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午前中の授業が終わり、ガタガタと机をくっつけ始めるクラスメイト達。賑やかな笑い声や話し声が飛び交う昼休みが訪れる。孤立している俺にとってはその時間は苦痛でしかなくいつの日からか教室を出て昼食を摂るようになった。母親に用意して貰った弁当を片手に中庭へと移動し、そこに聳え立つ大木の下の木陰へと入る。腰を下ろせば心地良い風が頬を撫ぜ、木の葉が控えめな音を立ててその身を揺らす。落ち着いた空間。今はここが俺の唯一の拠り所になっていた。
「……こんなはずじゃなかったのに」
そう、俺が望んだのはこんなんじゃなかった。至って普通の学校生活だったのに。普通に学校へ行って、少人数でいいから同クラスの男子と友達になって、昼休みには弁当を食べながら馬鹿な話して笑い合って、放課後はカラオケに行ったりボウリングに行ったり……そういうのを思い描いていたのに。
「……腹減った……」
どれだけ気分が落ちていてもお腹は空く。都合良く出来ている身体だと自身を貶めながら弁当箱の蓋を開ければ色とりどりのおかずと俵お結びが顔を出す。いつも口には出さない母への感謝の気持ちを込めて手を合わせ箸をとった。
「……うわ、超美味そう」
「……っ?!」
突如耳元から発せられた声に驚きのあまり後退る。
「おいおい弁当危ないって!」
言われてすかさず手に持っていた弁当のバランスを並行に保つ。奇跡的に中身は全て死守出来ていた。
「あんた一体誰だよっ」
見たことのない顔の相手に無謀ではあったが強い口調で問うと相手は然程気にしない様子で口元に笑みを作る。
「オレ? オレは翼。二年」
「……二年ってことは」
「そ、お前より先輩」
先輩……。その答えに一瞬頭が真っ白になる。が、次の瞬間倍の早さで思考が駆け巡る。
何故先輩が俺なんかに声を掛けてきた? そもそも何故俺が後輩だと分かった? 考えれば考える程謎は深まるばかりで。
「……あ、さては『何で後輩の俺に声掛けてきたんだろう』って思ってるな? 答えは簡単。お前が羽衣と一緒にいるの見たから」
羽衣……ってことは、もしかして。
「えっと、大槻の……彼氏、さん?」
「彼氏?! あいつ彼氏なんかいんのかっ?!」
「え?」
その慌てぶりに言葉を失う。しかも俺の言った内容を取り違えている。
「俺に黙って彼氏作るとか……まぁオレが許さない限り結婚はさせねぇ」
終いには親指の爪を噛みながらブツブツと一人で小言を洩らす始末。彼の素性が知れず若干引き気味になっていたところで偶然にも僕の目の前を横切ろうとした見知った人物が足を止めた。
「……あっ、圭人……と……お兄ちゃんっ?!」
ただでさえ零れ落ちそうな彼女の瞳が更に大きく見開かれる。
……ん? オニイチャン?
「よぉ羽衣」
「ちょっとお兄ちゃん何してんのっ? まさか圭人のこと苛めてないでしょうね?」
怪訝な顔をして彼に詰め寄る大槻。こうやって見れば確かに二人共似ている。彼も大槻同様非常に整った顔付きをしていて『あぁ、彼も誰かさんと一緒できっとモテるのだろうな』なんて、内心頭の片隅で僻んでいる自分がいた。
「苛めるわけねーだろ。ほらもうさっさと行けよ」
「……何なのその態度」
大槻の表情が一変する。俺が言われたわけでもないのにその冷たい視線と物言いに背筋が凍る。だが言われた当の本人は飄々としていた。
「オレはいつもこんなんだけど」
「違う。……何で変わっちゃったの?」
「変わったのはお前の方だろ」
その言葉を最後に沈黙が落とされる。二人共何も発しようとしない。けれどお互い決して視線を逸らさず暫し無言の攻防が続く。その後先に動いたのは彼の方だった。
「仕方ねーから今日は譲ってやるよ。お前もホント負けず嫌いだよな」
「お兄ちゃんに言われたくない」
「……可愛くないやつ」
目を細め、嫌味のような言葉を残して去っていく彼。その後姿を見送り次に大槻を見遣ればぐっと両手を握り締め俯いていた。掛ける言葉がなく目を泳がせていると、その様子を悟ったのか大槻の方から話し掛けてきた。
「ごめんね、みっともないところ見せて」
微笑みを象るはずだった顔は気持ちに負けてか歪な笑みを貼り付ける。俺は返す言葉も見つけられず只管首を横に振った。
とほぼ同じくして鳴り響くチャイム。
「あ……お昼休み、終わっちゃったね」
「……戻ろう」
絞り出すようにして漸く出てきたのは教室へと促すその四文字だけ。訊きたいことは山程あったがそれは内に留める。死守出来た弁当は次の休み時間にでもこっそり食べるか、と嘆息し新たに生まれた疑問と合わせて蓋を閉じた。