18
『そういえば来月ライナのライブがありますけど毛糸さんは行かれるんですか?』
物思いに耽っていたらいつの間にかそんなメッセージが送られてきていた。俺はキーを打つ手を中途半端に止めて言い訳を考える。……そう、行かない為の言い訳を。
勿論ライブがあることを知らないわけではなかった。現にチケットだって当選している。来月五日の土曜日。当選枚数は、二枚。
けれど、多分行かない。……否、行けないと思っている。だって、
「……出れねーよ」
自室の扉を見つめる。ただの一枚板にしか過ぎないこの扉から外の世界へと一歩踏み出す。ただそれだけの行為を脆弱な俺の精神はいとも簡単に諦め拒んでしまうのだ。
『ちなみに僕は残念ながら落選してしまったので行けないんです……』
続けてきたメッセージに心が痛む。
〈良かったら一緒に行きませんか?〉
たった一言そう言葉に出来たなら彼はきっと大いに喜んでくれるだろうに。それが今は出来そうにない。
「……っ、恐ぇよ……っ」
傷つくことが、恐い。
とんだ臆病者だと自嘲してみても、どう足掻いてみても、俺が思い描く未来には絶望しか見い出せなかった。
※※※
「……は?」
偶然四人で居合わせたライブから一週間が経過したある日のこと。いつもと変わらず学校に登校した俺は下駄箱を開けた瞬間に気のない声を発してしまった。そこにあるはずのスリッパが無くなっていたからだ。キョロキョロと辺りを見回すが、やはり何処にも見当たらない。
「……まさかな」
最悪の可能性が頭を過ったが首を振ることで無理矢理打ち消す。下駄箱内を一周して見回るが影も形もない。名前が書いてあるから誰かが間違えて履くなんてことは有り得ないはずなのに。僅かばかり気が動転しふと外の時計塔に目を向ければあと五分程でホームルームが始まる時刻になっていた。
「……どうしたの?」
急に掛けられた声に驚き肩が跳ねる。そっと振り向けば不思議そうな顔をした大槻が立っていた。
「探し物?」
一体いつから見ていたのかそんな風に問うてくる。このまま黙っていようかとも思ったがきっと一人で捜索するより効率はいいだろう……なんて自分の中で折り合いをつける為の体のいい言い訳を思い巡らし口を開こうとした。が、ホームルームの時間も迫っているというのに果たして手伝ってくれるだろうか。
「いや……スリッパが、なくて」
「えっ、何で? 昨日はあったんだよね?」
「あぁ……」
昨日は確かに下駄箱に入れた。相も変わらずクラスに馴染めてないせいで早く此処から去りたいと気が急いてはいたが、流石にスリッパを脱いでそのまま放置なんてしていない。
「私も探すよ」
「え……?」
「だって二人で探した方が見つかる確率高いでしょ?」
屈託のない笑みを浮かべて間髪入れずにそう返してくる大槻。その返答が期待していたそのものだったから意思とは関係なく頬が緩む。
「……でももう予鈴鳴るけど」
「そんなの気にしない! 現にこの前も遅刻しちゃってるしね」
控えめに舌を出して戯けるその姿でさえ魅力的に映る。気づかぬ内にじっと見つめてしまっていたようで、彼女は目を丸くして小首を傾げた。
「どうかした?」
「……いや、何でもない」
自身の行動を自覚した途端羞恥心が湧き思わず顔を背け、さもスリッパを探すフリをして誤魔化す。その後はお互い黙々と探し続けた。やがて予鈴が鳴り響く。だが先刻言った通り大槻はその場を離れる素振りを見せなかった。
「……ないなぁ」
ポツリと落とされる言葉。それが引き金となり再び嫌な考察が蒸し返される。何だか立っていられなくなってその場に蹲り両膝を抱え顔を埋めて視界を閉ざした。
「……圭人?」
深く意識の底に沈みそうになったその時、大槻のものではない声が降ってきてふと目を開ける。顔を上げてみれば、心配そうな表情をした兄の顔がそこにあって。
「どうした? もうホームルーム始まってるけど」
「……兄貴」
痛々し気な包帯の数々。傷はまだ完治していない。けれど自分よりも他人のことを優先させるような馬鹿な兄。どうしてかその顔を見たら無性に泣きたくなった。だが寸でのところで堪えグッと奥歯を噛み締める。
「あ、先生!」
兄貴の気配に気付いた大槻が声を上げた。その顔には安堵の様子が見て取れて、余計に自分の不甲斐無さを感じ少しばかり悔しさが込み上げる。
「大槻さんもどうしたの? 何かあった?」
「実は」
「な、何でもない! ……すぐ教室行くから」
大槻の言葉を遮り出来得る限りの平静さを装って返答した。難なくスッと立ち上がり、だが顔までは上げられなくて床を見つめたまま彼女の手を取り教室へと足早に向かう。
「えっ、圭人っ?!」
驚嘆する大槻に構わず俺はスリッパを履かずして彼女の手を引き廊下を歩く。彼女が兄の方を頻りに振り返っていたのが気配で知れたが、その時兄がどんな顔をしていたかまでは解らなかった。きっと勘付かれてはいただろう。兄は聡い人だから。けれど弱音を吐くことは躊躇われた。彼に甘えたくはない。言えばまた俺を優先させるのは目に見えている。まだ怪我も完治してないのにこれ以上迷惑掛けられないからと無理を押して教職を果たそうとするようなやつだ。だからこそ言えなかった。でも顔を見たら縋り付いてしまいそうだったから、わざと顔を背けた。それに、高校生にもなって兄に助けを求めるなんて周りに知れたらとんだお笑い草だろう。ただでさえよく思われていないのにこれ以上状況を悪化させたくはなかった。
「……良かったの? 先生に言わなくて」
「いい、大丈夫。……後は自分で何とかするから。探すの手伝ってくれてありがとな」
階段の踊り場まで来たので大槻の手を放し礼を述べる。笑って告げたつもりがどうやら失敗したようで、彼女は眉を下げて何とも言えないような顔をした。
「また何かあったら言ってね」
彼女のその優しさで幾分か心にゆとりが生まれる。俺はゆっくりと深呼吸をして今度は自然に笑みを浮かべた。
「ありがとう」
そう返せば大槻の顔も安堵の色を見せ表情が綻ぶ。その笑顔が俺の張り詰めた心を溶かしていく気がした。
ーーーーだがそれも束の間、俺は間を空けずして失意のドン底へと突き落とされる羽目になった。