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何処からともなく現れた彼女ーー大槻羽衣と渋々ながら共に教室へと足を踏み入れると、教室内にいたクラスメイトの視線を一心に浴びる。……注目されているのは俺ではない。誰が見ても可憐な容姿の彼女の方だ。ザワザワとした喧騒の中で聞こえてくる声はどれも「彼女可愛い」だの「あんな可愛い子中学にいたっけ?」だの、挙句の果てには「隣の男誰だよ」と恨みがましい言葉を俺にぶつけてくる奴もいた。
「……なんか皆騒がしいね。しかも何だか見られてるみたい……あっ、もしかして圭人君て有名人なのっ?」
そんなわけあるか。しかも初対面にして名前呼びってどんだけ気さくなんだ。もしかして帰国子女か、なんて頭の中で独り言ちる。
「……俺じゃなくて大槻が注目されてるんだよ」
「え? 私?」
まさにキョトンという擬音語が相応しい顔で小首を傾げれば周りが拍車を掛けてざわめき立つ。俺はといえば逆にあざとく感じてしまい笑顔で対処するつもりが顔が引き攣ってしまった。
そんな最中、更に追い討ちを掛けるように教室のドアが開かれる。
「おーい皆席に付けー。……えー、俺はこのクラスの担任を受け持つ〈渡瀬 典之〉です。教科は体育。ビシビシ指導するから気ぃ引き締めろよー。そしてこっちが副担任のーー」
『……おいおいマジかよ』
渡瀬先生の隣に立つ人物を見るなりもう一人の俺が内側で嘆くのを聞く。その人物と視線がかち合った瞬間、彼は此方の気持ちを知ってか知らずか爽やかな笑顔を浮かべてきた。
「ーー〈大崎 達磨〉です。教科は英語です。一年間よろしくお願いします」
物腰の柔らかそうな口調。人当たりの良さそうな微笑。眉目秀麗と呼ぶに相応しい容姿。見慣れたそれらを目前にして開いた口が塞がらないし頬の筋肉も心なしか痙攣しているように思える。まさに青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。そりゃ顔だって顰めてしまうというものだ。だが俺の気持ちとは裏腹に周りーーと言うか女子達ーーは色めきだっていた。それはつい先刻出会った彼女も同様な気がして不意に視線を彼女へと移した。
「……かっこ良いか?」
兄をじっと見つめる隣の席の大槻にそう声を掛ければ彼女の大きな瞳が俺を捉える。
「渡瀬先生?」
違ぇよ。
そう声に出さずに突っ込んだはずなのに彼女はそれを読み取ったかのようにクスッと小さく声に出して笑った。
「分かってる。大崎先生のことでしょ?」
態と惚けた素振りをしたかと思えばすぐに核心に触れ、ともすれば含み笑いと共にこう言った。
「さぁ、どうだろうね」
結局その後、彼女の真意を知り得ぬまま一日が終わった。俺はこの一日で既に満身創痍だ。大槻羽衣という美少女に突然声を掛けられるわ、そのおかげで入学初日からクラスの男連中に敵意を剥き出しにされるわ、挙句副担任がまさかの兄だわ……これからの高校生活、何事もなく乗り切れるのだろうかと不安が込み上げる……というか、不安しかない。
「今から憂鬱って……」
はぁ……と深く溜息を吐けば急に視界に飛び込んできた美麗な顔。予想だにしなかった事態に驚きのあまり身体が跳ねる。
「そんな溜息吐いてると幸せが逃げちゃうよ?」
人懐っこい笑顔を携えそんなことを宣う彼女にまたしても周りから殺気が漂う。別に俺が話し掛けてるわけじゃないんだよ、と弁解したいのは山々だがもう今更な気がして結局溜息しか出なかった。
「また溜息ー。もういっそのことめいっぱい吸い込んじゃえばどうかな?」
「……妙案をありがとう」
さして思ってもいない感謝の言葉を述べて俺は帰り支度を始める。するとドアが開く音がして誰かが教室内へと入ってきた。それが誰かなんて顔を上げなくてもすぐに察しがつく。何故なら女子達がざわつき始めたからだ。
「センセー! どうしたんですかっ? 忘れ物っ?」
「先生! 先生も今からお帰りですかっ?!」
「もしそうなら一緒に帰りましょうよっ!」
「ずるい!! 私も!!」
不意に顔を上げれば彼と彼に群がる女子生徒達が目に入る。よくもまぁそんなに積極的になれたものだと感心すら覚える。……なんて思っていたら【先生】の視線が此方に向けられた。
……嫌な予感がする。
「圭人っ! 一緒に帰」
「るわけねーだろ!」
先に続く台詞が手に取るように解った俺は先手必勝とばかりに言葉を被せてやった。
「え、何? 圭人君、先生と知り合い? あ、そういえば苗字一緒だったね……ということは……」
大槻が閃いたようにポンッと手を叩く。
「兄弟! なんちゃって……」
「その通りだよ大槻さん」
そう言ったのは俺ではない。気がつけば兄はすぐ目の前まで来ていて大槻が告げた答えに正解を言い渡していた。
「えっ? そうだったんですかっ?」
大槻の驚きに呼応して周りのクラスメイト達もどよめき始めた。俺は額に手を当てたまま何も言葉にはしなかった。……否、もう喋りたいと思わなかった。
「そうなんだ。実は圭人は僕の弟でね。だから皆仲良くしてやってねー」
満面の笑顔を携えた兄がクラス中にそう投げ掛ければ、女子達は一様にして二つ返事をした。それが無性に恥ずかしく感じて俺は憤怒か羞恥かで熱の篭る顔を持て余しつつ急いで教室を飛び出した。