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圭人に絶縁され、家族に勘当された俺は完全に帰る場所を失くした。
そこからの俺の行動は早かった。その後すぐに学校へ退職届を提出し、彼女もまたそこから一ヶ月程度空けて退学届を出した。
その空白の一ヶ月間に、俺は彼女にある提案を持ち掛けていた。
「僕明日この家を出るね」
「えっ?」
彼女と一緒に住み始めてから数週間が経過したある日。俺が何の前触れもなくそれこそ「明日の夕飯何食べようか」ぐらいの気軽さでそう告げたものだから彼女は呆気に取られた顔をして俺を注視した。
「言っただろ? 『羽衣も僕も辞めて、別の場所に引っ越そう。そして、落ち着いたら結婚しよう』って」
プロポーズ紛いの科白を思い起こして言葉にすれば眉を下げて異論を唱えてくる彼女。
「でも態々別の場所に引っ越さなくても」
「此処には思い出が多過ぎる」
住み慣れた街だ。けれどこの街には俺の家族も、彼女の兄も住んでいる。全く顔を合わせないなんてことはまず有り得ないだろう。それは双方にとってあまりにも酷過ぎる。その内容を一文に凝縮させてはっきりと言い切れば言葉に詰まった彼女は瞳を伏せて黙り込んだ。
「…………」
「言った通り僕は全てを捨てた。だから羽衣も、捨てられるよね?」
それは要望ではなく指示に近かったかもしれない。俺は先の言葉通り全てを捨てた……もう戻らない。信頼も、職も、居場所も、大切な家族でさえも。
俺だけ代償を払って彼女がそれ相応の対価を払わないなんて不条理過ぎるだろう?
「……解った」
そうして彼女はこの家を手放す決意をし、高校も中退すると決めた。
全部が俺の思惑通りだ。
「……キミ、あんなことがあった後でよく僕と会おうと思えるよね」
飽きもせず俺は例の喫茶店でコーヒーを頼み、中身を覗き込みながら前にいる人物と目を合わせることなく無心にそれをグルグルと掻き混ぜている。
「あんな中途半端なままにしておけるかよ」
訊きたいことが山のようにあると彼は言う。そんなの周りの噂を真に受けてればいいのに。真相なんていくらでも改竄出来るんだ。人の数だけ真実に成り得るのだから。
「で、何が訊きたいの?」
「……妹から祖父さんの家を譲り受けることになったんだけど」
「あぁ! キミが住むことになったんだ」
別に後釜で誰が住もうが知ったことではなかったが、あの十円玉で作られた船の絵や各地で集められたお土産の数々が失われるかもしれないと思うとほんの少しだけ物哀しい気持ちが湧いていたので何となくホッとした。
「ならお祖父さんも一安心だろうね」
「……そうだといいけどな」
いつもは殆ど口を付けないのに今日は妙に落ち着いた様子で眼前に置かれたカップを手に取り口に含む彼。それを見守りながら俺も同じようにコーヒーに口を付ける。
「……あいつ、休学届出されたままだけど」
それを見計らったみたいに声を掛けてきた彼。僅かな動揺がカップを持った手に顕著に現れてしまった。
「……そう」
「部屋から出れなくなったんだろ?」
「……そうだね」
何処で聞きつけたのか。疑問視しつつも俺から質問させる間を与えない彼はカップを置いて此方を見据えた。
「このままでいいのかよ」
いつもとは立場が逆だ。俺が圧されている、なんて。
「君が付いててあげ」
「俺で駄目だと思うから言ってんだろ」
あくまで冷静に言葉を被せてくるものだからこの子も少しは成長したのかななんて感慨深く思いつつ、これ以上の感情論でやり合うつもりは毛頭なかったのでここから反撃することにした。
「じゃあ言うけど君の妹だって同じだ。精神的に相当追い詰められてるよ。いいの?」
同じようにカップを置いて腕を組む。それに呼応するように外される視線。
「それこそあんたがいるだろ」
「俺はもうすぐ彼女を捨てる」
「……何」
そうして出来た一瞬の隙を俺は決して見逃さない。
「そういう契約だっただろ?」
『僕は彼女を変えてみせる。どんな手を使ってもね』
「……変わってないだろ」
「変わったよ。だって彼女はもう前みたいに誰かに危害を加えたりしていない。現に僕は無傷だ。もう自分の欲望を満たす為に誰かを弄んだりはしないよ」
「それなら尚更あいつにはあんたが必要だろーが」
「そんなのは知らない。僕の契約は『彼女を変えること』であって『彼女を幸せにすること』じゃない。それに僕の望みはもうすぐそこにある」
「望み……?」
「解らなかった? そっか。僕はねーーーー」
ーーーー彼女に復讐したかったんだよ。
それまで逸らされていた視線が再び此方へと戻される。その瞳には既に余裕など残されておらず不安定に揺らぐばかり。
「……嘘、だろ……」
「言ってなかったかな?」
態とらしく戯けて首を傾げれば彼は相も変わらず感情に身を委ねて髪を掻き乱した。
「知らねぇよ!! 知ってたら手伝わなかった……!!」
「あ、そっか。……でももう遅いね」
彼女の心は、俺のモノだ。
そう言い放ちほくそ笑む。驚愕して歪んでいく表情。それでも猶俺は容赦無く彼を失意の底へと落とす言葉を繰り出した。
「俺は今までお前を信じて……っ」
「うん、そうだね。凄く助かったよ」
ご苦労様。
「……っ、お前なぁっ!!」
完全に俺の掌の上で転がされ続けた彼は案の定激昂して俺に掴み掛かり拳を振り上げた。
あぁ、やっぱり殴られるか。そりゃそうだよね。
なんてぼんやり行く末を窺っていた。勿論抵抗はしない。庇う素振りすら見せなかった。それが俺の贖罪だと思ったから。すると振り被った腕がピクリと震えて、止まる。
「何で抵抗しないんだよ……っ!!」
打ち震えながら彼が言う。俺は正直に返した。
「殴られるのはもう慣れた」
無表情、だったと思う。それを目にした彼は何故か悲痛な表情を浮かべた末に振り上げた拳を下ろし、それと共に掴み掛かっていたもう片方の手もそっと放した。
「……殴らないの?」
急激に冷めたような態度を取った相手に唖然とし目を瞬かせる。すると彼は訴えかけるように俺の両肩を持って揺さぶりを掛けてきた。
「お前あいつに幸せになって欲しいってばっかり言ってるけどお前はどうなんだよ……っ」
「どうって……俺は別に……」
「自己犠牲で幸せにされたって笑えるわけねーだろ!!」
戦慄が奔った。視線を背けようとするも彼の真っ直ぐな瞳は俺を捉えたまま放そうとしない。
「……あいつが望んでる本当の幸せが何か、いい加減気付けよ……っ」
苦し気に吐き出されるその言葉。それはまるで俺ではない誰かに向けられているようにも聞こえた。
「……俺はもうお前の言いなりにはならない。だからこれ以上は何もしないからな。あいつのことを立ち直らせたいなら後はお前自身で何とかしろ」
吐き捨てるような口振りと併せて肩を掴んでいた手が外されると彼は代わりに伝票を手にして踵を返しその場を後にした。
終ぞ俺は彼に何も返せないままその後ろ姿をただ呆然と見つめ続けるに留まってしまった……
その後彼の言う意味を理解出来ずに幾日かが過ぎ、それでも俺は必死に圭人を外に連れ出す方法を考え続けた。
するとある時ふと耳にした会話が俺に光を与えてくれた。
「ねぇ聞いてよ! 私が外したライナのライブあったじゃん!! それコミュ繋がりで出来た友達がチケット当たって一緒に行けることになったんだけど!!」
空が夕日に染まる時間のコンビニからの帰り道、偶々前を歩いていた女子高生達が何やら興奮気味に話していて、またそれがライナの話題だったから気になって何気無く耳を傾けていた。
「えっ、マジで!? めっちゃ良いじゃん!! コミュってあれでしょ? あんたが作った『ライナ好き集合!!』コミュ」
「そう!! コミュ友達最高っ!!」
何気なく聞いていただけだったその会話が元で、その瞬間俺の中に何かが降りてきた。思わず足を止める程の閃き。
「……そうか」
その手があった。
これは俺が唯一彼を支えられる手段だ、と。
そう思い俺は自分の素性を隠して裏アカウントを作り圭人のアカウントを辿っていった。
そうして俺はまた、彼と唯一の繋がりを持つことが出来たのだ。
「……【毛糸】さん、こんにちは……」
『僕と友達になってくれませんか?』




