19
「……何だよこれ」
次の日。教室に入ると……俺の机の上に花が置いてあった。
無造作に置かれた野花というわけではなく、ましてや花屋で繕ったような花束でもない。……真っ白な陶器に添えられた、たった一輪だけの黄色い百合の花。
そう、それはまるで献花のようで。
「…………」
訳が分からず怪訝な表情のままそっとその花を窺い見る。特にこれといった不審なところはないようだがやはり気味が悪い。コソコソと潜む声がそこかしこから聞こえてきてグラリと頭が揺らぐ。
「……誰だよ……っ」
ぐっと両手を握り締めて呟いてみてもその声は誰にも届かなかったようで、依然耳障りな雑音しか聞こえない。俺はただ怒りのままにその花瓶を跳ね除け落とした。
「誰なんだよ一体っ!!」
派手な音を立てて割れる花瓶。無惨にも散らばった破片と花を目にすればまるで自分を彷彿とさせるかのようで瞬間顔を逸らす。
「さてお前らー、ホームルームを……って何だ。何かあったのか?」
通常通り現れた担任は静まり返った教室の異様な雰囲気と床に広がる残状を目にして訝しげに片眉を上げた。
「……? あれ、皆どうかした?」
担任の後に続いて入ってきた兄も首を傾げて問い掛けてくる。だが誰も口を割ろうとはせずそれぞれ気まずそうに顔を見合わせるだけ。
「……圭人、どうした?」
兄が俺に視線を向ければ自ずと周りの目も此方へと向く。俺だけが立っていたから注視した兄の判断は間違っていない。だけどその選択は俺の心を抉るかのようにしか思えなくて堪らず視線を彷徨わせ俯いた。
だって言えるわけないだろう。
多分、誰かに虐められてる、なんて。
「……すみません、すぐ、片付けます」
俺は虚ろに床の一点を見つめ、やがてしゃがみ込んで破片を拾おうとした。……と、その破片を手にする前に腕を掴まれふと顔を上げる。
「危ないよ。私箒持ってくるね」
一体いつから其処に居たのだろう。そもそも初めから教室にいたのかどうかも定かではないが、今言えるのは間違いなく彼女の存在に救われたということだ。
「大槻」
「ん?」
「……ありがとな」
昨日といい今日といい、彼女はどうしてこうもここぞという時に現れてくれるんだろう。そんなことを考えながら僕の腕を掴む彼女の手をそっと外し、今度は俺がその手を軽く握る。
彼女は何も言わずただ優しく微笑んだ。それはいつもと何ら変わりない笑顔で、それが余計に胸を熱くさせた。
「……とりあえずホームルーム始めるぞー」
担任がパンパンッと小気味の良い音を立てて手を叩けばクラス中の視線が一斉に担任へと注がれた。それを合図に通常通り出席を取り始める担任と名前を呼ばれて返事をする生徒達。担任は担任で大槻と同じように気を遣い、何事もなかったように装ってくれたのだろうと容易に想像がつく。
だがその中でただ一人、その状況を納得出来てない人物がいた。
「圭人、ちょっと」
ホームルームの邪魔をしないようにか耳元で俺の名前を囁いた兄は誤魔化しの効かない眼差しで俺の腕を掴み教室から出ようとする。
「え、いや、は? 何」
「大槻さん、片付けお願いします」
「あ、はい……」
俺の声は見事に無視し、割れた花瓶と無惨に散った花を箒とちり取りで健気に集める大槻には一言声を掛けると彼は周りの視線も憚らず盛大な音を立てて教室の扉を開閉し俺を連れ出して行った。
「おい」
「…………」
「おいって! なぁ! ……兄貴っ!!」
そこで漸く振り返る兄。何故かその顔は苦渋に満ちていて俺は複雑な心境を抱きつつも顰め顔で続けた。
「……なんて顔してんだよ」
掴まれた腕が思いの外痛い。力加減を間違えている。でも多分彼は無意識だろう。いつもなら相手のことを考えて配慮を怠らない人なのに。そう思いつつ痛みに僅か顔を歪めるとその一瞬に気付いた彼は弾けたように手を放した。
「あっ、ごめん! 痛かった、よなっ?」
そう言って困惑するさまが非常に珍妙で俺は腕を擦りながらも目を丸くした。けれどそれだけ心配をさせてしまったのだと解釈すればそれまで重苦しかった筈の胸の奥が少し軽くなり、それと共に兄への感謝の思いが込み上げた。
「……心配掛けてごめん」
「圭人が謝る必要はないよ」
間髪入れずに返ってきた言葉に棘があった気がしてふと俯いていた顔を上げると感情の全てを削ぎ落したような表情で虚空を見つめる兄がいた。それがあまりにも見慣れないもので且つ畏怖を物語っていたから不意に身震いを起こす。
「……今日はこのまま帰るか保健室で休んでおいで。先生達には俺から伝えておくから」
「え、いや、別に俺はっ」
「顔色良くないから。なんなら送って帰ろうか?」
過保護にも程があるだろ、と内心毒吐きつつもここで彼が引き下がらないことは重々承知していたので渋々帰る選択をした。勿論同伴の帰宅は丁重にお断りを入れて。
「気を付けて帰るんだよー」
「分かってるよ!!」
校門までついてきて惜しげもなくブンブンと大袈裟に手を振りそんなことを宣うから雑に対処し投げやりな返事をした。だがその気の抜けるような微笑と言葉で元気付けられたのもまた事実であったことは、兄には秘密にしておこうと思う。