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「……あら? 圭人いつ帰って来たの? 帰ってたんなら『ただいま』ぐらい言いなさいよ」
リビングに入れば母親が洗濯物を取り込んでいて俺を見るなりその手を止めて僅かに目を瞬かせた。
「……ただいま」
馴染んだ空間に幾分か冷静さを取り戻した俺は今更ではあったが母親の言う通りに挨拶を返す。すると母親は目を丸くして俺の顔を凝視してきた。
「何、どうしたの。何かあった?」
「は?」
「だってやけに素直じゃない」
「それが実の息子に言う台詞かよ……」
嘆息し肩を落として見せれば「冗談よ〜」なんて言葉が返ってくる。だがなかなか鋭い眼力だ。それが母親だからなのか、はたまた持ち前の勘というやつなのかは知り得ないが。
そう考察している間に全ての洗濯物を取り込み終わった母が「これ畳んでくれない?」なんて遠慮なく告げてきた。……いくら学校で色々あって帰って来たら家の雰囲気が柄にもなく心地良く思ってしまい気が緩み少しばかり素直になったからといってその流れで二つ返事するとでも思ったのか。
「『今なら手伝ってくれるかも』なんて思ったんだろうけど手伝わねぇっての」
いつもの調子を取り戻した俺は平常運転でそう返し、自室へ続く階段を上がる。後ろで何か騒いでいる母の声を聞いたがまるっと無視してやった。
「……疲れた」
自室へ入るなりベットへ倒れ込むと今日の出来事が一気に頭に流れ込んできて思わず枕に顔を埋める。だが断片的に流れる映像が一向に消えてくれない。
特に、彼女の顔が。
「何で離れないんだよ……」
……理由は知れてる。
それを認めたくないだけ。
『ただいまー』
『あら、お帰りなさい』
下の階では兄が帰ってきたようでそんな会話が耳に届いた。
『学校どうだった?』
『圭人の副担任になったんだ。楽しくなりそうだよ』
『え?! それ凄い偶然じゃない! また色々学校でのこと教えてね!』
『勿論』
……おい、ちょっと待て。それはあれか。俺のことが筒抜けになるということか。
「……マジかよ……」
増々鬱になって布団を被る。すると階段を上がってくる足音が近付き、俺の部屋の前で止まった。
コンコン、と控えめにノックされる音。
「圭人、帰ってるのか?」
「…………」
目敏い兄のことだ。本当は玄関に入った瞬間俺の靴があると気付いていたに違いない。それを見越して今こうやってドアをノックしてるのだから性格が悪いとしか言いようがない。
「……ごめんな」
囁くような声で告げられた謝罪の言葉。理解出来ず俺は咄嗟に身体を起こしドアを開く。
「圭」
「それ何の謝罪だよっ」
「え?」
「先刻の! 何に対しての謝罪なんだよっ!!」
もう何が何だか解らないまま怒りに任せて激昂する。きっとこれは八つ当たりというものだ。それでも兄は一瞬唖然としつつも決して怒気を見せることはなくやがて苦笑を洩らした。
「……圭人の邪魔はしないから。今日は調子に乗っちゃったけど、明日からはちゃんと教師、やるから」
やけに真剣に、けれどどこか憂いを帯びた瞳でそう断言してくるものだからなんて返していいか分からず戸惑う。時間にすればほんの数秒、逡巡したまま何も言わない俺に痺れを切らしたのか、兄はそれ以上何を発することもなくその場を去った。
「……っ、何なんだよ……」
床に落とされた言葉がやけに虚しく聞こえたのは、ただの錯覚だったのだろうか。
隣で静かに扉の閉まる音がした。




