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カモフラージュ  作者: 弥生秋良
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 それから一週間程過ぎた、と思う。

 俺はその頃から外に出られなくなっていた。どうしても体が震え、外へと続く敷居を跨ぐただの一歩が前に踏み出せない。

「……今日は止めとこっか」

 母がいつもそう言って俺を甘やかすから……なんて、ただ自分の意志が弱いだけなのに責任転嫁させて。それが余計に情けなくて、みっともなくて。挙句の果てには両親にさえ顔を見せないように自室に引き篭もるようになった。そのせいで時間の感覚も曖昧になってしまっている。



 あれから兄とは話をしていない。というか、顔すら合わせていない。家に帰って来ているのかも不明だ。けれど隣の部屋から物音などした試しがないので戻って来てないように思う。

「……何処で何してんだよ」

 毒づいてみても届くことはない……と思っていたら突然扉がノックされた。

「うぉっ……、……はい」

 急な出来事に驚いてしまい思わず変な声が出たが気を取り直して返事する。相手は母さんだろうから別にいいかと高を括っていた。

「……圭人」

 返ってきた声に心臓が跳ねる。その声はいつの間にか耳に馴染んでしまった、心地良い低音の響く声音で。

「……兄、貴」

 扉越しに小さく答えれば「開けてくれないか」と求められる。けれど『ハイ分かりました』とそう簡単に了承出来るはずがない。

「…………」

 沈黙が続く。長く息を吐いてその手をドアノブに掛けた時、ズルズルと服が擦れるような音がして扉の向こうに耳を澄ませる。

「解った、もうこのままでいいよ。だから話だけでも聞いて欲しい」

 扉に耳を寄せれば下の方から声が聞こえる。先程の音から察するに多分彼は扉に背を預けて床に座り込んでいるのだろう。だから俺も兄に気付かれないよう最新の注意を払いその場に座り込んで扉に背を預けた。

「……まずは、ごめん。病院で色々問い詰めて……その後も、一度も見舞い行けなくて」

 そう、それもある。けれど俺が一番謝って欲しいのはそこじゃない。そもそも翼さんの話が真実なのかどうか、それが知りたい。

 けれどそんなこと自分からは言い出せずにただ黙って繰り出される言葉を聞くに留める。

「……あと、大槻さんのことだけど……」

「…………!!」

 加速する鼓動。あまりの緊張で手足が一気に冷えた。声が洩れそうになり慌てて両手で口を塞ぐ。鼓膜の裏で鳴る耳障りな心臓の音。まだかまだかと心の中で追い立てるもう一人の自分。

「実はーーーー」


 ーーーー結婚することになった。


「…………え…………?」

 塞いでいた筈の口から声が溢れた。頭が真っ白になり前後不覚に陥る。

 彼は今、なんと言った?

「だから、この家出るよ。父さんと由紀さんにも話は通してある」

「……っ、んだよそれっ!!」

 いきなり沸騰した怒りに任せてドアを開け、案の定座り込んでいた兄の胸倉を掴み立たせて力の限りその頬に拳を打ち込んだ。

「……痛……っ!!」

 ガンッと豪快な音を立てて兄は壁に身体を打ち付けたがそんなことは構うまい。此方が受けた心の傷に比べたらなんてことはないはずだ。

「お前一体何なんだよ!! 何がしてぇの?! 俺のほんの一握りの希望を握り潰せて楽しいかよっ!! 弟の彼女盗って満足かっ?! 俺の日常ブチ壊しておいてお前だけ幸せになるなんてどう考えてもおかし過ぎるだろーがっ!!」

「…………っ」

 何故か兄は反論しようともしないし殴り返してもこない。それどころか自らを庇おうともせず為すがままになっていて、それがまるで罪滅ぼしのようにも思えたけれどそれでも俺の怒りは収まらない。

 そうして何度も何度も殴っていたら何事かと母が階段を駆け上がってきた。

「圭人?! 何やってるの!!」

 目の前の光景が信じられないという顔をして俺を止めに入る母。まだまだ殴り足りなかったが怯えたように震えながらも俺の腕を掴む母に間に入られてしまっては流石に手が出せない。だって、彼女の前でこれ以上続けたら……実父(あいつ)と同じになってしまう。

「……圭人……っ、もう、止めなさい……っ」

「…………」

 もう、見てられなかった。

 瞳を潤ませて恐がる母の顔も、脱力して唇の端から血を流し項垂れている兄の虚ろな眼差しも。

「……お前なんてもう兄貴じゃねぇ」

 最後にそれだけ言い捨てて静かに自室の扉を閉めた。




 それ以来、俺はこの部屋から出ていない。






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