54
「……俺の話はこれで終わり」
組んだ両手に額を置き項垂れるようにして俯く兄は先程から微動だにしない。俺はそんな兄が浮かべる表情が気になり腕を掴んで此方へと視線を向けさせた。
「え、何……っ」
「いい加減こっち向けよ」
僅かに下がった声のトーンでそう告げればかち合った兄の瞳が微かに揺れる。何に怯えているのだろうか。俺は別に今更怒るつもりも拒絶するつもりも毛頭ないのに。
色々一気に聞かされたので正直脳に詰め込める許容範囲を遥かに超えてしまっているように思うのだが、だからといって頭を抱える程に混乱もしていなければ頭痛を覚えるようなことも無く、どちらかと言えば妙にスッキリしていて、結局のところ成程そうかと納得し受け入れている自分がいて。
「ありがとう」
「…………え…………?」
自然と出てきた感謝の言葉。それを耳にした兄は空耳でも聞いたかのような呆けた顔で目を瞬かせる。
「……俺さ、何で兄貴が俺の為にそこまで尽くしてくれたのか正直今でも解んねぇけど……でも、それが紛れも無く俺の為にやってくれたことだったってことだけは凄く伝わったからさ……」
兄の腕を掴んでいた手を離し、そのまま照れ臭さから後ろ髪に手を遣る。羞恥に耳を熱くしつつもチラリと兄を一瞥すれば何故かその目を潤ませ両手を腿の上で固く握り締めていた。
それはまるで、泣くのを我慢しているみたいに。
「……もう俺の前で我慢すんなよ」
兄弟、だろ?
「…………っ、生意気……っ」
服の袖で涙を拭う兄はこれまで目にしてきた彼のそれとはどれも違っていて。初めて彼の素を垣間見た気がして無意識に口角が上がる。
「……それより、よく此処に居るって解ったね」
「あぁ! それな……喫茶店の店員さん」
「え……?」
「彼女が教えてくれた」
※※※
「あ、ちょっと待て」
「えっ?!」
力強く地面を蹴ったはいいものの何故か服を引っ張られることでそれを拒まれ思い掛けずつんのめりそうになった。
「そもそも駅に居るのかっ?」
翼さんの一言に固まる。もし駅じゃなかったら? もう既に遠くへ行ってしまっていたら?
「もしかしてお兄さんのことですか?」
「「…………?!」」
突然話に入ってこられたものだから俺も翼さんも目を剥いて声の主へと顔を向けた。その声の主は笑顔が愛らしいこの喫茶店の店員さんだ。
「あ、ごめんなさい! 割って入ってしまって!」
「いえ、それより兄のことをご存知なんですかっ?」
そう問い掛けると彼女は元気良く肯定して話を続けた。
「あ! 貴方が弟さんだったんですね!! 私今日の朝お兄さんをお見掛け致しまして、その時にコーヒー豆を運んで頂いたんです! その後お礼にと此処でコーヒーをお出ししました! 旅行に行かれると仰ってましたよ?」
「何処に?!」
二人揃って身を乗り出し彼女に詰め寄った。けれど彼女は浮かない顔をして首を横に振る。
「そこまでは存じ上げておりません……」
その回答に肩を落とす。
が、彼女はその後とんでもない証言をしてくれたのだ。
「あ、でもお会計の時に切符を落とされたんです。えっと確かーー……」
※※※
「ということで、この駅に辿り着きました」
経緯を説明すると兄は呆気に取られた顔をした。俺はしたり顔でニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「流石の兄貴もここまでは予期出来なかっただろ」
「……やられたよ……」
『まさかあの時切符の記載内容を見られていたなんて』
そう呟いて俯く彼を他所に俺は背伸びを一つして勢い良く立ち上がった。
「よし、じゃあ行こうぜ」
「え? 行くって、何処に?」
「決まってんだろ!! ライナのライブだよ!!」
依然として呆けた顔をし続ける彼に手を差し出して笑顔を向ける。
「約束しただろ【ダルマ】さん」
「…………!!」
いつか思い描いていた幻想。それを現実にしたいとずっと考えていた。
『ライブチケット当たったので、二人で一緒に行きませんか?』
そう言って彼を誘った。これを機に外へ出ようと思った。無理かもしれないと諦めかけていたけど、唯一この約束があったから前へ踏み出せた。そして、それを叶える時が来た。
「今しかないんだからな」
そう、この瞬間はもう二度と来ない。だからこそ、今。
「ほら!!」
もう一度催促するように差し出した手を小さく降って促せば漸く彼の手が動いた。だがあまりに緩慢なその動きに痺れを切らした俺は強引にその手を取って彼を立たせ、そのまま走り出す。
「ちょ……っ」
「早くしねーと始まっちまうだろ!」
逸る気持ちが俺の足を突き動かしていく。不思議と緩む口元には気付かないふりをして、俺達はライブ会場へと急いだ。




