懇願されて、辛うじて席を立つのをこらえた。
Aは続ける。
「でまあ、その日は家に帰ってそのまま寝たんだけど…次の日の夜――まあ、昨日の夜だよな。ちょうど22時にトイレに行ったわけよ。自分ちの。そしたら誰か入ってる」
電気は消えているのに、鍵がかかっていたのだという。
私は顔をしかめた。
「間違って鍵がかかることって、あるらしいけど」
「まあね? 普通そう思うんだろうけどさ。けど俺、その時酔っぱらっててさ。だから普通にドアノックしたんだよ。なんどもなんども。最後の方なんて、もう完全に殴る感じ。――で、全然応答ないから」
Aは壁に張り付くようなジェスチャーをして見せた。
「のぞいたんだよ。こうやって。隙間からトイレのなか。そしたらさ」
Aの右目には、眼帯が当てられている。
Aは眼帯をべろりとめくって見せた。
「刺されたんだよね。何かで」
言葉もない。
まさか、と笑うことはできなかった。Aもまるで笑っていない。
「死ぬほど痛くて、救急車で病院に駆け込んで、眼球全摘出。で、今日の昼間警察に家のトレを見てきてもらったけど、何も出なかったって。そりゃそうだよなあ。だってたぶんこれさ」
「俺、自分で刺したんだもんなぁ」
Aはカギをテーブルに放り出した。
ポテトがテーブルに運ばれてきたが、私は完全に食べる気が失せている。
「時空のねじれってやつ? まあ、よくある怖い話ではあるけどさ……」
「信じてくれるのか?」
「信じてるわけじゃないけど……疑っちゃいけな空気は感じてるよ。っていうか、なんで私を呼び出したわけ?」
「だってお前、怖い話とか好きだろ?」
「好きというか、耐性があるというか……でもさすがにこれはなんと言っていいか……」
「なあ、そういわずに相談に乗ってくれよ」
「――相談?」
私は聞き返した。
これで終わりではない、というのか。
「実はさ、俺ガキの頃にも似たようなことあって……昔じいちゃんの家に遊びに行ったときさ、山の中に納屋があって、そこに誰かが入っていくの見たんだ。ちょっとした悪ふざけのつもりで、外からそいつを閉じ込めたんだけど……」
内側から激しく戸を叩く音がしばらく聞こえていたが、それが急に聞こえなくなって、Aは納屋の扉を開けた。
不思議なことに、そこには誰もいなかったという。
「あの時俺が閉じ込めたのって、もしかして俺自身だったのかなって、今回のことで思い出しちまって」
「あぁ……まあ、あるかもね?」
「俺、そのあとさ……また、締めちまったんだ。納屋。中から開かない状態で……カギでもかけといてやろってノリでさ……でも今思い出すと、なんか……」
納屋を立ち去るとき、背後でまた、戸をたたく音が聞こえたような――。
すっと、背筋が寒くなる。
Aはじっとテーブルを凝視していた。
「なあ。俺からの電話、できるだけ出てくれよな……? この先俺、どこでどんな風に閉じ込められるか、わからねぇから……」
いらい、Aは過剰なほどの閉所恐怖症になっている。
どこか狭いところに入るときは、必ずドアにストッパーをつけることも忘れない。
Aは今も、突然閉まるドアにおびえながら生きている。